第九話 茶会にて
ルシルは少し困っていた。
先ほどから、自分の足に纏わりついて離れないレイモンドにだ。
「申し訳ありません、ルシル様。どうしても、お部屋には戻らないとおっしゃって」
大公城で保護されたレイモンドとデボラは、ルシルのいる本館とは少し距離の離れた別棟で暮らしている。そもそも得体のしれないルシルを本館に置いて、か弱い二人を離れに置くのはどうなのか?と思うが、大公の決めることに口は出せない。
ぎこちない最初の晩餐から暫く経ち、ルシルはその間、大公城の客人として丁寧にもてなされた。
名目上、レイモンドの教育係を拝命したので、毎日数時間はレイモンドとデボラに会えるようになった。聞けば、レイモンドは暫く身分を隠す必要があるとかで、殿下とは呼ばれていない。そして、乳母も新しく雇われなかった。
大公城の庭園は、華やかではないが素朴で美しく、明るい日差しを遮るガゼボも、色鮮やかな柔らかい布地を使って居心地よく整えられている。
「れい、るしといるの」
まだ幼いレイモンドは、母親の死を認識できていない。デボラが唯一の知っている大人で、次がルシルだ。ルシルは、レイモンドにとっては、新しい友達、のような感覚なのだろう。
「レイ、これからルシは大公様とお約束があるのよ。いい子だから、また明日遊ぼう」
教育係とはいえ、まだ三才の幼子に何を教えるべきか全くわからないルシルは、初めはレイモンドと遊びながら、時折魔法で簡単な手品などを見せていた。
どうやらロトでは魔法をもっと原始的な手法で行使しているようだ。
したがって、小さいころから自然と魔法を発現するまでは、他人の魔法に多く触れさせることが教育に良いとされているのだ。
レイモンドは皇族だけあって人族としてはかなり魔力が多く、ルシルにとってもやりやすかった。時々、幼い神族に行われる魔力循環の補助をほんの少し試してみたりもしている。
彼は、ルシルと魔力の相性が良いらしく、手をつないだり、抱きしめたりして魔力が自然と軽く混ざり合うのをきゃあきゃあ笑って喜んだ。神族の子供たちは、本来意識的に少しづつ大人の魔力をもらって循環の補助をしてもらい、体内魔力を呼び起こすものだ。
ルシルの魔力に抵抗がないレイモンドは、そうして時々ルシルに魔力を与えられることで、人族にはありえない速さで、魔力発現に近づきつつあった。
(ハア、可愛いにもほどがあると思う)
「レイ、どこにいるの~?」
何重にも重なったルシルのドレスの裾をかぶって、隠れたつもりになっているレイモンドを、わざと探すふりをしていると、結局こらえきれずにきゃあきゃあ笑っている。
ルシルには幼い兄弟がいなかったので、この小さくて、温かくて、いい匂いのする物体は、初めて出会った圧倒的な癒しだった。ドレスを持ち上げて身体を抱きあげると、まだふわふわの細い髪が、頬をくすぐる。手も足も、何もかもがミニチュアのような小ささ。
子供というのが、こんなにも可愛らしい生き物だとは、思ってもいなかった。
「レイ。本当はもう眠いのね」
抱き上げたことで、レイモンドの体温がいつもより高い事に気が付く。遊びながら食べたおやつでお腹がいっぱいになり、そろそろ昼寝が必要そうだ。
一緒に過ごす時間が増えて、魔力を馴染ませたせいもあり、ルシルはレイモンドの体調の変化にも敏感に気が付くようになっていた。これではまるで……。
「まるで親子のようだな」
後方からかけられた静かに響く低音の声。
ぱっと振り向いたルシルに、眩しそうに瞳を細めた大公がゆっくりと歩み寄った。
「大公閣下、ご機嫌麗しく」
慌てて礼を執るルシル。さっと使用人たちも礼を執り、すぐに距離を開けて下がっていく。
「少し早く着いてしまったようだ」
ルシルに抱かれているレイモンドを見ながら、気まずそうに言う大公。ルシルは笑って、首を振った。
「いいえ、レイモンド様がいつもより長く残られたのです」
そう話している間にも、うとうとと目が閉じていくレイモンドを、大公の侍従が引き取って抱き上げると、遠くに下がっているデボラの方に近づいて行った。
「教育係というのは名目なので、それほど真剣に時間をさかなくともよいのだが」
「いいえ、素性も解らぬ私を置いて頂く以上は、何かお役に立ちたいので」
大公とは、毎日こうして午後の遅い時刻に庭園でお茶を飲むことになっている。貴族の暮らしはルシルにはわからないので、そういうものかと思っているが、テロイアの仕事で忙しいイメージの公務員というのは、貴族制の頃とは何かが大きく違うのか。
もちろん、どこかの間諜かと疑われてこちらを観察するためかもしれないが、ルシルにとっても、毎日大公に会って親交を深められるのは、願ってもない事だった。
記憶の事や体調の事など、毎日尋ねられるのは正直面倒だが、それ以上に、雑談をしながらこの国の事情が知れるのはありがたい。そうしてどうにか機会を探しながら、少しでも早くあの森に戻って、山の向こうの海を目指したい。
テーブルにはティーセットと甘味が用意され、ガゼボには二人だけが残された。
護衛騎士も使用人たちも、目に入らない位置までさがってしまうのだ。
ルシルはまた、大公閣下の周囲の不用心さに戸惑いながらも、恐らく自分のか弱い令嬢演技が完璧なのだろうと気にしないことにした。
この国では、女性が間諜だったり、刺客だったりすることは殆どないのかもしれない。そもそも自分を助けてくれる希望である大公に害意を持つわけもなし。
たとえ今、逆に刺客が襲って来ても守ってみせます、大公様!
