第13話:鍵は秘密に、秘密は鍵に
自然と人工の調和。
人と機械の融合。
現実と夢の境地。
全体像を知るものはヴェルニル社内でもごく少数。
秘密のベールに覆われたプライベート・アイランド、グリーンパール。
警備にあたるパラディン・セキュリティ兵は誰も愚痴をこぼさず、ひたすら異常がないことを確認していた。
身に着けているのは最新の戦闘スーツ。これにより、身体の輪郭をぼやかす迷彩効果を得るとともに、基礎身体能力の向上を実現できた。加えてAIアンタレス同期の熱源感知・暗視装置は夜間や雨天でも正確に熱を帯びた物体を捉え、専用ヘッドセットでは島内各所に仕掛けられた集音装置から音も拾える。
警備兵は約130名、三交代制シフト。地上警備班40名、地下警備班20名、海中警戒、ドローンオペレーター20名、予備部隊30名で編制。研究員は約40名。いずれも表向き社員名簿には存在しない。
「ハンス、ラメシュ博士とともにA5へ向かえ。博士が客人の尋問を希望している」
「了解。エレベーターホールに向かう」
不自然なほど静かな空間。
警備兵の足音と息遣い、空調システムだけが小さく響きわたる。
ハンス・アーヘンは廊下を歩き、下層へ繋がるエレベーターに向かっていた。
まるで囚人を集めた監獄にも思える、ここには現在、30人が収容されている。
中には大けがしている者、下半身不随の者もおり、点滴や車いすも用意されていた。
状況も分からず、声を上げて抗議している者がいたが、遮音されているために、警備室以外の警備には全く聞こえていない。全く無駄な行為だった。
各部屋は廊下を挟み左右に並び、金属柵と強化ガラスによる二重壁で構成され、外から電子ロック。
収容区画の出入り口には強化ガラスのセキュリティゲート。
また、一階へ続く通路には警備室と警備兵の待機室が併設設されている。
エレベーターホールには当然監視カメラ。
エレベーターを呼ぶにもIDカードが必要だ。
地下三階からエレベーターが動き出し、地下一階に停まる。
滑らかにドアが開き、中から一人の男性が出てきた。
「すまないね。下では色々立て込んで、なかなかこちらに顔を出せない」
「いいえ。問題ありませんよ、博士」
彼はニキル・ラメシュ博士。ハンスの先導がなくとも、慣れた足取りでA5へ向かう。
「ソフィア・タナカ、ヴェルニル所属、専門は神経工学、身体は五体満足、容疑は極秘ファイルへのアクセスか。なるほど。面白い」
部屋A5。
ドア前のカードリーダーにIDカードを挿入した。
【監視システム】ミリタリー・クラスタAI〈アンタレス〉
【稼働状況】正常
【施設責任者】クレア・チェン
【権限者コード】35
【名前】ニキル・ラメシュ
【本人認証】完了
ロック解除。
混乱しているであろう、ソフィアにすぐ声を掛けた。
「来るのが遅くなって申し訳ないね。順番待ちが多いんだ。ああ、そのまま動かないで。少し機器を付けさせてもらうよ。ウソ発見器みたいなものさ。正直に私の質問に答えてくれ」
「あなたは何者なんですか」
正直、このような流れになるのは毎度飽き飽きしていた。
ただ、データを得るためには仕方がない。
今まで音のない部屋の中、不安と恐怖に支配されていたのだ。
ここから、どのような心理的変化を示すのか、それもまた貴重なデータだ。
「心配しなくていい。私は君と同じヴェルニルの社員さ。ただ、所属している部門は違うがね。さっそくだが、君はどこかのスパイかな? 何が目的だ?」
形式上の質問だ。
ウソ発見のための技術開発も兼ねているだけ。
ポリグラフ捜査の一種。
これ自体はヴェルニルにとって重要な項目ではない。
「そんな……アクセスログの話なら知りません」
アクセスログの解析についてはパラディンの専門チームが散々調査している。
