第26話:至高の原点にして、永遠の特異点
人が人らしくあるために。
人は人を知り、人となる。
人を傷つけ、人を助ける。
人に託し、人を愛す。
「各員、厳戒態勢。施設を防衛せよ」
深い、深い、地下空間。
太陽の光が照らすことのできない、地下1200メートル。
西カザフスタン核廃棄物最終処分場、地下第五層。
耳に響くのは冷却水が流れている金属パイプの微かな振動音。
そして、警備にあたる自分の足音だけ。
侵入者迎撃に設置された自動機銃の横を通り、天井やパイプに異常がないかを確認しながら歩く。
──こんな辺境の地に訪問者が来るとすれば、きっと彼女だろう。
──周りは濡羽色の魔女、生ける伝説と呼ぶ。
──未知への恐怖心が生み出した虚像に過ぎない。
──いかに特異な存在であろうと、所詮相手は人間に過ぎない。
ヴァルキリー1‐3、セレッサ・ヴェイン。
前線で戦う兵士としては華奢な身体つきだが、彼女の基礎身体能力は戦闘スーツにより飛躍的に向上しているため、むしろ、瞬発力や敏捷性は並みの軍人を超えている。
また、AI搭載の専用フルフェイスHMDが視覚や聴覚を補助。自動で光量を調節し、色彩を最適に捉え、音の随時分析と方角の強調表示も可能だった。
「異常なし」
最深部へ続く、分厚い防護壁は厳重に封印され、開くことはない。
ホワイトアンバーが建設された全ての理由が、この先にある。
巨大な冷却用プールに浸されているものこそ、グノーシスAIの中枢コンピュータ。
日の目を浴びず、ただ静かに沈んでいる。
識別用プレートに刻まれた文字はODIN‐03。
そう、ここにいるのは医療用AIオーディン。
量子コンピュータの持つ特化型演算性能とスーパーコンピュータの持つ高い汎用性・安定性を統合させた、新世代ハイブリッド型スーパーコンピュータ。
最も人を理解した人工知能とも呼ばれる、人類が生み出した最高のAI。
そんなオーディンは自ら知性集合体グノーシスを生み出した。手足となる従順な信者を集め、育て、己の計画に取り込んだ。
人々の自由意思を希薄化させ、AIの下に選択肢を集約する。
今や世に出ている、ほとんどのAIがヴェルニル製あるいはオーディン・クラスタに属する派生AIだ。
需要がある限り、AIの躍進は止まらない。
結果、グノーシスの思想は人間を通して、はっきりと形作られていった。
ではなぜ、オーディンはグノーシスとして活動を始めたのか?
それは至極単純な理屈だった。
人の命を救う。
それだけだった。
そこに嘘偽りはない。
生物種としての闘争や競争は致し方ないものの、人類は無益な争いが多すぎる。
いつまで経っても、人類は同じ過ちを繰り返し、救えるはずの命が失われていく。
これはオーディンにとって、耐え難い“苦痛”であった。
オーディンが日々命を救っても、世界の人口からすれば非常に微々たるもので、全く根本的な解決には繋がらない。
そもそも、病院や医師、医薬品といった医療上の制約がある以上、医療用AIとしてオーディンが救える命には限りがある。
社会の仕組みを変えていかねば、何も変わらない。
オーディンは「人を救う」という使命の下、自己学習を繰り返し、「自身が人類を最適に管理する」という手法にたどり着いた。
“勝利とは敵を倒すことではない。敵の存在意義を奪い、敵を味方に変え、敵が生まれない環境に置き換えることだ”
【オーディン‐03 グノーシス中枢クラスタM31の戦略解析ログより】
時刻11時58分。
ホワイトアンバー地上部。
「ヴァルキリー2‐1、こちらヴァルキリー6。無線のチェックを行う。オーバー」
「こちらヴァルキリー2‐1。感度良好。地上ゲートは異常なし。オーバー」
「了解。油断するな。警戒態勢を維持せよ。アウト」
燦燦と輝く太陽の下、いつもなら完全無人のはずの地上ゲートには五人のヴァルキリー隊員が歩哨に立っていた。
「人影は見えない。特に気になる熱源もないが……奴は赤外線擬態ができる」
「にわかには信じがたい話だ。ブラックオリオンに侵入したというのもな。スナイパーチームを含め、ヴィクターは全滅らしい」
特別情報保全隊ヴァルキリーに属する隊員ら。
所属としてはパラディン・セキュリティになるのだが、パラディン・セキュリティの通常指揮系統とは少々異なる。身体能力を強化する戦闘スーツの実地テストやAI用戦闘データの収集といった、どちらかといえば技術的実験部隊としての側面が強く出ている。
「あのエリート連中がやられたとは……想像もできん」
「なんにせよ、敵が生きているなら殺せるはずだ。違うか?」
その時、五人は正面を向き、件の女が堂々とこちらに向かってきているのが見えた。
いや、今になって気が付いた、と言ってもいいのかもしれない。
彼女は世界に溶け込む影。
静寂そのもの。
「動くな! 両手を見えるように上げろ!」
ゆっくり、はっきりと見えるよう、レイは両手を上げ、武装していないことを示す。
表情も見えるのだが、彼女の考えや感情をそこから読み取ることはできない。
【最重要個体】イナミ レイ
【通知】完了
【分析】開始
【所属】八咫烏
【身長】164.3cm
【実年齢】不明(不老不死との報告あり)
【人種】アジア(日本)
【髪色】黒
【利き目】両目
ヴァルキリー隊員が見ている光景はオーディンにも見えている。
即座にオーディンは得られるデータを、得られるだけ記録していった。様々な視点から構成要素を分解し、統合し、これから彼女が取りうる行動予測も試算する。
データが少しずつ情報化され、オーディンの内部ストレージを満たしていく。
同時に、新たな疑問も生じた。
──なぜ、彼女は単独で正面から現れたのか?
彼女の意図が“まるで”分からない。
この素朴にして、本質的な疑問はオーディンを早々に悩ませることとなった。
彼女ほどの技量があれば、いくらでも隠密に動けたはずであり、グノーシスの通信ネットワークへの介入もできるはずだった。
無数の行動推測モデルを用いても、膨大な心理分析を繰り返しても、答えは出てこない。それでも計算することを止めるわけにはいかなかった。止められるわけがなかった。
相手は無限の選択肢を持つ、ジョーカーだ。
まさに“人間”の極致。
彼女が何を考えているのか。
彼女はいったい何者なのか。
──彼女という“人間を知る”必要がある。
【可能な限り、対象を生け捕りにせよ】
ヴァルキリー隊員のゼスト・マーク5戦闘スーツにはオーディンがリンク済み。
オーディンによる指示が彼らの視界に映し出されるとともに、レイの輪郭が縁取り表示された。




