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第八十一話 世界の終焉

 宮殿別棟の作戦室の前には、会議には入れない多くの臣下達が不安そうに集まっていた。


 宮殿で働く文官や武官達に、小領地の領主や宮廷貴族もいる。皆一様に暗い顔で項垂れたまま小声で話している。


 フェリクスとルシルはその人波を縫うように大扉に近づき、扉番の衛兵に声をかけた。


「我が名はフェリクス・トーリ・ラフロイグ。皇帝陛下の兄にしてトーリ大公国公王である。皇帝陛下に直接お伝えしたい事がある故、今すぐ、取次ぎを」


「ト、トーリ大公閣下、ただいま陛下は重要な軍議中ですので……」


 フェリクスが朗々とした口上を述べると、衛兵は長い槍を交差したが、オロオロと様子を伺うと、一貫したフェリクスの威厳に怯んで声を落とした。


 夜会で皇帝と同等の扱いを、と宣言された事が効いているのか、周囲は巻き込まれまいと遠巻きに離れていき、辺りは水を打ったように静かになった。


「その、軍議の後でのご案内では……?」


「今すぐと申したはずだ。同じ事を言わせるな!」


 フェリクスの有無を言わせぬ命令と態度に恐れをなしたのか、しばらく衛兵同士でヒソヒソと相談した後、入室が許された。


「か、畏まりました。少しお待ちを……」


 ゆっくりと扉が開かれ、中が見える。室内にはかなり多くの高官や高位貴族が集まっていた。謁見室の様な造りで、中央に広い空間があり、両脇には人々が立ったまま犇めいている。


 扉番の口上が響き、堂々としたフェリクスと、すぐ後にルシルが続いて入室すると、四方八方から我慢できないという様にヤジの声が飛んだ。


「何故奴等が入ってこれたんだ?」


「テロイアのスパイめ!あの者を捕らえよ!」


「人質にして交渉材料とすべきだ!」


「やはり幽霊大公は皇帝陛下の治世を揺がす厄病神だったのだ!」


 夜会の時の歓迎ぶりは嘘のように、一貫した罵詈雑言が浴びせられる。その中を、フェリクスもルシルも真っ直ぐ顔を上げて、堂々と皇帝のいる玉座まで歩いた。


 背の高い窓からは既に眩しい朝日が入っている。


 夜を徹して作戦会議をしていただろう若い皇帝は、少し疲れた顔をしていた。


「トーリ大公。今は大事な軍議中だが、急用と聞いたぞ。そなたがこの様な無理を通すのは珍しい。いったい何事だ?」


 二人は皇帝の御前に恭しく跪いて、頭を垂れた。


「恐れながら陛下に申し上げます。軍議に大きな影響のある情報を掴み、罷り越しました。結論を出される前に必ずやお耳に入れるべき内容です」


 フェリクスは言葉を選びつつ、目前に迫った罠の脅威を注意深くアリオンに進言した。話の途中で時折、皇帝の鋭い視線は隣に跪くルシルに注がれる。


「ふむ……。つまりあちらは、この無言の包囲網によって我が国の不安を煽り、こちらの先制攻撃を待っていると言うのだな」


「はい。その通りです」


「正当防衛と言いながら国交交渉前にこちらの兵力を損なうのが目的だと?」


 皇帝は柔らかな声を一変し、鋭い声を飛ばした。


「そなたの妻の言う事は本当に信用できるのか?」


 皇帝の質問に、会場は同意の声で激しくざわめいた。


「陛下、我が妻は帝国臣民としてこの場におります」


 そう答えるフェリクスの声もざわめきに紛れる。こういった場面で勝手に口を開く者が多いのも、実は皇権が安定していない事の露呈であった。


 フェリクスは皇帝に深く一礼して立ち上がり、低い美声を大きくして議場に響かせた。


「我はここに宣言する」


 その気迫に、諸侯たちは驚いた様に少し黙った。


「彼女はすでに我が国の一員であり、正真正銘、帝国民である。これに異を唱える者がいるならば、剣を取って真を示せ。この私が挑戦を受けて立とう」


 静まった議場を黙って見渡して静かに頷くと、再び皇帝の方を向いてルシルの横に跪いた。


 ルシルが頭を下げたまま、フェリクスに感謝を込めてそっと微笑むと、フェリクスも微かに頷いてくれた。


(思ったより貴族達にまだ権力が分散してる……。皇帝が先制攻撃を禁じても、誰かが裏切るかもしれない)


 ルシルはこれまでのやり取りを見て不安を感じた。


 それにここで引き留めて一度はうまくいっても、ブラックモアが潜ませた間者がこちらの仕業に見せかけて攻撃すれば、簡単に事は成せそうだ。


(もう、今更何をしても遅いのかも)


