第7話:記憶は宿り、記録は語る
歴史とは過去の記録。
過去とは現在の礎。
現在とは未来への道。
未来とはこれから見る記憶。
穏やかな風に吹かれ、雲は流れていく。
ヨーロッパとアジアの文化的中継地であり、人と歴史が交差する場所。
トルコの都市、イスタンブール。
今、まさに変革の潮流に飲まれているトルコでは、ここ数年で、世界企業連盟の加盟企業が進出しはじめ、物流、インフラ、通信、医療のシェアを伸ばしていた。
情報化を推し進め、より効率的に、より便利に。
人は“情報”となり、自らその価値を規定していく。
最初は小さなささやきだったのが、やがて大きな“声”となる。
「AIによる政治の実現へ向けて、新たな法整備が進められています。AIによる法案の提出、予算の策定といった、より、直接的で実行力のある地位を保証しつつも、透明性と独立性の確保できるのかが、議論の争点となっています」
イスタンブールでは世界の変わり目を垣間見ることができた。
「生活家財、精密機器、医薬品、美術品、なんでもお任せください。独自の物流網で世界をつなぐ、トランスフラックス社です」
目に映るのは世界企業連盟の加盟企業、トランスフラックスのCM。
連盟企業との協力体制は柔軟で無駄のない、新たな物流網を構築した。
ハード面、ソフト面での統合。
人材の流動化、再配置。
現場ニーズと生産拠点および配送拠点のマッチング。
自動化はそこまで重要ではなく、雇用と生活の保証で労働力を確保し、生産性の向上に成功していた。
カラスが舞い、その下をメガネで変装したレイが歩く。
「もしもし、落としましたよ」
彼女は後ろの男性から声を掛けられた。
もちろん、レイは何も落としていない。
「気づかなかったわ。ありがとう」
男が差し出したのは一枚の名刺。
そこには“考古学博物館”と書かれている。
このやり取りだけで、二人はそのまま分かれた。
旧市街、トプカプ宮殿。
見る者を現実と幻想の境界へ引き込む、優美かつ壮大なオスマン帝国建築。
全体として複数の建物と部屋、庭から構成された、複合的な構造を取っている。
その宮殿内「第一の庭」にあるのが、イスタンブール考古学博物館だ。
イスタンブール考古学博物館自体は「考古学博物館」「古代オリエント美術館」「タイル博物館」の三つの博物館からなり、その収蔵コレクションの数は膨大で、交易地トルコの重要性をうかがい知ることができる。
歴史を紡いでいくのは、どの時代でも難しいものだ。
語らぬ物から人々は過去を学びとっていく。
歴史とは知ろうとしなければ意味のないもの。
他の観光客と同じようにレイも入場口で入場チケットを購入。
本館の考古学博物館へ足を踏み入れた。
展示物の一つ、アレクサンドロス大王の石棺。
これこそが、まごうことなきトルコの至宝。
四方を写実的かつ動的なレリーフが飾っている。
屋根のついた神殿風石棺そのものも、ペンテリコン産大理石という豪華な作り。
その芸術性と歴史的意義から世界でも価値を認められていた。
博物館で展示されている工芸品、美術品の運送にはトランスフラックス、その警備にはパラディン・セキュリティが関与している。また、一部の工芸品の修復・保全材にはネオライフ・アルカディアの製品や技術、AIによる解析補助にはヴェルニルの画像、映像解析AIが応用されている。
つまり、世界企業連盟の下支えがあっての文化保全、歴史継承ともいえた。
「どうも。どちらからお越しですか?」
二人組のオランダ人女性がレイへ尋ねた。
「日本です」
「日本? 奇遇ですね! 一年前、日本を訪れました。日本も文化的、歴史的に素晴らしいところですよね」
陽気な女性二人。レイも彼女たちと会話を続ける。
「旅行好きなんですね」
「そうです。歴史にも興味がありまして。明日には帰国しますけど」
「ここにあるものは貴重なものばかり。未来に残していきたいですね」
「ええ! 本当。これらは人類にとって大事なものです。過去を大切しない人は未来も大切にできません。それでは」
情報は得た。
明日、展示物の移送計画。
トルコからオランダへ。
そのどこかで中国の機密情報の持ち出しも行われる。
用心深い連中のことだ。
デジタルで重要データのやり取りを行うはずがない。
原始的な情報のやり取りが最も安全なのだ。
レイの姿は監視カメラに捉えられている。
しかし、搭載されたAIが彼女を異常と判断することはない。
判定はただの一般客。
取るに足らないデータだった。
館内でさらに情報を拾いつつ、連盟の動きを予想する。
彼らは合理的な判断を取るはず。
きっと情報は直接手渡しするはずだ。
それも何も知らない人間を使いにして。
人混みに紛れ博物館の外に出たレイ。
彼女は空を飛ぶカラスに人差し指を回す、ジェスチャーを三回見せた。
カラスはこれを理解。
鳴き声と飛行パターンにより、他のカラスへ情報を共有しながら、トランスフラックスのビルを目指した。
イスタンブールに本社を構える、物流最大手トランスフラックス。
半自動化された大型倉庫を配送拠点に、大企業の生産工場では最初から配送センターとしての役割も持たせた工場設計も行っている。
また、全従業員にはメガネ型のAI搭載端末を貸与。
ピッキングや書類作業での補助をAI〈プトレマイオス〉から受けることにより、作業者の間違い、危険行為を徹底的に防止していた。
当然、自社のトラックにもプトレマイオスが標準搭載。
会社の複雑な物流網をリアルタイムで最適化。
ドライバーの負担軽減により、安全かつ迅速な輸送を実現した。
「アリ、明日の朝7時からイスタンブール考古学博物館での仕事は分かっているな? 気を付けるんだぞ」
明日、イスタンブール考古学博物館へ赴くのは、社内に置かれた美術品、工芸品の輸送を取り扱う専門チームである。彼らはプロ中のプロだ。
そんな中、アリ・チェティンは二年目ながらもチーム内で期待の若手だった。
「ええ、任せてくださいよ。安全・確実に仕事は遂行します」
「いいねえ、頼もしい。美術品を扱えるスタッフはそういない。AIが普及していて、それでもなお世界に誇れる仕事だ」
物流業界は確かに変わった。
ただし、変わらない部分もある。
運び手。それは人間だ。
高い技術と安全を守る、それは人間にしかできない。
「任せたぞ」
物事の数値化、パターン化、モデル化、データ化。
それはプトレマイオスに与えられた使命である。
日々、膨大な映像データを収集、解析、分類。
地位、年齢、性別、経歴、学歴──
従業員の器用さ、速さ、判断力、適応性、人間関係、ストレスレベル、趣向まで。
これによって個人ごとに必要なサポートを提供。
結果、会社への快適性、忠誠心が上がる。
そして会社が成長するのだ。
プトレマイオスの人材分析は正確そのもの。
アリ・チェティンを美術工芸品輸送チームへ採用したのもそうだ。
AIが決めた。
彼の進む道はプトレマイオスが用意する。
これが彼の運命。