第14話:精神の器と生命の形
命の価値を決めるのは果たして誰なのか。
自分か?
医者か?
機械か?
それとも法律か?
この問いに答えてくれる者は誰もいない。
地下二階、バイオラボ。
ここで行われているのは人体実験だ。
グノーシスにとって不都合な人間を実験体にして、データを取る。
口封じも兼ねた、合理的で無駄のない人的資源の活用。
人体の機械化再建手術、すなわちサイボーグ化をはじめ、機械補助脳の追加、神経伝達回路の操作、人格のデータ化。
それら全てがヴェルニルの持つ、サイバネティクス技術の結晶だった。
ちょうど一人分の幅しかない換気ダクト内、レイは周囲の反響音を聞き分けながら、ほふく前進していく。
「D‐078、神経接続テスト開始。バイタルは安定」
「ヴィクター2‐3、クラスC被験体三体の移送準備作業にかかれ。定期VTOL出発時刻は0500」
真下の廊下では警備兵達がベッドに寝かされている被験体を部屋から運び出していた。
研究員の往来も激しくなってきている。
目的地はまだ先、地下三階だ。
進行を妨げる格子状フィルターをナノナイフで切断。
続く左右分岐路。
左に進み、下層のダクトを見つけた。
狭い中、器用に身体を曲げ、下へとゆっくり下っていく。
感じるわずかな気流、温度、振動の変化。
感覚だけを頼りにし、地下三階のサーバルームを目指す。
地下三階、サーバルーム。
ここが島の心臓部だ。
レイは素早く送風ダクトから降り、状況を把握。
室温21度、窒素濃度99%。
冷却用液体窒素に直接浸された無数のサーバ群。
部屋全体は陽圧で常時、温度管理された空冷窒素循環式。
液槽ラック自体も外から液体窒素を局所噴霧して冷却する局所冷却方式。
優れた三重の窒素冷却システム。
おまけに侵入者対策としても、この冷却システムは機能している。
部屋自体が窒素で満たされているため、酸素が存在していない。
当前、サーバルームに酸素マスクなどなく、非常用出口も一切存在しない。
出入り口は一か所のみ。それもAIアンタレスの許可が必要。
この環境下で動ける人間はいない。
ゆえに警備兵は配置されていない。
カメラも気化した窒素による煙で精細さに欠けるため、最初から設置されていない。
完全無人。
これはレイにとって非常に好都合だった。
窒素に包まれた部屋の中、オーディンと接続されているサーバを探す。
事前情報はない。
ただし、目星は付く。
稼働音、発熱量に応じた窒素の気化量、間接的な情報を手掛かりにそれらしいサーバを見つけ出した。
点滅する緑色の稼働ランプ。
上面ネームプレートにはODINの刻印。
間違いない、オーディン・ノードだ。
表には専用端末をはめ込み、物理接触するために使われる金属端子接続板。
左手袖、収納されていたペン型ハッキングツールを右手で掴み、そのまま先端を金属板へつけた。
絶妙な接触圧、距離。極低磁界を断続的に発生させ、磁気記録要素に干渉。
メモリ状態を部分的ながらも構造的に切り替えさせた。
これにより、OSを介さないストレージアクセスが完了。
合わせて、正規OSの起動を遮断しつつ、右手を使い、自身の携行端末にケーブル接続。
異常検知されることなく接続完了。
ツール先端から微細振動パルスを注入、指先の静電気とパルスの強弱で、さらにレジスタをこじ開け、機密ファイルを端末へ高速転送。
事実上、この状態ではAIアンタレスによる防御メカニズムは無意味だった。
なぜなら、AI序列として上位AIオーディンに優先権が存在し、オーディンは独自セキュリティ網を構築している。その内部セキュリティが電子的なものである以上、レイのハッキングは防ぎようがない。
痕跡を残さず、レイは情報の奪取に成功した。
ケーブルを外し、ツールでノードを再沈静化。
警報装置は無反応。警備が来る様子もない。
来た道を静かに引き返し、換気ダクトを上っていった。
地下排水管。
水の流れ、潮の匂いが伝わってくる。
誰にも悟られることなく、潜入口まで戻ってきたレイ。
出番のなかったミラージュから弾倉を抜き、スライドを大きく引いてチャンバー内の実包を排出、回収。サプレッサーも取り外した。
密閉装備パックへそれらをしまい、リブリーザー、フィン、酸素マスクを装着し直す。
音もなく着水。
排水状態を見極め、潜水した。
流れに乗りながら、本日二回目のローターブレード。しなやかに身体をひねり、紙一重で回転刃をやり過ごした。
次に格子状フィルター。
これは簡単。最初に通過した同じ箇所を通るだけだ。
未だ暗闇に包まれている海。
潮流は変わっているが、無人潜水機の数は変わっていない。
定点ソナーにも気を遣いつつ、底を這い、島から離れていく。
警備網から外れる頃、流されていた水中スクーターを発見。
手元に取り戻し、起動。
さらなる推進力を得たレイは中継地点へと向かった。
深度80メートル、中継地点オスカー・デルタ。
指定場所には無人小型潜水艇が到着済み。
レイは水中スクーターを背部格納庫へ押し込み、左側面にある持ち手を掴んだ。
圧力感知。
これを合図に電気駆動スクリューが高速で回転を始め、母艦へ引き返し始める。
ピン……ピン……
聞こえてきたのは海中を伝う特徴的な音。
もちろん、知っている。
これはアクティブソナーだ。
音は次第に間隔が短く、音も合わせて大きくなる。
しばらくするとソナー音は停止。
そのころには前方から接近してくる潜水艦の形がはっきり見えた。
船体側面部が一部開き、水中用低圧スライディングハッチが展開。
迎えられるようにレイは滑り込んだ。
潜水艇とともに浮遊状態のまま艦内に収容。
内装デッキアームによって、潜水艇は動かないよう固定された。
「サイレーン1の回収を確認した」
「了解。艦内デッキの排水開始」
ハッチ閉鎖後、水の排出作業が開始される。
それはゆっくりと、でも着実に。
これは魔女の帰還。
「目的地、オスカー・ゴルフ」
レイの回収を終えた潜水艦はモーリシャス方面へ転進した。