「そういえば昨日は、他種族の事を知りたいと言っていたな」
「はい、何か記憶が戻るきっかけにならないかと」
「ふむ、人族以外にこのあたりでも見かけるのは……獣人族とドワーフくらいか」
「そうなのですね、例えばその、だいぶ離れたところでは、神族や龍族なども?」
かなり思い切って尋ねてみたが、大公は驚いた顔で固まっている。まずかったか。
ほんの少し青ざめて、慌てて愛想笑いを浮かべたルシルに、大公はふっと破顔した。
「はは。冗談を言うくらいには落ち着いてきたようで良かった」
「……恐れ入ります」
遠くの方で、使用人たちが騒めく声が小さく聞こえる。これだけ離れていれば、会話の内容は聞かれていないだろう。念のため、悪いと思いながらも、耳に魔力を集めるルシル。
『見て、閣下が笑ったわ!お話が盛り上がっているのね!』
『この様子なら、明日は楽隊でも呼んで音楽を流すというのはどうだろう』
使用人からはどうでもいいような会話しか聞こえてこない。こちらの会話が聞こえて、ルシルの非常識に気が付いている様子はなく、ほっとする。
楽しげに笑っていた大公が、咳払いをすると、わざと真面目な顔を作ってルシルを見た。
「隔絶の山の山頂には、本当に神族が住んでいるというのを知っているか?」
ルシルの心臓が音を立てた。大公は、面白い冗談を言う時の顔だが、ルシルは真剣だ。
「いいえ、そんな話は知りません」
「北部では有名なおとぎ話だが……。恐ろしい話でもあるから、幼い令嬢には聞かせないのかもしれないな」
「どういうお話なんですか?」
身を乗り出すルシルに、にやっと笑った大公は、ことさら恐ろし気な声で話し出した。
「その昔、大陸を去った神族は、族内の罪人を拘束したまま北の山に残していった。そして残された罪人は、魔力で人族や魔物をおびき寄せ、その身を食らって生き延びた」
あまりの内容に、ごくりとつばを飲み込んで、青ざめるルシル。
「神族というのは、とても残忍で傲慢な性質で、人族だろうが、魔物だろうが、生き物を北の山で見つけると、すぐに捕らえて食ってしまう。ある時北の国の王が、これを討伐せんと山に入り、そして大軍ごと、二度と戻ってこなかった」
「残忍で傲慢……」
「その年北の山では酷い吹雪と大きな雪崩が起き、雪にはたくさんの人骨が混じっていたという。多くの装飾品も見つかり、神族が食べ残しを投げてよこした、と言われている」
「た……食べのこし……」
いよいよ具合が悪くなり、少し前かがみになるルシル。いったいなにがどうなって、神族のイメージがそんなことになったのか。
「神族は永遠に生きる種族だそうだが、神族の拘束具は千年の時も解けないので、今でも山頂で神族が拘束から逃れようとたけり狂うと、吹雪になるというような話だ」
あまりの神族の印象の悪さに、唖然となる。
永遠に生きるだなんて、それこそ悪魔じゃあるまいし。人族や獣人族より少し寿命は長いが、エルフやドワーフだって大して変わらないじゃないか。
言葉が告げられないルシルを見て、大公は慌てた。
「令嬢には向かない話題だったか、すまない。これは俺の気が利かなかったな」
大公はバツの悪そうな顔をすると、青い顔で固まってしまったルシルに、手ずから紅茶を継ぎ足そうとして失敗している。ぼんやりとそれを見て、つぶやくルシル。
「神族は恐ろしい悪者なんですね……」
「まあ、そうとも言えるな。神族も龍族も、古い時代にはここに実際暮らしていたといわれているが、空想の生き物だという者も多い。つまりはおとぎ話だがな」
おとぎ話の中でも、そんなにまで悪者では、実際見つかった時の心象は良くないだろう。
実際に見つかった時……、もうこれは、見つかってはまずいのでは?
「た、例えば、本当に神族が見つかったとしたら、どうします?」
「必ず俺が殺す」
思いがけず、大公から殺害宣言を受けたルシル。
あまりの殺伐とした状況に、もう笑うしかなかった。
「あ、ははは」
「まあ、空想の化け物が実在したら、の話だからな」
「バケモノ」
「この北の地でそんな大変な目に合う事はないから安心していい。例え何があっても、俺がいる限り、決してそなたは危険な目に合わない」
「アリガトウゴザイマス」
ルシルが、気分が優れないので先に戻ると言うと、大公は慌てた顔でルシルの手を取り、再度謝罪してきた。
確かに、ルシルには怖い話だったので、謝罪を受けておいた。
神族は、旧大陸ロトではとんでもないバケモノにされていた。
魔力量の多さや、気性の荒い者が多い事から、テロイアでもその存在は多少恐れられているふしはあるが、少なくとも最強種族である二種族を皆が敬い、それなりに頼って暮らしている。
ルシルは、そんな神族である自分を誇りに思っていたし、人助けが好きだった。
大公様、バケモノハ退散シマス。
なんだかやさぐれた気分になって、その日は夕食も取らず、早めに寝てしまった。
次回は大公視点になります。