序章:失われた報告書(未承認)
出典:CIA特別分析局内文書(Protocol VOID)
分類:REDACTED
閲覧制限:Dクラス以上
観測日時:2027年4月19日 21:43(UTC+2)
場所:プラハ第三区域 旧市街、チェコ共和国(指定暗号区:Nocturne-3)
報告者:コードネーム【Echo-One】(生存未確認)
彼女は、音を持たずに通り過ぎた。
この記録が許されるのなら、まずそれだけを残しておきたい。
三名の現地工作員がすでに潜入していた。私は彼らの上から支援分析を担当し、リアルタイム衛星監視と音響データ解析を行っていた。だが、彼女が現れた瞬間、すべてのモニタが“静寂”を示した。
音が途切れたのではない。音そのものが存在していなかった。
都市ノイズ、風、血流の微音、地下鉄の揺れ──
全てが、彼女が通過した0.4秒間だけ消えていた。
工作員の一人が無言で倒れた。戦闘も介入もなく、ただ伏した。
彼はあとでこう言った。「何もされなかった。ただ、心臓が止まりかけた」と。
モニタで対象を確認。
日本人女性。おそらく20代後半。
黒髪、目立った外見的特徴はなし。視線は一度も交わっていない。
だが、相手に“こちらの全てを観測された”という感覚だけが残っている。
以降、複数の通信ログが自動削除され、映像記録は全て破損。
AI復元により解析を試みたが、全ての出力に同じ単語が浮かび上がる。
濡羽色の魔女
〝The Raven-Haired Witch〟
このコードネームは過去にも断片的に出現しており、MI6、SVR、BND、モサドの一部高機密記録にて一致。
ただし、いずれの機関も“そのような対象は存在しない”として公式言及を避けている。
私個人としては、この存在が我々の論理体系外にある“別の秩序”である可能性を排除できない。
あまりにも未知の世界だ。それでも自分の感覚が訴えてくる。
今すぐそこへ飛び込むべきだと。理解の、その先へ。
【補足】
本報告書は、提出直前に削除命令が発令され、印刷版1部のみが記録室に封印された。
報告者Echo-Oneの現在位置は不明。
全データはProtocol VOIDに基づき、“沈黙の封印対象”として保管中。
——この記録は存在していない。だが、誰かが記憶している。




