第八十五話 私の居場所
「わああ!ちちうえだ!ははうえもいる〜!」
湖の畔で遊んでいたレイモンドは、転移で戻った二人を見つけると、顔をクシャクシャにして走って来た。
「レイ!ただいま!」
初めは泣かないように我慢していたようだが、走ってるうちに我慢できずに、声を上げて大泣きしている。
大声で泣きじゃくりながら慌てて走るせいで、レイモンドは途中で下草に躓いて勢いよく転びかけた。
「あ!公子様!」
デボラや護衛騎士達が慌てて走り寄ろうとする前に、風の魔法を短く詠唱してふわりと着地したレイモンドは、顔色を変えた大人達を振り向いて、照れたように泣き笑いした。
「レイ、だいじょぶ。いたくないよ!」
少し目を離しただけでも、子供は驚くほどの成長を見せてくれる。ルシルは立ち止まったレイモンドに走り寄ると、抱き上げてその勢いのままにくるくると回った。
「ああ、レイ!可愛いレイモンド!会いたかった!」
「きゃははは!ははうえ!おかえりなさい!」
レイモンドの明るい笑い声が湖畔に響き、爽やかな夏の風が吹き渡った。
「レイモンド、良い子でいたか」
ゆっくりとルシル達に追い付いて、優しく微笑むフェリクスに、レイモンドは紫の瞳をキラキラと輝かせた。
「ちちうえ!おかえりなさい!レイはたくさんねて、たくさんおべんきょと、まほうのれんしゅしました!」
目は真っ赤で、顔中が涙で濡れていたが、フェリクスの前で鼻息荒くキリッとしてみせるレイモンドに、ルシルやデボラも思わず吹き出した。
「そうか、偉いぞ。これからは私の留守はお前に任せるからな。城の皆を守れるようになるんだぞ」
「はい!おまかせです!」
ルシルから抱きとったレイモンドをフェリクスが肩車すると、レイモンドは一層楽しそうな歓声を上げた。
「レイ。私達ね、これからもずっと一緒よ」
「ずっといっしょ?」
「うん。皇帝陛下に約束してもらったの。父上と母上はレイが大人になるまでずっと一緒にいて良いって約束」
「ほんとう?やくそくね?」
「ええ。約束ね」
ルシルが教えた指切りをする為に、小さな小指を一生懸命伸ばしてくるレイモンドに、ルシルは胸がいっぱいになった。
(フェルと一緒に、この子をきっと幸せにしよう)
見知らぬ土地で慣れない自分に、毎日小さな温もりをくれていたレイモンド。
(もう決してあんな悲しい思いはさせたくない)
誰かに愛してもらいたくて、でもその方法が分からずに感情を抑えこんでいるその姿は、ルシルに自分の幼い頃を思い出させた。
(私が両親にしてもらった事、してもらいたかった事を全部、これからこの子にしてあげられるのね)
ルシルはこれからの三人の未来を想像するだけで、心の底から温かい何かに満たされるのを感じた。
「レイ、これからもここがレイのおうちで、父上と母上はこれからもずっとあなたの家族だからね」
「うん!レイね、ちちうえとははうえがだいすき!」
この日、大公一家はとても長い時間をゆっくりと親子水入らずで過ごした。
***
加えて大公国に戻った二人を待っていたのは、それはそれは盛大な宴だった。
「大公夫妻バンザイ!」
「お帰りなさいませ、閣下、妃殿下!!」
長く逗留していた帝国魔法師団や騎士達が悪い知らせに慌てて帰還して行き、最悪の想定もあった中での大公夫妻の無事の帰国に、大公城の人々は歓喜した。
元々帝都への召喚がなければすぐにでも行われるはずだった大公妃の無事の帰還を祝う宴は、今や大公夫妻の帰還を祝う会に変貌している。
「凄いな、ここまで盛大だとは想像していなかったぞ」
「ええ、本当に。ジルベール、本当に貴方って素晴らしいわ!これなら、帝都の夜会に引けを取らないかも知れないくらいよ」
ルシルとフェリクスは先程から涙ながらに小言を言うジルベールのご機嫌を取るのに必死だ。
「本当に、本当に、ご無事のお帰りをお待ちしてましたよ!帝都がテロイア軍に包囲されたと聞いた時は生きた心地がしませんでした……!うう……」
