第七十三話 変わらないもの
メイドの格好で立っていたのはトミーとレミーの双子だった。
この二人はスピードに定評がある猫科獣人の中でも特に小柄で中性的な見た目だ。その姿から、耳や尻尾を隠せば人族の女性に扮するのは難しくない。
(トミー!レミー!)
ルシルが目を丸くして固まっていると、その表情を見て吹き出しそうになりながら、二人は慌てて下を向いて頭を下げ、他の従者達と一緒に部屋に入って来た。
彼等と入室したのは到着後に別れていたアンとオニキスを始めとする大公国の顔ぶれだった。
カリンからの心話で彼等の無事は確認していたが、ルシルの部屋に案内されるのに時間がかかったせいか、表情はかなり不機嫌そうで、部屋に入ってくるなり壁際の侍女達をジロリと睨んだ。
「これより大公国の者で妃殿下をお守り致します。侍女の皆様はご自分の夜会の準備に行かれてはどうですか」
カリンは続けて帝国側の偵察に行ってしまったが、ルシルとしては見慣れた大公国の人々の姿だけでも見れてやっとホッとする。
「アン……」
立ち尽くすルシルを気遣わしげに一瞥するとアンは一度頷いて、ルシルの傍にすっと寄り添った。
「わたくしが大公妃殿下の侍女頭です。ここは手が足りていますので、侍女の増員は謹んでご辞退しますと上の方々にお伝えください」
先程の令嬢達に比べると格段に地味な装いでも、アンが堂々とした所作で威圧的に背筋を伸ばすと、途端に部屋付きの侍女達は、オロオロと頭を下げる。
オニキスも、帝国側の部屋付き侍女達を丁寧に、だが毅然と部屋から追い出してくれた。
やっと客室に見知った顔だけの平穏が訪れて、ルシルはホッと一息ついた。
「ありがとう、アン、オニキス。助かったわ……」
「いえ、申し訳ありません。中央貴族達による足止めを食っていて、遅くなりました」
「この程度の妨害工作は予測しておくべきでしたのに、面目ありません」
悔しそうに謝罪する二人にお疲れ様と声をかけて、フラフラと長椅子に腰を下ろした直後、ルシルはあり得ない二人組の姿をやっと思い出した。
「……って、あなた達、トミーにレミーよね!?」
跳ねるように立ち上がって壁際を振り向く。
すると二人は待ってましたという様に嬉しそうに破顔した。
「そうだよ!ルシル!!驚いただろ?!」
「全く、心配させやがって!!」
そのまま駆け寄ってくると、勢いよくルシルの肩や背中を叩き出す。
オニキスは一瞬目を剥いて身構えたあと、頭を軽く振って無表情に戻った。
ルシルはじゃれ付いてくる二人越しに、唖然とする使用人達に目線だけで謝っておく。
アンは空気を読んで小さく礼をすると、オニキスと使用人達を連れて隣の待機室へと退室していった。
ルシルの特異性に慣れた、出来た侍女と護衛である。
広い部屋に3人だけになると、赤毛のトミーは大きな椅子にスカートのままドカンと胡座をかいた。
「ルシル、こっちは本当に心配してたんだからな!」
文句を言いつつ、被っていたヘッドドレスやフリルのエプロンを乱暴に外して、その辺に放り投げている。
「いやー、ルシルがこんな所でお姫様ごっこに巻き込まれてるとはね」
黒髪のレミーは大きな鏡の前で自分の姿をしげしげと眺めながら、鏡越しにルシルと目を合わせた。
ルシルは二人にひたすら謝ると、これまでの経緯をザックリと説明した。
「それにしても、その格好、まるで別人みたいだな」
「スカイがお偉いさんだって言ってたけど本当だね」
話を聞きながらも、見慣れない姿のルシルを改めてしげしげと眺める二人。
「事情は分かったけど、どうせロトでも困ってる人とかに頼られてこんなに長居してたんだろ?」
「それで、いつ帰れるの?こっちでも最近天変地異みたいな災害があって大騒ぎなんだよ」
途端に顔の曇ったルシルを安心させるようにトミーが言う。
「学園長が、入軍試験は後でも特別に受けさせてくれるって言ってたんだ。だから心配いらないぞ」
「そうそう!ルシルなら一発合格間違いなしだろ」
ルシルは屈託のない二人の勢いにぐっと声を詰まらせて、どう答えるべきか躊躇った。
「え?もしかしてまだテロイアに帰らないつもりか?」
「ううん。実は色々あって転移での帰郷はすぐ出来る様になったから、一度帰ろうとは思ってるよ」
「一度?一度帰るって何?まさかルシル……」
「ロトに住むつもりなのか!?」
呆気にとられてルシルを凝視する二人に、気まずい思いで頷くルシル。
「な……何だよそれ。だって……入軍はどうするんだ」
呆気にとられた顔でルシルを見るトミー。
「実は……私ね、結婚したの。こっちで」
「はああ??」
二人の上げる奇声が豪華な部屋中に反響した。
こっそり防音結界を張っておいて良かった。
「けっこ……あの大公妃とかそう言うの、本気!?」
レミーが目を輝かせてルシルの方に身を乗り出した。
「嘘だろお前、じゃあスカイは……」
トミーはルシルから距離を取って、腕を組んで眉をしかめた。
対照的な二人の様子に苦笑するルシル。
