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第七十話 謁見

 巨大な扉からゾロゾロと人を引き連れて入ってきたのは、妖精のような容姿の美しい男性だった。


「帝国に昇る太陽に拝謁いたします」


 彼が部屋に入ってきた途端に、転移陣を取り囲んでいた中央貴族の官吏達が次々に礼を執って道を開けた。


 ルシルも慌てて礼を執って姿勢を低くする。


 到着してすぐに皇帝と対面するとは思わなかった。


 転移で当初の予定よりかなり早く帝都に到着するのだから、滞在する部屋に落ち着いてから数日後の謁見だろうと聞いていたのだ。


 ルシルは突然の出来事に内心冷や汗をかいて、ただひたすら身体を固くした。


「皆、楽にしてくれ」


 皇帝の柔らかな声がかかり、姿勢を戻す人々。

 ルシルは緊張のあまり顔を上げられずにいた。


「遠路大義であった。トーリ大公夫妻」


 少し俯けた顔の先で金色の豪華な衣服がシャラシャラと音を立て、目の前で止まった。


 しんと静まり返る部屋にフェリクスの低く落ち着いた声がゆっくりと響いた。


「お久しぶりでございます、皇帝陛下。婚儀の際には身に余る程の下賜品を賜り恐悦至極にございます」

 

「他でもない実の兄の婚儀だ。当然の事であろう」


 皇帝がその言葉を紡いだ時、広い部屋は誰も居ないかの様にさらに静まり返った。


 これまで決して口に出されなかった兄という言葉を、皇帝が初めて公的に口にしたからだ。


 ルシルのすぐ隣に立つフェリクスも動揺のせいか僅かに身じろぎするのを感じた。フェリクスの動揺を感じて、ルシルのドレスを掴んだ指にも力が入る。


(うう、この空気、いたたまれない)


 ルシルは必死にこの時間が早く過ぎるように祈る。


 謁見用に誂えてもらった礼服ではなく、移動用の簡素な服のまま皇帝と対面していいものなのか。混乱のあまりそんな心配まで過ぎる。


「ヒューゴもよく戻った。すぐにでも連れて戻った伯爵達の移送に向かってくれ」


 皇帝の意識は大公夫妻から帝国魔法師団の方に移り、何事か数人で話し合っている。ルシルはこっそりと一息ついた。


 魔法師団とその一行は恭しく礼を執ると、おざなりに大公国の一行に会釈をした後、誇らしげに颯爽とこの場を離れていった。


 ルシルはこの場で圧倒的な存在感を放っている皇帝にひたすら心の中で願った。


(お出迎え感謝いたします!でも、これにて解散して!)


 しかし皇帝は全く空気を読まず、礼を執ったままのルシルの方を向いて朗らかな声で尋ねた。


「そちらが噂の女人か」


「ご紹介が遅れました。こちらが我が妃、ルシルにございます」


「て、帝国に昇る太陽に拝謁致します、ルシルと申し、ます」


 ルシルは緊張で震えながら練習した言葉を辛うじて発し、ゆっくりと優雅に見えるように姿勢を戻した。


 移動用とは言え、メルセラン商会が誂えた黒いレースと薄紫のドレスは一級品で、ルシルの細い腰にピッタリと沿い、ふんだんに光沢のあるフリルを取った袖は腕の動きに沿って可憐に揺れた。

 

 おずおずと目を向けると、皇帝はアイスブルーの瞳に抑えきれない好奇の色を湛えている。


(近くで見るとますます人間離れした美形ね、フェルの男性的な美しさとはまた違う……なんて綺麗な人だろう)


 細い身体を覆う金色の衣装には白銀の精緻な刺繍が施され、さらさらと揺れる黄金の髪と相まって、眩しいほどに全身光り輝いている。


 背に纏う分厚いマントも同色で襟は高く、沢山の宝石が煌びやかに縫い込められ、頭の上の宝冠にも極大の宝玉が燦然と輝いており、その持ち主の美しさに拍車をかける。


 その姿は、いかにもこの大げさな部屋の主人らしい、豪華絢爛たる様相だった。


 皇帝はふわりと表情を緩ませて、柔らかな声で名乗った。


「我が名はアリオン・オステルマノフ・ラフロイグである。そなたがテロイアのルシルか。噂に違わず美しいな」


「お、お褒めに預かり光栄です」


 同母の兄弟とは思えないほどフェリクスに似ていない皇帝の姿に面食らいながら、ルシルはひたすら当たり障りのない対応を捻り出す。


 帝国貴族の礼儀作法など大公国でじっくり習う暇もなかったので、一言一句に緊張する。


 目を細めて微笑みかける皇帝の姿は、男性にしては少し線が細く、控えめに言っても咲きこぼれる花のような美しさである。豪奢な衣装と相まって、非現実的に輝くオーラをその身に纏っているようにも見える。


 しばらくしても、微笑んでこちらを観察している様子のアリオンに戸惑い、ルシルは仕方なく引き攣った微笑みを返した。

 

(あ、あれ、なんだか空気が突然冷んやり……ってフェル!?)