本来なら宴の総括をする副官が本番が終わる前に酒を飲む筈はないのだが、ジルベールの余りの小言の多さに辟易したフェリクスが、無礼講だと言って無理に酒を飲ませたのもいけなかった。
「閣下、妃殿下にやっと想いが通じたんですね……ううっ、このジルベール、閣下の朴念仁ぶりには本当に手を焼きました……」
よく分からない管も巻き出したジルベールを、フェリクスがルシルの前からグイグイと押しのけている。
無事に戻った大公夫妻の姿に感動した大公城の面々は、近隣国の王族や諸侯の接待もそこそこに、既に出来上がっている者も多い。
「本当にうちの妃殿下は天下一ですからな!ガハハ!」
「あれ?ドラゴン戦の勇姿の話はしましたっけ?うちの閣下と妃殿下はそれはもう息ピッタリで……!」
マルクスやゼーラは言わずもがな、騎士団員や使用人達に至るまで、ゲストそっちのけで盛大な盛り上がりを見せている。これぞ大公国と言う、礼法の緩さである。
それもそのはず、フェリクスとルシルが帝都で奔走している間、大公城に残った人々は脇目も振らずまさに一丸となってこの宴の準備に明け暮れていたと言う。
近隣の諸侯は繋ぎを期待していた帝国騎士団や魔法士団員達の姿がない事にはガッカリしたが、目新しい料理や、メルセラン商会の紹介する見たこともない商品に釘付けで、会場の盛り上がりは最高潮に達していた。
子供は祝宴に出られない慣習を変え、小さな紳士として可愛らしく着飾ったレイモンドと幸せそうなデボラも、楽しそうに笑うアンやオニキスと一緒に、豪華な料理に舌鼓を打っている。
そしてここタルジュール城では、看板猫の様にすっかり使用人たちと馴染んでいるカリンも、大公妃の魔法の猫ちゃんとして行く先々でお菓子を貰い、可愛がられていた。
あれほど巨体の猫科の生き物を、屈託なく受け入れている大公国の人々の懐の深さが、ルシルは本当に心から大好きだ。
それにルシルにとって一番嬉しい出来事は、国交交渉を一時的に抜け出して、テロイアの関係者もこの宴に出席してくれた事だった。
「ルシル〜、たいこうひさま〜。なあ、こっちの騎士団員って募集してないの?」
「おい、レミーお前、せっかく受かった連邦軍、本当に辞めるのか?!なんでだよ!理由は?!」
「ああ、そうだよ!いつまでも兄貴といたら、俺達どっちも一人前になれない気がするからだよ!」
そう叫んで迷惑そうにするレミーの動作は、そんな時でも見事にトミーとシンクロしている。
「トミーもそろそろレミー離れが必要かもね?」
レミーが女性らしくありたいと思っているなんて、双子のトミーは想像もしていないだろう。いつか大化けしたレミーを見て、腰を抜かすところを見てみたい。
スカイが暴れ回る双子の攻防を迷惑そうに回避しながら、ルシルに片目をつぶって不遜に笑った。
「ルシル、もし旦那に愛想が尽きたらいつでもテロイアに帰って来いよ。俺はこれから復学して、連邦政府高官になるつもりだ」
「ふふ、愛想が尽きる事はないと思うけど、時々はテロイアに帰るつもりよ。それに友達が政府高官なんて、鼻が高いわ。応援してる」
ルシルはスカイの軽口に声を上げて笑って、肩を拳で軽く叩いた。
「ジャックさんも本当にロトに引っ越すのか?家門の跡取りとかはどうなるんだ?」
スカイがすっかり仲良くなったジャックに羨ましそうに尋ねている。
「俺はガキの頃からルシルの眷属龍だから、親族は全員覚悟してるさ。ルイガスは分家も沢山あるしな」
「アイゼンバーグもブラックモアも暫くは大人しくなるだろうから、これからの龍族は、ルイガスがしっかりまとめてくれるのを期待しているよ」
スカイとジャックに隣で話しかけているのは、アーサー・レイン学園長。今回は連邦軍統括になったルイガス当主のはからいで、なんと学園長と、ずっと引きこもっていたらしい養父もこの宴に参席してくれたのだ。
「学園長。入軍する約束を守れず申し訳ありません。これまで学園でご指導頂いた事は消して忘れません」
