第七十七話 敵襲
慌てて転移で宮殿に戻ると、既に辺りは収拾がつかないほどの混乱に満ちていた。扉から雪崩のように出てくるのは先程まで優雅に踊っていた人々。
会場内部に向かうルシル達は突然の警報に逃げ惑う多くの人々とすれ違う。
『ルシル、今大公国の従者達を一箇所に集めてるぷ。結界を張った客室に避難させてからそっちに合流するぷ』
『ありがとう、カリン』
カリンからの心話を受けてルシルは気を引き締めた。
多くの招待客が我先に逃げ出した後で、人もまばらなホールにはそこここになぎ倒されたテーブルや放り投げられた扇子や帽子、空のグラス等が散らばっている。
まだ声のする方を見ると、大きく海側に広がるバルコニーには、好奇心に負けた野次馬達が群がっていた。
ルシル達も慌ててそちらに向かう。
「一体どういう事だよ……」
バルコニーからの景色を一目見るなり、スカイが吐き捨てるように呟いた。
暗いはずの夜の海は宮殿の高い尖塔から魔法師団が放つ巨大な灯りの魔法で白く照らされている。
そこにはテロイアのものと見られる夥しい数の潜水艦の大艦隊と、ジャックの様にドラゴンに似た羽を背中に生やした変異種の龍族の群れが夜空を覆うように浮かんでいた。
「こんなに沢山……!いつの間に開発してたんだ!?」
トミーが潜水艦の数に驚いて目を見開き、夜空に浮かぶ兵士達の姿をポカンと見上げている。
「それに、龍族って飛べたのか?」
その隣に立ったスカイは震える手でバルコニーの欄干を掴むと、思わずと言う風に夜空に大声を張り上げた。
「兄さん!これはどういう事なんだよ!」
ルシルは空に浮かぶ大勢の人影に目を凝らしていた。
(私の眷属になった時から……ってあの時ジャックは言ってたけど)
ジャックの見せてくれた姿に似た龍族達の大群が夜空に静止したままじっとこちらを注視している。
(ジャック自身が長年生態研究に協力してたせいなのか、こんなに沢山の龍族達がすでに同様に、単独飛行可能になっていたのね)
その情景は異様なまでに威圧感に溢れていた。
これでは、まるで大陸間戦争でも始めるかの様だ。
ルシルは空に浮かぶ龍族達の中にジャックがいないかと視線を彷徨わせ、すぐに思いついて探知魔法の要領で神力を展開した。
「ジャック」
呼びかけると同時にすぐ横にジャックが立っていた。
「ルシル!」
ジャックがすぐ隣にいるルシルを見つけて、驚いたように自分の身体を見下ろしている。無意識にジャックを自分の元に転移させてしまったようだ。
突然目の前に現れた大柄なジャックに驚いて、バルコニーに残っていた野次馬達が我先にと悲鳴を上げて逃げていった。
それを見て、慌てて翼をたたんで頭を掻いているジャックに声をかけた。
「ジャック、これはどういう状況なの?外交特使もこの状況には困惑してるみたいだけど……」
突然現れた軍服のジャックに、スカイもトミーも心配そうに駆け寄ってきた。フェリクスは無言のまま、ルシルの横で夜の海をじっと睨んでいる。
「二人共。この人なら大丈夫。ジャックよ。私の古い友人なの」
「ジェイコブ・ルイガスだ。俺は軍属だが、ルシルの眷属龍だから、軍とは関係なく絶対に彼女の敵じゃない」
ジャックの自己紹介に訝しげにしながらも、軍では先輩か上官に当たると思ったのか、慌ててスカイ達も名乗り、敬礼を交わしている。
ジャックはルシルの横のフェリクスにも静かに目礼して、その場の全員に向けて話し出した。
「実はフローレンス特使の状況報告の映像が、勝手に連邦会議の席で共有されて、ルシルの帰国の自由を帝国が阻んでいると判断されたんだ」
「なんだって?!」
スカイがいつもの冷静さを忘れて大声で叫んだ。
トミーも興奮してスカイの襟元をつかんでいる。
「おい、スカイ!どんな報告をしたんだよ!」
「いや、あの時は……家族への私信のつもりで……」
スカイは襟元を揺さぶられながら項垂れている。
「ルシルは帰国したがっているのに、帝国が邪魔をしていると勘違いしたのだな」
フェリクスは深刻そうにジャックを見つめた。
「そうだ。フローレンス家を始め神族は概ね反対したが、特に龍族の急進派がルシル奪還作戦を強行してるんだ」
スカイとトミーが空を仰いで「また龍族か!」と呆れた様に呟いている。
「……ただこれはまだ脅しで、さすがに攻撃命令は出ていない」
「なるほど、せめてもの朗報だな」
「いや、当たり前だろ、そんな誤解でもしも開戦したら目も当てられない……!」