「ええと……最初は迷い込んだ私を保護してもらう契約で結婚したんだけど、今はその……一応本当にその」
モゴモゴするルシルに、レミーがとどめを刺す。
「つまりこっちで、好きな奴が出来たってことか!」
真っ赤になって頷くルシルに、二人は心底驚いた顔で固まった。およそ見たことのない顔だったからだ。
「そっか……それでアイツ」
トミーは眉間に深く皺を刻んで立ち上がると、スカイの所へ行くと言って急いで部屋を出ていった。
「驚いたけど……良かったな」
レミーは真っ赤になったままのルシルに、優しく声をかけてくれた。そして、再び鏡の前まで行くと、自分のメイド服のスカートを少し持ち上げて見ている。
「ルシルがいないと、毎日つまらないけど」
少し寂しそうな顔で呟いたレミーが、実は女性なのはあまり学園で知られていない事実だった。トミーとレミーは見た目こそそっくりで声も髪型もほぼ同じために、いつもセットで見られていて、その違いに気がつく人はとても少ない。
さすがに獣人同士では匂いで分かるらしいが、学園生徒の他の種族達は双子の性別が違う事を察するのは難しかった。ルシルも、何度かの宿泊演習で知った驚愕の事実だった。
「こういう格好するのって、結構楽しいんだな」
デロイア大陸では様々な差別を敬遠して種族や性差を感じさせない服装が一般的だし、性別を敢えて尋ねることも行儀が良い事ではないとされる。
レミーもわざとトミーと同じ口調で話す為、自分を女性と捉えているのかはこれまでよく分からなかった。
「レミー、女性らしい格好がしたいの?」
レミーは黒い艶のある瞳を瞬いて、首を傾げた。
頭の上でフサフサの耳がピコピコ動いている。
「うーん、今日初めて思ったからよく分からない。でも、ロトの人達みたいな服装は結構好きなのかもな」
「そっか。こっちで他のも見てみる?」
ドレスルームには数着の夜会服や宝飾品がすでに用意されていた。大公国から持ってきたものの他に、帝国側が準備したものもあるようで、部屋と同じ様に高級そうな布地で満たされ、圧倒されるほど豪華絢爛だった。
「凄いね。全部時代劇風。現実感ないな!」
驚いているレミーに笑いながら頷いて、これまでの出来事を思い出した。
「私も、こっちに来て女性として扱われるのがこんなに嬉しく感じられるんだって初めて知ったんだ」
「ルシルが?」
「そう。こんな格好しててもまあ、いつも通り大人しくはしてられないんだけど。着飾ったりするのも結構楽しいって分かった」
「へえ。意外だな。ルシルはそういうの気にしてないのかと思ってた」
「正直これまでは気にしたことはなかったよ。だけど、自然と……気にしたくなるようになった、と言うか」
口ごもるルシルの肩を、少し痛いくらいの力でレミーが殴って来た。
「なんだよそれ!!結局惚気かよ!」
ゲラゲラと笑うレミーに呼応してスカートの下に隠していたはずの尻尾が、バシンバシンと床を叩いている。
「でもまあ、ほんと良かったじゃん。まさか別の大陸まで来てるとは思わなかったけど、ここで運命の人を見つけたんだな」
「うん。だからもう連邦軍には入れない……。私はこの先、大公国の国民を守るために働きたいから」
「そうか。やりたい事が見つかって良かったな」
レミーはルシルに笑いかけた後、目を輝かせてドレスを眺めると、ふと眉を曇らせた。
「あー、でもこれ着てさっきのカップケーキみたいな女達の仲間には入りたくないな。なんかすれ違う時どいつもこいつも偉そうにしてて嫌な感じだった」
「確かにね。貴族には独特のルールがあるし、女性はあんまり魔力を使わないみたい。……色々面倒そう」
「そんなんで大丈夫なのか?大公妃殿下」
「まあ……どうにかなるんじゃないかな……」
ルシルは先ほどの失態を思い出して憂鬱な顔になった。
「それにしてもルシルが帰らないっていうのはかなりの大ニュースかも」
「テロイア政府は私の意志を尊重してくれるのかな」
「まあ、ルシルは神子だから機嫌を損ねるな、的な風潮があるしな。その話には驚いたけど。それも本当?」
ルシルは言葉に詰まって悩み、スカイにした説明を簡単に伝えた。幸いレミーは元々別種族だからか、あまり気にしない様だった。
「祖神族ね。よく分からないけど封印とかが解けて、前より強くなったなら、良かったじゃん」
「あはは。それだけ?」
「まあ……元々ルシルは神族っぽくなかったし。獣人の俺等と普通に仲間になれる神族なんて変だろ」
変わり者だと言う認識に変わりはないらしい。
「まあ、今すぐテロイアに無理に戻らなくても良いんじゃない?」
レミーは笑ってルシルの背をバシンと叩いた。
「大陸間移動も、潜水艇だけじゃなくて転移ゲートの設置とか色々進められてるみたいだし。そのうち人の行き来は普通になるだろ」
相変わらず力加減も考え方も適当なレミーが懐かしくて、ルシルは声を上げて笑った。
「しばらくはなかなか会えなくて、さみしくなるけどな!」




