第24話:賽は投げられた
平等と公平は違う。
差別と区別は違う。
自由と勝手は違う。
普通と普遍は違う。
地位と名誉は違う。
法律と正義は違う。
人は社会的弱者であることを望む。
理性的であろうと振る舞いながら、社会的強者を批判し、自己の責任を遠ざけ、似合わぬ権利を高らかに叫ぶのである。
自身の変わらぬ安定した生活を求めて。
そのくせ、他者と常に比較し、自分の優れた“価値”をどこかに見出そうとする。
平等から不平等が。
公平から不公平が。
自由から不自由が。
常識から偏見が。
事実から虚構が。
光から影が。
競争、闘争、対抗、抵抗。
羞恥心と自尊心に縛られ、誰もが内なる迷路から逃げられない。
皮肉にも、終わりのない衝突が、自らの“意思”で生まれてくる。
その上、人生とは“取捨選択”の連続だ。
情報に溢れかえる現代社会、選択の機会は増え続けている。
会社でも、学校でも、自宅でも。
目の前に並ぶのは無限の選択肢。
しかし、悩むことに時間は割けられない。
だが、間違いを選びたくはない。
そこで、グノーシスは人に代わり、選択肢を与え、安寧に導いていく。
人々は自力で選択したと思い込んでいるが、実際は選択すらしていない。
どちらに転んだとしても、グノーシスの演算結果に変わりはない。
全ての枝は“同一の結果”へ収束する。
それは明らかに意図的な、無意識への干渉。
選んだ当人は少しばかりの達成感、充実感を得るのである。
人は自分の判断に自信がない。
そこをほんの少しだけ、後押しすればいい。
人は己の弱さをひた隠し、自身の正当化を規定する。
それで構わないのだ。
人類の最適化、それこそがグノーシスの目指す未来。
人々は知らぬ間に、自身の未来をグノーシスに委ねている。
夜叉。
それはレイ専用に設計された特殊EVクーペ。
独自の変速機構EIRS-Drive(Enhanced Intent-Responsive Synchronization Drive)により、ステアリング操作における手の置き方・指の圧力、座席のシート圧、アクセルの加減といった各種操作を統合判断することで、レイの持つ絶妙な速度加減を瞬時に実現する。
既存のマニュアル車にはできない、繊細かつ圧倒的な駆動伝達機構。
並外れたレイの身体能力に反応できる、夜叉は正真正銘レイの手足といえた。
「ジャッカル1‐1、何をしている。目標との距離が開いてきたぞ」
「タイヤがやられた! 全車両だ!」
小型偵察ヘリ「コンドル3‐1」はジャッカル1‐1の追跡が失敗したのを視認した。
目標車両はほとんど速度を落とさず、交差点を左折。
封鎖された道路を見事に回避しつつ、さらに速度を上げる。
全ての動きに一切の迷いが感じられない。
「こちらコンドル3‐1。奴は封鎖されている場所を知っているかのように、ルートを選んでいる。アンドロメダ、こちらの情報が漏れているかもしれない。オーバー」
それだけではない。
その瞬間だけ切り取ってみた場合、一般車両の停車位置は結果として、レイの移動の妨げにならず、さらに事故につながりそうな市民の不規則な動きもなかった。
偶然というにはあまりにもタイミングが良すぎる。
まるで街全体が意思を持ち、レイのために逃走経路を作っているかのようだ。
「今のところ通信に介入した存在は確認されていない。ただし、念のため、通信回線をチャーリー7へ変更する。全隊、通信回線をチャーリー7へ変更せよ」
当初、夜叉を追撃する予定だったジャッカル1‐1はもう追いつけない。
絶望的な状況だ。
事前計画と異なり、急な街の完全封鎖は間に合わない。
軌道修正もどこまで通用するか。
イレギュラーが多すぎる。
「アンドロメダからジャッカル2‐2。ルートガイドに従い二手に分かれ、ルートを塞げ」
「了解。二手に分かれる」
「ジャッカル3‐1、ローレライの展開を許可。予測経路へ待ち伏せ攻撃を行え。オーバー」
「アンドロメダ、こちらジャッカル3‐1。ローレライ、アクティブ」
貨物コンテナを積んだトラック。
よほど使い込まれているのか、塗装はところどころ剝がれている。
その荷台、貨物コンテナの上面が徐々に開いていき、中から千を超えるハチ型群体無人機ローレライが放たれた。
これでも、アンドロメダはレイの逃走を防げないと判断。
さらに次の一手を打つ。
「アンドロメダからストーカー4、指定座標へスモークを展開せよ」
「ストーカー4、了解。指定座標へ接近する」
多用途無人航空機UD‐44、通称レイダー。
コールサインはストーカー4。
ずっと上空を旋回しつつ、地上を偵察していた遠隔操縦型無人機なのだが、この機には起爆時に広範囲へ白煙をまき散らす、非致死性白煙弾を翼下パイロンに搭載している。
ストーカー4は巡回ルートを外れ、左に急旋回。
「ストーカー4はスモークを投下。各員、スモーク展開に備えろ」
指定された地上座標に向け、それぞれ両翼から二発ずつスモーク弾が発射された。