スカイが頭を掻きむしって再び叫ぶのに、ジャックが気の毒そうな顔で付け加えた。
「外交使節団は空気を読んで転移で避難するだろうと、ブラックモアの族長が強硬に作戦を実行して、フローレンス氏とはかなり衝突していたみたいだ」
「そう言えば貴賓室の個人通信の受信を切ってた。きちんと定期連絡していれば事前に分かったのに!」
スカイが悔しそうに呟く。大陸間はさすがに大型通信機器を使う為、連絡を密に取るのは容易では無さそうだった。
「それにしてもルシルの件を誤解されたのは俺の失態だ。すぐにでも兄さんと話して誤解を解いてくる」
スカイが震える声で言うと、ジャックが首を振った。
「いや、議会では中心部から崩壊を続けている新大陸を放棄して、旧大陸に移住すべきだという意見も出ている。ルシル奪還だけがこの包囲網の目的じゃないんだ」
スカイは呆気にとられた顔で呟く。
「なんだよそれ……」
全員がその衝撃的な情報に言葉を失った。
「だがこの状況で、警戒すべきはテロイア軍ではないかもしれないな」
フェリクスの低い声が響き、その場にいる全員が、灯りの魔法を海に向けている帝国魔法師団のいる尖塔を見上げた。
(この一触即発の状況で、もしも帝国側が挑発に乗って先に攻撃してしまったら)
ルシルは、無意識に震える両手を握り込んだ。
「どちらが先にせよ、この状況では一矢でも攻撃が通れば後はもう止めることは出来ないだろう」
フェリクスの苦い声が耳に響き、ルシルの心臓はドクドクと激しく打ちだした。
(だめ、こんなキッカケで大陸間戦争なんて)
ルシルは決意のこもった目をフェリクスに向けた。
(こうなったらもう私だけの問題じゃない)
「こんな争いはすぐにでも止めなきゃ。もうこれ以上、迷っている時間はないみたい」
フェリクスは痛みを堪える様な表情で頷いてくれた。
『カリン』
ルシルは心話でカリンに話しかけた。
『テロイア外交使節団の人達を避難させたいの。レミーと協力して連れてきてくれる?』
『了解だぷ』
カリンの転移魔法で、レミーを含む使節団の人々が合流した。このまま客室に残れば、帝国側に捕縛されて人質にされかねないからだ。
ルシルは皆が情報共有する様子を見ながら、神力の大部分を解放して急いで宮殿全体の探知を行った。
(皇帝陛下はあの尖塔の上にいるのね)
ルシルは意外に思った。どこか安全な場所に退避していると思っていたが、前線で実際に指揮を執る様だ。
だとすれば、魔法師団の最初の攻撃は皇帝陛下の合図によって行われるのだろう。
ルシルは探知を海にも広げながら、ジャックを見た。
「ジャック。スカイと一緒にテロイアの人達をひとまずここから避難させたら、テロイア軍の指揮官と話をしてくれる?私の本当の状況も伝えてまずは誤解を解いて欲しい」
「了解。君はどうするんだ?」
「私は……エイリーヤと会ってくる。さっきから呼ばれてるの」
ルシルにはどれほど遠くても、隔絶の山脈の山頂でこちらをじっと見ているエイリーヤの姿が、ありありと感じられていた。そして静かにルシルに呼びかける声も。
恐らくこの宮殿の近くに未だかつてない数の神族や龍族達の存在を感じて、ひとまずルシルの安全を確認したいのだろう。
『レイヤナ。何故答えない。問題はないか?』
ルシルはエイリーヤからの痛いほどの視線に、一番の焦りを感じていた。
『エイリーヤ。聴こえているわ。今すぐそちらへ行って説明するから、少しだけ待っていて』
問答無用で何か事を起こされないうちに、説得してこの事態を静観して貰う必要がある。
「フェル、皇帝陛下に伝えてほしいの。私がテロイアとの交渉に立つ間、帝国は攻撃を控えて欲しいと」
「分かった、ただ君も無茶はしないでくれ」
フェリクスは力強く頷くと、その広い胸にルシルを大切そうに抱きしめた。
「君がどんな決断をしようと、私は変わらず君を愛している」
ルシルは穏やかで大きなフェリクスの愛を感じて、
彼の胸に顔を埋め、最後にぎゅっとしがみついた。
「私も。どこにいても、ずっと貴方だけを愛してる」
ルシルは一瞬目をきつく閉じると、神力を展開して宮殿全体を包む強い結界を張ると、カリンに頷いた。
『カリン、フェリクスをお願い』
『わかったぷ』
「ジャック、他の皆も。テロイア側の事は頼んだわよ」
「了解。必ず後で合流してくれ」
一度全員の目を見て頷くと、ルシルは転移でエイリーヤの元に向かった。




