第七話 大公城
大公は心得ていた、というように重々しく頷くと、人払いの合図をした。
壁際に並んでいた使用人たちが、あっという間にいなくなり、残ったのは大公ともう一人、腹心らしき男性だけになった。侍女扱いのデボラも別室での待機に下がった。
「私はこのトーリ大公国を治めているフェリクス・トーリ・ラフロイグである、先ほどは名も名乗らずに失礼した」
「こちらこそ、先ほどは助けていただき感謝申し上げます。ルシル・クロフォードと申します」
「エリスモルトのマリアンヌ様では?」
大公の傍に控えていた男性が思わずというふうに言葉を挟んだ。
細めのすらりとした長身で、紺色の長い髪を後ろで束ねている。ルシルを見る瞳も紺、理知的な印象を受ける男性だ。
「大変申し訳ありません、先ほどは魔力枯渇で話すこともままならず、混乱させたままになってしまいましたが、私はマリアンヌ様ではございません。ルシルとお呼びください」
驚いた様子の二人に、ひとまずは考えていた言い訳を披露する事にする。
「乳母のデボラ嬢は、私の故郷秘伝の強い回復薬で瀕死状態から回復したため、ひどい副作用で幻聴、幻覚、意識の混乱などがあったと思われます。そのため通りがかりに救助しただけの私をマリアンヌ様と混同したのかと。彼女には、なにとぞ温情ある沙汰をお願い致します」
いちかばちかの言い訳だったが、二人の様子から割とすんなり受け入れられた様子だった。
「なるほど。それではひとまずルシル殿、私は大公閣下の副官でジルベール・アルトワと申します、以降お見知りおきを」
怪しさ満点のルシルにも、丁寧に挨拶するジルベール。ルシルは、大公も副官も少しは会話ができそうだと、内心で胸をなでおろした。軽く腰を落として挨拶を返す。
「マリアンヌ様は、私が駆け付けた時にはすでにお姿がなく、大変残念な事に存じます。そして、素性も解らぬ私を大公家でお救い下さった事、改めて深く感謝申し上げます」
「いや、御子と乳母を救ってくれたこと、大儀であった。一行の行方は、騎士団に崖下を捜索させてはいるが、落下地点が川だった事と大型獣の多い隔絶の森では、ほぼ痕跡を探すのは不可能だと思っている」
大公が、淡々と伝えてくる内容に、ルシルは内心身震いした。そういえば大型獣もいる様な森の中で、不用意にも倒れてしまった。あの状態では騎士団が着く前にデボラたちと一緒に獣に襲われていてもおかしくなかったのか。
「ところでルシル殿は、纏われている魔力から、高位のご令嬢とお見受けしますが、帝国領のご出身で?」
ジルベールが、穏やかな笑顔でルシルに尋ねた。
ルシルは表情を変えずに、内心、にんまりと笑った。
他種族を驚かせない程度に、でもそこそこ多い位の魔力。思い切ってデボラに相談しながら、魔力隠蔽魔法で慎重に調節したのは、このためなのだ。
どこかの貴族なら怪しい者ではないと認識してもらおうという作戦。ジルベールの反応から見て、ある程度は成功したようだ。逆に余計に怪しまれているのか、腹芸を見破る能力はルシルにはないのだが。
「いえ、それが、あの森以前の記憶を失っておりまして。不本意ながら自分の名前程度しか思い出せることがないのです」
ことさら不安そうな顔をして、同情をひくようにする。できれば事情をあまり聞かずに、しばらく置いてもらえませんか、という心の叫びを目で訴えるルシル。
「なんと、それは難儀なことですね」
ジルベールはルシルに同情的な言葉をかけると、意味ありげに大公を振り返った。
「しばらくは城に逗留したらいいだろう、ジル。采配を」
「かしこまりました」
「格別なお気遣い、ありがとう存じます」
小躍りしたい気持ちを落ち着けて、丁寧に感謝を述べるルシル。
私はどこぞの高位貴族令嬢なので、怪しい事はありませんよ、大公様!