ここで彼が質問する意味は正直なかった。
心理データを総合するに、彼女は嘘をついてはいない。
そう、データは彼女の無実を表していた。
「ふむ。嘘は言っていない。アクセスログによると、ほんの十数秒のアクセス。その間、君は食堂に向かっていた、と」
「ええ。オーディンに音声でデータ解析を頼んだ。その後、すぐに部屋を出た」
「確かに辻褄はあう」
状況的にソフィアの犯行は不可能。
手元の資料には「不審アクセスに関して、彼女は無実」と記し、署名した。
「よし、これで取り調べは終了。君は無実。ここから出ようか。さっそく地下二階の処置室だ」
「なに、処置室って?」
「さあ、立って」
ここから先が彼らの仕事。
ハンスの手で、ソフィアを立たせ、部屋から出た。
「ねえ、帰してくれるんでしょ? 答えてよ!」
ソフィアの口は自由に動く。
これすらデータ収集の一環だ。
感情の高ぶり、苛立ち、そして自分の無力さを味わい、再び不安の谷に突き落とされる反応。顕著に表れ、非常に面白い。
「何か答えて!」
「エレベーターに乗るよ」
「さっさと入って」
「ちょっと、聞いてるの?」
「もちろん聞いているよ」
ベッドに寝たきりの人間も搬送できる、大きめのエレベーター。
階層は地下一階から地下三階まで。
アクセス権限のないものは階層の選択そのものができない仕様。
「さ、着いた。ここから先が我々のラボだ」
扉の先は地下二階。
肌を伝うのは底知れぬ冷たさ。
それは温度ではない。
異様な雰囲気だ。
目隠しされているがゆえに、どうしても聞き耳を立ててしまうソフィア。
今まで聞こえなかった、たくさんの話し声が聞こえた。
人が大勢いる。
あれほど孤独で寂しい思いをしていたのに、今では人が恐ろしい。
飾り気のない、隔離された無数の部屋。
それぞれ手術台、医療用ベッドが並び、試薬や薬剤を保存する冷蔵保管庫も複数常備。
廊下の液晶モニタにはいつ、どこで、どんな処置が行われるのか、の予定一覧。
それだけでなく、“被験体”の状態も合わせて表示。
中には「被験体C‐401:不適合→廃棄処分」という表記も見られた。
「D‐078、神経接続テスト開始。バイタルは安定」
「ヴィクター2‐3、クラスC被験体三体の移送準備作業にかかれ。定期VTOL出発時刻は0500」
警備兵の数も以外と多く、ベッドに寝かされている者を運び出していた。
彼らの動きに迷いはない。
「いったいここで何を」
「表ではなかなかできない実験だよ。君達、表部門もデータ自体にはお世話になっているはずだ。特に脳神経、記憶・感覚領域はここでの成果が大きい。オーディンにとってはリアルで価値のある情報源なんだ」
「まさか、あなたたち、オーディンに非合法実験の内容を……」
「ここでは法律が意味を成さない。裁く者がいない」
処置室の一室へ案内されたソフィア。
そのまま椅子に座らされ、両足を金属の拘束具で固定された。
力づくで取り外せるようなものではない。
「動かないで。下手をすると脳が死んでしまう」
両手の手錠は左右それぞれに分離、手首が椅子のひじ掛けへ。
小刻みに震えているのが自分でも分かる。
止められない。
「何をする気?」
首、両手が追加で拘束。
椅子は平らな手術台へ変わり、様々な機械、器具が持ち運ばれてくる。
「お願い助けて」
左腕には冷たい感覚。
得体のしれない液体が血管を通じて、自分の中に流れ込んでくる。
「これから麻酔をかける。何も心配はいらない」
頭上に移動してくる無影灯。
口元には麻酔吸入装置が取り付けられ、段々と世界の輪郭があいまいになっていく。
まぶたが重くなり、視野は狭まる。
消えてゆく音。
消えてゆく景色。
「よしハンス、君は退出してくれ。被験体B‐230、これから人格上書き実験を行う」
彼女の意識はここで途絶えた。