第15話:シェイクスピアから花束を
平和において武力は装飾品だが、戦争において武力は必需品である。
平和において戦争は最終手段だが、戦争において平和は最終目標である。
乾いた空気が、診療所の布壁を擦るたびに、微かにきしんだ。
夜のベンティウ。
外では今でも彼方で銃声が鳴り響く。
静かに上下する少年の胸。
血まみれのシャツを切り裂いた下、腹部には銃弾が深く食い込んでいた。
「もう……手遅れです、ドクター」
現地スタッフの看護師がそう言ったが、彼女は答えなかった。
代わりに医療用手袋をはめ、建築作業に使われるLEDヘッドライトを額に巻く。
その動きには一つの迷いもなかった。
彼女の名はシエーナ橘。国境なき医師団の外部協力者として登録されている。
だが、それは偽名であり、八咫烏として生きる存在、伊波レイ。
この難民キャンプにいる本来の理由は“治療”ではない。
しかし、今の彼女の立場はあくまで医者だった。
テーブル代わりのコンテナに少年を寝かせる。
器具も薬品も不足する環境で、レイは即座に代替措置を開始した。
体温保持のためにアルミとビニールを用いる。
呼吸が浅くなるたび、彼女の動きはより素早くなっていく。
ステンレス鋼製ナイフをターボライターの青い炎にくぐらせ、滅菌処理。
「開腹する」
レイはメスの代わりにナイフを入れた。
手元を照らす明かりは無影灯ではない。
それでも、刃は正確に血管と筋肉をかすめ、損傷部へ届く。
弾丸の先端は腸管の内側を裂いていたが、幸いにも動脈をすんでのところで逸れていた。
異物の摘出、壊死しかけた組織の切除、傷口の縫合。彼女は一人で、完璧に、それを行った。
「縫合完了。経過観察はしておいて」
呼吸がある。
その重みを彼女は十分に理解していた。
少年に毛布を被せ、すぐに次の重傷患者を見に行った。
その外、キャンプの上空には複数の武装ドローンが巡回している。
パラディン・セキュリティの無人機だ。
キャンプ近くには彼らの警備所もある。
反政府武装勢力による銃撃や夜襲が珍しくもない、東アフリカの国、南スーダン。
国連からの“平和維持活動”委託という名目でパラディン・セキュリティは自前の部隊を展開させている。
残念ながらこのご時世、少子高齢化や移民問題で先進国はアフリカ諸国に配慮する余裕などなく、国連でさえ世界情勢に揺さぶられ、予算の縮小が続いている。特に紛争地域への派兵などは各国世論の抵抗と合わせ、政治的にも厳しいハードルが存在した。
先進国からの軍事的支援も含めた援助に陰りが見え始めれば、弱体化していた武装勢力の再興を誘発する。これではせっかく軌道に乗り始めた国家運営の妨げに直結、国内の混乱と紛争による泥沼化へ逆戻りだ。
しかし、実際のアフリカ諸国は当初の予測より、生活水準が飛躍的に向上した。
平均寿命の長寿化、教育体制の充実、公衆衛生の改善。
この危機的状況を打開したのは国連ではない。
世界企業連盟である。
国連。国家間の国際組織と聞けば聞こえはいいが、実際は加盟国の世論や経済状況といった課題に弱く、組織自体の独立性、法的拘束力も低いのが実態だ。
そんな国連を経済的に支え、中立性を保証してくれる存在が世界企業連盟だった。
行動力もあり、様々な国での実績も十分。
難民への医療、食料、住居の提供。
インフラ整備、雇用の創出、高度情報化の促進──
今や、国連にとって世界企業連盟の支援、寄付は必要不可欠なものになっていた。
難民キャンプの診療所、医療物資コンテナにはネオライフ・アルカディアのロゴが、子供たちへの教育用タブレットや教育者向け端末にはシャムロック・ソリューションズ、ヴェルニル・バイオ・インテリジェンスの文字が描かれている。通信基地、機器にはヘリックス・ネットのロゴだ。
また、食糧品の供給、加工、輸送にはソレス・フューチャーラボ、スタディオン・フードサプライ、トランスフラックスが関与している。
この国の“社会構造”は世界企業連盟によって形成されつつある。
政府も、市民も、国連も、それを歓迎していた。
藍色の空が薄っすらと緑がかり始める朝5時。
レイは警備所にいるキャンプ指揮官レズモンド・ウェイズの元を訪れた。
部屋にはいくつもの地図が張り出され、机には書類の束が山積みで置かれていた。
「これはドクター・シエーナ、どうぞ、こちらに」
彼とレイは立場上、よく話を行い情報の交換をしていた。
「昨晩はとても大変だった様子……もしかして寝られていないのでは?」
手にしていた書類を脇に置き、レズモンドは老眼鏡を外す。
「ご心配なく、ちゃんと寝ていますよ」
「あなたがここに来てから、救命率はとても上がっている。弊社の重傷隊員もそうだ。救われた命は千をゆうに超えている。本当に感謝しかない」
「レズモンド、医療物資が足りないの。圧倒的に。今すぐにでも追加物資が欲しい」
「ドクター、その点は重々承知している。上からの話では今日明日で、今までの二倍以上の物資が到着する。その後も継続して、物資は増やしていくとのことだ。もちろん、現場スタッフや警備も増員する」
彼はレイへ今後の輸送計画とその内容物を記した資料を手渡した。
「物資を狙う勢力も出てくるのでは?」
「あまり大きな声では言えないが、戦闘部隊を合わせて増強する予定もある。表向きは輸送物資、難民キャンプの護衛だが、実際は反政府勢力の一掃が目的の増員だ」
パラディン・セキュリティはすでに無人兵器を戦闘で導入。
味方との協調行動を行いつつ、敵を捕捉、排除する実用段階にある。
日々、膨大な戦闘データが軍事AIアンタレスにより解析され、戦闘用ソフトウェアのアップデートが行われていた。
【陸戦用無人機】
・RAV‐07 レイヴ 汎用高機動装甲車両
・WLS‐16B ウルサール 四足歩行式自律機動兵器
・SX‐40 セーバー 対人用自己警戒機銃
・MCE‐08 マウス 超小型広域通信妨害車両
【航空無人機】
・UD‐44 レイダー 多用途無人航空機
・RE‐15 ローレライ ハチ型群体無人強襲機
・AA‐37 ストーム 歩兵随伴式無人機
現代の戦場において、小型・安価だけでなく、人命も不要の無人兵器は非常にニーズがある。
「ヘリ、装甲車、無人兵器の追加だけじゃなく、新たな技術を採用した実験部隊も来るらしい。最初からそうすればいいと思うが、上には上の考えがあるようだ」
二人とも口には出さなかったが、会社の企みはある程度読めていた。
パラディン・セキュリティ上層部は無人兵器の実戦データを集めている。
少しずつ状況を変えて。
だから、兵器や人員を小出しにしているのだ。
世間的には“反政府勢力の抵抗”が予想より大きいとでも示して。
用が済めば一気に敵勢力を殲滅、社会復興に力を注ぐというシナリオだ。
「この紛争が早く終わることを祈るわ」
「それは我々の仕事だ、任せてくれドクター」
この紛争は世界企業連盟に操作されている。
反政府勢力のスポンサーもおそらく世界企業連盟だろう。
その上、“流れ”は計算し尽くされている。
裏でグノーシスが関わっているのは違いない。
この地は彼らの実験場だ。




