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第八十二話 陽はまた昇る side フェリクス

 余りの光景に言葉もなく空を見上げていたフェリクスは、自分の妻が何者なのか、改めて突きつけられたような気がしていた。


 それでも、自分を恐る恐る振り向いて、少しの感情の変化も見逃すまいと、両手をきつく握り合わせている目の前のルシルには、恐怖を全く感じなかった。


 逆にあれ程の怪異を引き起こした後で、何故かおどおどとするその様子が愛しくて、小さく笑ってしまう。


 そんなフェリクスの様子に安心したのか、パッと顔を明るくすると、ルシルは少し距離をとって振り返った。  

 

 ルシルが空に向かって合図すると、一匹のワイバーンが渡り廊下に舞い降りた。


「フェル、この子は私の従魔だから安全よ。ドラゴンに似ているけど、ワイバーンと言う小型の亜種ね」


 小型の竜と言っても、すぐ横に降りれば、人の背丈の3倍はあろうかという巨体や腕ほどもある鋭い鉤爪に、本能的に冷や汗が出る。


「魔物に意思や知性はないけど、何故か従魔になるとそれが芽生えるみたい。ちゃんと意思疎通出来るの」


「そ、そうか」


 ルシルはワイバーンの巨体をものともせずに、喉元や翼の根を撫でてやっている。その無邪気な様子は、この場にそぐわないほのぼのとした空気を醸していた。


「空にいるのはこの子の指揮下にいる群れよ。彼等は普通の魔物だけど、私の神力を分けたこの子が統率していれば、決して勝手に人を襲わないから安心して」


 詳しく説明されても飲み込めない部分はあるが、もうそういうものだと受け入れる事にする。


 今は、両軍がこの事態に硬直して、先程の威嚇魔法が大陸間戦争を引き起こす火種にならない事だけを考えよう。


 きっと、それが彼女の考えなのだろうから。


『ルシル、テロイア軍は面白いことになってるぷよー、もう帝国への攻撃は中止になりそうだぷ』


『そうなの?良かった。報告ありがとう、カリン』


「フェル、今カリンから聞いたけど、テロイア軍は撤退してくれそうよ」


「それは良かった」


「皇帝陛下達は……どうなったのかしら」


 帝国人達の見せた恐慌状態を思い出し、ルシルはフェリクスを見上げて、少し困った顔をした。


 ひとまず渡り廊下から共に尖塔の最上階に転移してみると、そこはすでにもぬけの殻だった。


 様々な武器や連絡用の魔道具らしき物までが至る所になぎ倒されて、書類も慌てて破かれたのか、開け放たれた窓からの風にバサバサと吹き飛ばされている。


 床に転がっていた豪華な装飾の望遠鏡を拾い上げて、フェリクスはルシルを振り返った。


「既にここを放棄した様だ。これなら帝国魔法師団も攻撃の意思は無さそうだな」


 尖塔の窓は特に空に近く、すぐ上を飛ぶワイバーンの息遣いが聴こえる程だった。


 ルシルは複雑そうな顔で頷く。


「もしかして少しやりすぎだったのかしら……?でもテロイア軍と同じ方法よね。無言で包囲しただけ」


「まあ、軍隊でも騎士団でもなく、これだけの魔物の群れに包囲されれば、さすがに誰でも逃げ出すだろうな」


 ルシルは可愛らしい仕草で小首を傾げているが、失踪から戻ってからは価値観が前よりもっと大雑把になっている気がする。


 元々少し常識を知らない所はあったけれど。


(それが彼女の長所でもあるんだが……)


 従魔のワイバーンに優しく何やら話しかけている妻を、フェリクスは苦笑しながら見つめた。


「ジャック」


 ルシルが小声で呼ぶと、また突然ジェイコブ・ルイガスが現れた。信じられない話だが、この青年はルシルの旧友であると共に、眷属龍と言って祖神に仕える家臣の様なものらしい。


「ルシル!大公も!無事で良かった」


 彼の態度はとても誠実で、一度でもルシルとの仲を誤解してしまった自分を情けなく思う。


「このワイバーンの群れは、ルシルの管理下なんだよな?計画を聞いてはいたが、本当に危険はないのか?」


 ジャックは頭上を飛び交う羽音に眉をひそめた。


「大丈夫よ。ワイバーンは群れで動くから、一羽でも従魔がいれば比較的大きな群れでも統率できるわ。それなりに神力は食うけど、従魔との繋がりで万が一の危険も察知できる」


 彼もまたこの状況は本能的に受け入れ難い様で、仕切りに空を見上げては不安気に首を擦っている。


「カリンから少し聞いたけれど、ブラックモア元帥はどうなったの?」


「始めはあのワイバーンの大群に向けて攻撃しようとしたんだが、多くの隊員が反発して反乱みたいになったんだ。それでしばらく混乱状態。シェイラは一時的に拘束されて、今はうちの父が代わりに指揮を執ってる」


「そうなんだ……」


「もうすぐフローレンス氏が連邦議会からの新たな命令を持って戻るはずだ。ブラックモア元帥の資格喪失に伴ってルイガスに指揮権が移るだろうし、テロイア軍の方はもう心配は要らない」