大公は、もの思わし気に小さなため息をつくと、なぜか嬉しそうなジルベールにとがめるような視線を向けた。それには気が付かないふりで、機嫌よくルシルを見るジルベール。
ルシルは、ジルベールの好意的な様子に背を押され、予め言い訳をしておくことにした。
「何分記憶があいまいなので、礼節なども不十分な事があるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです」
「いえいえ、そもそも大公閣下は、もともと格式ばった物事がお嫌いなので、帝国式の礼節はあまり気にせずにお過ごしいただいて結構ですよ」
「そうなのですね」
満面の笑顔のジルベールにますます複雑な顔をする大公を見て、ルシルもやっと緊張が解け、控えめな笑顔をこぼした。慣れない事なので、顔が引きつらない様に苦労する。
「ルシル殿が我が帝国の御子であるレイモンド様をお救い下さった恩人であることに変わりはありません。ご記憶がしっかりと戻るまでは、どれほど居ていただいても構いませんので」
自分の何かがジルベールに気に入られたらしいと察して、ルシルはほっとした。
大公は先程からあまり機嫌がいいようには見えないが、高貴な人とはそんなものだろう。
「見知らぬ令嬢を逗留させるとなると、大公様の外聞にお困りでしたら、対外的にはどのような名目でもご随意に。私はそちらに全て従いますので」
暗に、レイモンド君の母君設定も受け入れますよ、と伝えてはみたが、何故か反応は芳しくなかった。ルシルのもっともらしい身の上話は、恐らく関係各所で懸案の上、後程決定、通達されるのだろう。結局ジルベールのあいまいな笑顔でかわされただけだった。
「それでは食事にしよう」
大公の言葉で、使用人たちが戻り、略式の晩餐が始まった。
食事の席には、急遽ジルベールも参加し、当たり障りのない会話で場を盛り上げてくれた。ルシルも最大限、お上品に振舞いながらも、徹底して和やかな雰囲気を演出した。
「食事の作法などは、こちらと違うようならば気にすることはない。元々この城では、それほど作法を気にかけるような者もいないからな」
大公は、寡黙な人だが、終始穏やかな表情で、慣れないルシルになんやかやと気を使ってくれる。緊張の残っていたルシルも、大公の温かな気遣いに、自然な笑顔を返した。
「感謝いたします。そういって頂けると、作法を気にせず食事に集中できますわ」
ルシルはかいがいしく給仕を受けながら、食文化にはそれほど差異がない事に安堵した。
多少、味気ない程度。盛り付けや見た目は格式高く大変美しい。いや、そもそも十分な量の食事を確保できれば、魔力維持には全く問題はないのだ。
ただルシルはもともと薄味でシンプルな料理を好むので、実は大公城の料理は好みにも合っている。そして多めの魔力を使った後は、とりわけ空腹になるのが常だった。
すっかり気が緩んだルシルは、お上品な令嬢らしさの範疇を超えて、ついつい食事に夢中になっていた。
「食事が口に合ったようで何よりだ」
大公が、思わず、といったようにルシルに声をかけた。
ちょっとはしたないレベルでステーキを口に頬張っていたルシルは、その言葉に慌てて口の中のものを飲み込む。
「おほほ、あまりに美味だったので夢中になってしまいました、これはご無礼を」
内心では冷や汗をかきながら、とりあえず、満面の笑顔でごまかす。
故郷では、女のくせに愛嬌がないと陰口をたたかれていたのを知っているが、なけなしの愛嬌を総動員してでも、大公城の人達の心象を良くするために頑張るしかない。
「いや、好きなだけ沢山食べたらいい。中央の様に豪奢な料理はないが、ここは隔絶の森に近く、魔素を多く含む採れたての素材だけはふんだんにあるからな」
目元を少しだけ緩ませて、ルシルに語り掛ける大公は、食卓の上の豪華なシャンデリアの灯の下で、透き通った紫色の瞳を無駄にキラキラと輝かせている。
彼は恐らく人族の中ではかなり美しいのだろう。
見目の整った神族に見慣れているルシルでも、少し見惚れてしまう瞬間がある。
そもそも、神族は総じて美形とは言われるが、皆どちらかというと男女共に色素が薄く色白で、薄い金髪や銀髪、大きめの青や緑の瞳、身体は細く長身で、細面の顔をしているものだ。
一方人族である大公は少し日焼けしたような肌に、漆黒の髪、切れ長で神秘的な紫の瞳で、全体に落ち着いた色味である。
加えてその堂々とした体躯としっかりとした骨格のせいか、やたらと存在感があり、目を惹く。
こういう見た目を一般には精悍、というのだろうか。
いや、大公の顔をうっとり堪能している場合ではない。
ルシルはぼんやりと大公の横顔を眺めていた自分に気が付いて、ぐっと背筋を伸ばした。
少なくとも当面の衣食住の心配はなくなった。あとはなるべく大公側の機嫌をとって、おいおい、本丸のお願いをおねだりしてみよう。
まずは森に入る許可を。
ゆくゆくは山を越えて海岸線に降りる許可だ。
今はまだ、出自は謎だが、大人しく、従順な貴族令嬢のふりをして周囲を安心させなくては。
ルシルははやる気持ちを落ち着かせながら、次々に大量の食べ物を咀嚼しつつ、この先の計画に思いをはせた。