 ルシルがそっと目を閉じ、絶望感を感じた時だった。


『ルシル、尖塔で待機していた帝国魔法師団が、沖合に向けて勝手に威嚇攻撃を打ったぷ!』


 カリンの焦ったような心話が届き、同時に数人の貴族も同様の報告を魔法で受けた様子で騒然となる。


 にわかに議場はまた騒がしくなった。


 大扉が勢い良く開けられ、数人の近衛騎士が鎧の音を立てながら皇帝陛下の元に走り寄り大声で同様の報告をすると、皇帝は怒りの形相で立ち上がった。


「何だと!勝手な事を!」


「ああ、ヒューゴ!あの馬鹿息子が!」


 皇帝の横に立つ宰相が小さく息子の名前を叫んだ。


『ああ、やっぱり遅かった……恐らくブラックモアの間者か、唆された誰かでしょうね。カリン、次はテロイア軍の動きを見逃さないでいて。まずは結界で対処する』


『分かった』


 ルシルは騒ぎに紛れてフェリクスの腕をそっと引っ張った。驚いたように振り返る彼の腕をぎゅっと握った。


「フェル、私、行くわ。こんな風にはしたくなかったけど、戦争になるよりはマシだから。たぶん私、益々化け物扱いされちゃうと思うけど……」


 未然に防げればそれが一番だと思っていたが、それが叶わなければルシルは力ずくでもテロイア軍を止めるしかないと、密かに決意していた。


 しかしそれをしてしまえば、多くの人の目に自分の神力は脅威として映り、綱渡りのように一般人の振りをしてきた自分は今度こそ人々から畏怖されてしまう。


 その予想が悲しくて声を詰まらせるルシルを、突然両腕に軽々と抱き上げると、フェリクスは陛下の方に一礼して混沌とし始めた議場を出た。


「フェ、フェル!?」


 宮殿の廊下をルシルを抱き上げたままで何処かへと向かいながらフェリクスは穏やかに言った。


「ルー。心配しなくても大丈夫だ。君は化け物なんかじゃない。ただどこまでも心優しい、正義を愛する女性だと、私が一番よく分かっている」


 ルシルはこんなに大変な時でも、彼の言葉で幸せや嬉しさを感じる自分に驚いていた。


 恋をすると、相手のたった一言で全てが報われる。


「ありがとう。世界中の人に恐れられてしまっても、貴方だけが分かってくれていれば、私は大丈夫みたい」


 ルシルはフェリクスの首に手を回して頬にそっとキスをすると、少し赤面しながら笑った。


「これから私が何をしても、どうか嫌わないでいてくれる?」


「もちろんだ」


 フェリクスは尖塔に続く渡り廊下でルシルを降ろした。沖合の大艦隊がとても良く見える場所だった。


 キラキラと海面に輝く朝日に照らされながら、フェリクスはその美しい瞳で誇らしそうにルシルを見つめた。


 目に映るその光景は、言葉に出来ないほどに美しく、紫の瞳はどこまでも優しく、ルシルの胸を打った。


「さあ。君がこれから何をしても、私の思いは変わらない。そして私の妻は愛しい君だけだ。安心して思い切り、好きな様にすればいい」


 ルシルは潤んだ目を瞬いてフェリクスに強く頷くと、一歩手すりの方に踏み出して、両手を空に掲げて目を閉じた。


 まずは探知。神力全開。


 テロイア軍の大型潜水艦は、巡航ミサイルと海中の魚雷に膨大な魔力を充填し始めている。


 帝国魔法師団のいる尖塔では、魔法師団団長が宰相である父親と何やら言い争っているが、その隙に怪しい団員が、目標を定めて詠唱を始め、魔力砲撃を行う準備に入っている。


 そして愛しい人達の現在地。テロイアの人達、大公国の皆、カリン。そして念の為、皇帝陛下とシェイラ・ブラックモアの位置も。ざっと確認して、安全を確保する。


 最初にこのアビス宮殿全体にかけていた結界の強度を確認。水中を通って深海まで、一番高い尖塔を越えて空中も。問題なし。


 もう一押し、テロイア艦隊の方の通常結界も強度を上げておく。ルシルの神力で補強すれば並の魔法攻撃は通らないはずだ。


 これでどちらからの攻撃も防げるはず。


 全ての準備を終えて、ルシルは合図を送った。


『お願い。今よ』


 すると、みるみるうちに北の空が真っ黒に染まり、朝日に照らされていた沖合の海は青い色を濁らせていく。


 探知の中で、人々が慌てて北の空を一斉に仰ぐのが感じられた。


 真っ黒な空は徐々に頭上に広がり、その全貌が人々の目にはっきりと映し出された。




 それは、途方もない数の竜だ。




 夥しい数のワイバーンの群れ。大小様々な形の翼と鉤爪が明け方の空を埋め尽くすように飛んでいる。


 その光景は、魔物を倒すことに慣れているテロイア軍にも、ただただ背筋の凍るほどの恐怖をもたらした。


 ここまでの数の脅威は、絶望に等しい。


 艦隊の上に待機していた多くの翼を持つ龍族達は、始めこそ応戦しようと身構えていたが、その数の多さに慌てて水上に出ている大型艦に撤退して行く。


 北の大公国でしか魔物をほとんど目撃しない帝国に至っては、それはまるでこの世の終わりの光景に見えた。


 人々はどよめき、我先にとアビス宮殿を去っていく。


 多くの人が馬車や馬を奪いあって、この場を離れようと慌てふためいている。そして取るものも取りあえず沿岸を背にして内陸を目指し、自分の足でひたすら走り去る者も多くいた。



 後に歴史に名高く記される事になる、誰も見たことも聞いたこともない程のワイバーンの大軍勢は、得意の速度を活かしてあっという間に沖合の空と、宮殿の上空を埋め尽くした。


 その頃には、聞こえていた悲鳴や物音も行き過ぎた恐怖の余りに静まり帰り、ただ沢山の魔物の滑空する音だけが静かな波音と共に響いていた。



 ルシルは不気味なほどに真っ暗になった空を背にして、すぐ後ろにいるフェリクスを恐る恐る振り返った。


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