学園長はドレスで着飾ったルシルを初めて見た時は、少し口を開けたまま固まっていたが、今はいつも通りに優しく微笑んでいる。
「いや、立場は何であれ、君が君らしく暮らせるならそれが一番だ。少し遅くなったが、結婚おめでとう」
ルシルは学園長にお礼を言いながら、隣に立つ小柄な養父に向き直った。
「父様。ルイガス家との縁は結べなかったけど、私は今凄く幸せだから、もうそんなに心配しないで」
意を決してそう話しかけると、養父の目が少し見開かれてルシルを捉え、急に赤くなって潤みだした。
「そうだな。色々と済まなかった、ルシル。お前はやっぱり、自由に好きな事をしているのが一番幸せそうだ」
そして眩しそうにルシルの顔を見て、小さく微笑んだ。
「結婚おめでとう」
「ありがとう、ございます」
詳しい事情も知らされず、それでもルシルを見捨てずに当たり前に育ててくれた人だ。ルシルは奥歯を噛んで目を何度も瞬くと、それ以上何も言わずに深く頭を下げた。
こうして盛大な祝宴の夜は更けていった。
ルシルの考案した細身のドレスは、あっという間に北部のスタンダードとなっており、どちらを向いてもスレンダーに身を飾った令嬢ばかりが目に入る。
この祝宴前に大公妃ドレスのパターンを買い取ったメルセラン商会はさらに、城の料理人や使用人たちと懇意になり、珍しい渡来の料理のレシピや玩具の設計図等をジルベールと交渉して大量に購入していた。
「こちら大公妃殿下の故郷で流行しているお菓子なんですって!初めて見るわ」
「まあまあ!こちらのお品は一体何ですの?」
「こちらはお子様の魔力発現を早期に促す玩具です」
会頭はやや興奮気味に、帝都から帰還した大公夫妻を追い回して、さらに様々な許可をもぎ取って行った。
「閣下、妃殿下。公都に支店を出す許可をお与えください。いつかここは帝国第二の都になるはずです!」
人々は目新しい趣向の夜会を喜び、帝都で活躍したと噂に聞く大公夫妻との面識を持ちたがり、祝宴は大盛況のままに幕を閉じた。
彼等が熱気を残したままにそれぞれの部屋に引き上げる頃、ルシルは久しぶりに夫婦の寝室のバルコニーにいた。
立国以来初めてと言う程の潤沢な資金のある今回の宴では、城下にも祝宴の振る舞いがたっぷりと出て、街の灯りはいつもより遅くまで煌めいている。
「ルー」
薄い夜着の背中に温かい温もりが広がり、背中からフェリクスに抱きしめられたのを感じる。
「何を見ていたのだ?」
低い美声が耳に響く。
「大公国を見てたの。私を受け入れてくれた国」
ルシルの髪に顔を埋めるフェリクスがくすぐったくて、ルシルは振り向いてその胸にぎゅっと抱きついた。
「でも私がどこに行っても必ず帰ってくる場所はここ」
そう言って、フェリクスの広い胸の中心を人差し指でトントンと叩いた。
「ずっと探してた場所。私の愛する旦那様」
フェリクスがルシルの人差し指を捕まえて、その指先に優しいキスをした。
「だけど、本当にこんな私でいいのね?」
「もちろんだ。いつまでもそのままでいておくれ。私だけの大切な女神」
星明かりに輝く紫の瞳に見惚れ、ルシルは頬を真っ赤に染めて微笑んだ。
これにてこの物語は完結です。
ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
もしも可能であれば、評価や感想を頂けるととても嬉しいです。
読んでくださった皆様のお陰で、きちんと最後までひとつの物語を終わらせることが出来ました。これまでに頂けた評価やリアクション等の応援も、とても支えになりました。本当にありがとうございます。
コミックアプリのノベルズ大賞に20話で初めて挑戦した時に、一般審査員の方に何気なく頂いたコメントがこちらで続きを書くキッカケでした。
あの時続きが読みたいと言ってくれた方々に、感謝の気持ちとこのお話の続きがいつか届きますように。