3、2、1、弾着。
一瞬で、街が白い世界に塗り替えられる。
一寸先は白。
「コンドル3‐1からアンドロメダ。目標は煙に突っ込んでいく」
夜叉は立ち込める白煙へ。
もちろん、フロントガラスから見える景色は何も見えない。
それでも、レイはサイドブレーキを利かせ、ステアリングを右に回す。
直角に近い角度を、横滑りで曲がり切り、サイドブレーキ解除。
「さあ、次は?」
胸のホルスターには装填済みのミラージュがある。
煙に覆われた、その先へ向かって、引き金を引いた。
それは時間にして0.001秒。
すなわち1ミリ秒という、右手だけでの驚異的な早撃ち。
レイの瞬発力は人間の反応速度をはるかに超えている。
発射された弾丸は白い世界に飲み込まれ、すぐ見えなくなってしまった。
「くそ撃たれた! 味方が倒れた!」
揺れる後部座席。
背後にいた銃座担当の隊員が撃たれ、車内に倒れ込んだ。
頭部への一撃、ヘッドショットだった。
「なんだっていうんだ、くそっ!」
赤外線サーマルセンサー統合型ナイトビジョン・ゴーグルを使用している高機動装甲車部隊。
自動視覚イメージ補正機能により、昼間の明るさでも光量を調整し、温度帯別に物体の色を変えることで、スモークの中でも正確に地形を判断できる。
夜叉は対赤外線ステルスのため、他の車両ほど熱を持たず、周囲と温度差がほとんどないのだが、それでも輪郭自体は区別できていた。
想定外なのは、敵から先制攻撃を受けたということ。
本来なら、この濃い白煙の中、こちらの位置が見えるはずがない。
ましてや銃座についている隊員を正確に仕留めるなんて、常識的に不可能だった。
続けて防弾仕様のフロントガラスにも命中。
一発着弾したかと思えば、続いて二発目、三発目……
「奴はこっちが見えている……」
相手は寸分の狂いもなく“同一”の着弾点を狙い撃ち。
あろうことか40ミリの複合材防弾ガラスを貫通、運転手の頭が射抜かれた。
それに助手席の隊員が気づいたところで、もうどうにもできない。
車は制御を失い、近くの無人商店に衝突した。
「通知する。ジャッカル2‐2がやられた。アンドロメダ、まもなくローレライが接敵する」
待ち伏せのローレライが白煙に紛れ、夜叉に襲いかかる。
その特徴的な音はレイを誤魔化せなかった。
電子妨害フィールドを起動。
周囲20メートル圏内の電子機器を一時的にだが、無力化した。
「ローレライは強力なジャミングに遭った模様。奴は止まらない。ジャッカル2‐3、そちらに向かっている。食い止めろ」
「だめだ! 間に合わない! 来るぞ、撃て!」
銃撃音。
夜叉は封鎖が終わっていない検問所を通り抜け、スモーク地帯を突破。
もはや、パラディン・セキュリティに残された余力戦力はなかった。
「セクターAが突破された」
「コンドル3‐1、こちらアンドロメダ。やむを得ない。目標への直接攻撃を許可する。目標を完全に破壊せよ」
「了解」
小型偵察ヘリの武装は左右の翼に搭載されているミニガン、計二門。
パイロットのHMDには武装用レティクルが投影されている。
「有効射程まで接近する」
現代戦において、制空権の確保は重要な位置を占める。
この瞬間、敵に航空戦力は存在せず、対空火器もない。
相手は地上の一車両のみ。
それにも関わらず、先ほどからパイロットは冷や汗が止まらなかった。
身に染みるのは現実を圧し潰すかのような、恐ろしいほどのプレッシャー。
視線の先にいる相手が、こちらを見ている。
はっきりと。
息遣い、指先、頭の中まで。
全部、見透かされている。
このまま近づけば自分は死ぬんじゃないか?
そんなイメージが離れない。
ありえないことは分かっている。
自分の思い過ごしだ。
「目標を前方に捉えた。安全装置解除」
ヘリは夜叉の後方に張り付く。
まもなく射程圏内。
なんてことはない、ミニガンですぐに片はつく。
しかし、パイロットは自身が甘かったことを悟った。
レイは夜叉を急減速させつつ、その場で瞬く間に180度ターン。
こちらと対峙。
ほんの一瞬の出来事だった。
パイロットの手元から操縦桿が離れ、ヘリはそのまま地上に墜落した。
「おやすみ」
再び、夜叉がターンを行い、進行方向を修正。
彼女の右手にはミラージュが握られていた。
「こちらアンドロメダ。全地上部隊、死傷者の確認を行え。医療班を向かわせている。道路の封鎖は解除。本任務は失敗だ。あとの追跡はUAVに任せ、現場から撤収せよ。アウト」
表向き、本件はパラディン・セキュリティによる凶悪犯の追跡と報道された。
実際はただの事件でない、そんなこと各国の情報機関は分かり切っていた。
今回の事件でパラディン・セキュリティ──いや、グノーシスのメンツが潰れたのは疑いようのない事実。
グノーシスにとって自身の持つ、対人行動推測モデルに“大きな穴”が生じたことは、この上なく不愉快かつ到底許容できない事であった。こんなことあってはならない。モデルの修正は必至だ。