「そうなのね、ありがとう。戻って皆にも私は大丈夫だと伝えてくれる?」


「分かった。大公閣下、ルシルを頼みます」


 ジャックはワイバーンの群れを一瞬見上げると、自分の翼は畳んで、転移で艦に戻っていった。


 安全だと言われても、これだけのワイバーンの中を飛んで戻りたくなかったのだろう。


「次は皇帝だな」


 ルシルとフェリクスがもう一度作戦室に戻ると、部屋の前には誰もいなくなっていた。


 かろうじて踏みとどまっていたらしい先程の扉番に軽く頷いて、今度はすんなり入室する。


「大公!」


 会議室には皇帝と近衛隊、宰相とヒューゴだけが残っており、全員窓際に寄って大きな窓からワイバーンの群れを見あげていた。


 入ってきたフェリクス達に驚いて全員振り向く。


「陛下、この様な異変の際は出来るだけ早めの避難をするべきです。御身に何かあってはいけませんので」


 フェリクスは挨拶も省略するこの緊急時に進言する事ではないと思いつつも、ついアリオンの無沈着さを心配してため息を吐いた。


「そなたらは随分と落ち着いているな」


 フェリクス達の落ち着いた様子に、アリオンが眉をひそめた。


「あれは?あれは一体何なのだ。知っているのか?」


 アリオンが厳しい声で問う。


「陛下。あれは北から呼び寄せた魔物でございます」


 フェリクスは咄嗟にルシルの名前を出さずに済む方法を考えていた。跪いた姿勢で話すフェリクスに立ち上がるように言って、アリオンは声を震わせた。


「魔物……?あれが魔物の群れなのか。まるでこれでは世界が終わるようではないか」


「沖合に潜むあの様な敵軍には我が国の魔法師だけでは手に負えないと思ったのです」


 少し離れて立つ帝国魔法師団団長のヒューゴが、気まずそうに身動ぎするのを感じる。


 彼を非難するつもりはないが、文化や技術の違いからテロイアとまともに戦えるはずがないのは誰の目にも明らかだろう。


「脅しになるかと思い、特殊な方法で北から呼び寄せました。功を奏したのか、味方の報告によると既にテロイア軍は攻撃の意思なしと見て良い様です」


 徹底して自分が独断でやっている事だとするフェリクスに、ルシルが隣で明らかに動揺している。


「しかし、この宮殿の上も包囲しているのは何故だ?」


「この方法は危険が伴います。相手は魔物故、完全に思惑通りに動かないのです」


「なんと!大公、それではこちらが攻撃を受ける可能性もあるのか!」


 それまで黙って聞いていた宰相が、急に顔色を変えて叫んだ。


 そして驚きに固まっている近衛隊とアリオンに血相を変えて走り寄った。


「陛下!これは謀反ですぞ!大公国はわが帝国に叛意有りと存じます!」


 フェリクスは常に大公国への疑心を持っていたヒューゴの父親らしい、宰相の大袈裟な反応に内心で盛大なため息をついた。


 そして宰相達を視界から外すと、昨晩は自分を兄だと認めたアリオンを、真剣な眼差しで射抜く。


 ここでどの様な反応をするかで、一見柔らかな物腰の底の見えない為政者の真意が、少しは分かるだろう。


「陛下。この苦境を脱するためには必要な措置でした。忠誠を疑われるお気持ちは分かりますが、大公国に他意はありません」


 静かに潔白を示して、後はただ沈黙する。


 ここで宰相と同じく大公国の謀反を疑うのなら、それ以上こちらから言う事はない。


 ざわめく臣下たちに片手を挙げて制すると、アリオンは同様に真剣な眼差しでフェリクスを見返した。


「……正直私は、兄上に恨まれていてもしかたないとずっと思っていたんだ。だが昨日じっくり話してみて、貴方はその様な人ではないと、感じた」


 臣下たちの前で突然私的な会話を始めたアリオンにフェリクスの方が焦った。


「へ、陛下。これは私的な感情とは関係のない……」


「分かっている。だが、つまり、今回は大公と大公国を信じてみようと思うのだ。血族の絆に免じて」


「ご信頼頂き光栄に存じます」


「そなた達、それで良いな」


 アリオンは宰相達に釘を差すように言う。


「陛下……」


 尚も何か言い募ろうとする宰相に面倒そうに腕を振って、アリオンは最後にチラリとルシルの方を見た。


「あれに攻撃の意思がないなら良い。それとテロイアも撤退するなら、我々が警戒する必要も無くなる」


「は。直ちに魔物の群れも引かせます」


 ルシルにそっと視線をやると、彼女は顔色を変えずに微かに頷いた。


「今回の事が終わっても、テロイアは我が国にとって変わらずに脅威ではある。先ほどの情報をもたらしてくれたように、そなたの妻が両国の架け橋になってくれる事を願うぞ」


 アリオンはしっかりと為政者の顔でフェリクスに言った。


「仰せのままに」


「ご期待に添えるよう努めます」


 ルシルが隣で答えると、宰相達も渋々矛を収めた様子で玉座に戻る皇帝に無言で付き従った。


 彼等の背後の窓には、北の空に向かって戻っていくワイバーンの群れが朝日にゆっくり羽ばたくのが見えた。


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