 隣のフェリクスが途端に不穏な魔力を放出しつつあるのに気がついてルシルは焦った。


 アリオンはそんな事は我関せずで、顎に細い指を這わせてひたすらルシルを観察している。


「ふむ、異種族とはかように美しいものか。それともそなたが特別なのか」


 アリオンが言葉を発する度にどんどん眉間の皺の深くなるフェリクスとは対照的に、皇帝の機嫌はとても高まっているようで、細められたその瞳はますます甘く輝いている。


「……同族は皆似たような容姿をしております」


「ほう、そういえば特使も見目は整っているな。使節団には女性がいないのが残念だ」


 口惜しそうに言ってアリオンがため息を吐くと、後ろに控えていた中年男性がわざとらしく大きな咳払いをした。


「陛下、恐れながら……」


「ああ、分かっている。無粋な奴め、そうせかすな」


 金色の細い眉を顰めて、アリオンは部下に片手をあげて見せた。


「ふむ……公妃に会いたいと言うテロイアの特使を謁見室で待たせているのだ。慌ただしい事だが、このまま謁見に移ろう」


「仰せのままに」


 アリオンが颯爽と踵を返すと、ゾロゾロとお付きの侍従が続き、その後をフェリクスとルシルの二人も案内付きで従った。


 大公国の従者達は、別の案内で滞在する部屋へと連れて行かれるようだ。心配なので、姿を消したままのカリンにはそちらに付いて貰った。


(……?この流れだと、皇帝も同席されるのかしら?)


 ルシルとしては、これから会うテロイア人に何を言われるのか検討もつかない以上、できるだけ部外者とは同席したくない。心細いので、フェリクスにはいて欲しいのだが。


 チラリと横を見上げると、驚くほど機嫌が悪そうなフェリクスの表情が目に入った。


(そんな顔していたら、皇帝に叛意ありとか思われそう!もっと和やかに、せめて穏やかに!)


 ルシルがフェリクスの様子にヤキモキとしているうちに、豪華絢爛な廊下を迷路のように進んで、件の謁見室に到着したようだった。


 再び別の重厚な扉が音を立てて内側に開き、巨大な窓の並ぶ明るい部屋へと一行は足を踏み入れた。


「帝国に登る太陽に拝謁したします」


 中にいた人々が恭しく礼を執る中、皇帝は変化のない軽い足取りで一人、部屋の奥に進んだ。


 ルシル達は玉座前に跪く一団の前で足を止め、その横に同様に跪くと静かに頭を垂れた。


「テロイア特使よ。望み通り、大公妃を連れて参ったぞ」


 豪華な金の衣装を引き摺り、優雅に腰を下ろすと、アリオンは相変わらず思惑の読めない朗らかさで目の前の一団の一人に声をかけた。


 その声に顔を上げた外交特使の姿を見て、ルシルは息を呑んだ。


「皇帝陛下のご厚情に感謝申し上げます」


 長い手足を優雅に折って恭順の姿勢を取る若い男性は、よく見慣れた姿をしている。


 帝国貴族達の様な装飾的な礼服ではなく、連邦政府の制服である機能性の高い紺色のスーツ。


 彼が恭しく頭を下げると、淡いブルーの髪が陶器の人形のような顔にサラサラとこぼれ落ち、その透明なほど明るい空色の瞳を隠した。


「スカイ」


 ルシルの唇から思わず彼の名前がこぼれ落ちた。


 その声は微かだったので、隣で跪いているフェリクスにも聞き取れなかったかもしれない。


(一体、どういうこと?なんでスカイが…… )


 ルシルが会う予定のテロイアの高官とは、軍立学園のいち生徒であるはずがない。


 いや、今は卒業しているから学生ではないにしても、このような重大な局面で表舞台に立つ人物として、彼が選ばれるとも思えないし、むしろ本人が一番嫌がる気もする。


 それでも、ルシルの心に一つ引っかかっている重大な事実はある。


 確かに、彼の実家は、その名を知らない者はいないほどのテロイアを代表する大富豪である。


 彼が常に避けていた実家のコネを存分に使えば、たとえどんな事でもこの世で不可能なことはないとも言える。


 ルシルは自分の鼓動が早まるのを感じていた。


 数少ない大切な友人だと思っているスカイに、こんなに急に会うことになるなんて。


 ましてや初めて交わす会話が公の場では、思い通りに話すことも叶わないだろう。


 混乱する思考のまま、穏やかに交わされる目の前のやり取りを呆然と見ていた。


(スカイ、トミー、レミー。三人には一番に会いに行きたいと思ってたし、一番に謝りたいけど)


 心配をかけたことへの謝罪や、自分の身に起きた数々の変化、判明した出自への戸惑いや、学園長や父の近況など、話したいことは山ほどある。


 山ほどあるのに、今この状況で話すことは一つも思いつかなかった。

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