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第六十七話 召喚

「皇帝からの手紙がきたの?」


 執務室に入ると、フェリクスが見覚えのある豪華な封筒を持っているのを見て、ルシルは向かいに腰を下ろした。


「そうだ。君への召喚状だった」


 金色の封蝋の付いた分厚い封筒を渡されて、さっと目を通したルシルは目を見開く。


「帝都でテロイアの外交特使と面会せよ……ね」


「ああ。テロイアの特使は、君との面会を国交樹立の前提条件にしているらしい」


 (はあ……。またなんだか大事になってる……)


 正直国交樹立やら外交特使やらと言う政治的な話には出来る限り無関係でいたいけど、先方からの打診ならそうも言っていられない。


「外交特使と面会と言っても、一体何を話せば良いのかしら。全然想像もつかない」


 そもそも、本国にいた時も連邦議会や神族筆頭会議の面々に縁を持つこともなかったのだ。時々公営放送で目にする程度で、自分には遠い話だと考えていた。


 難しい顔で黙りこんだルシルに、フェリクスは静かな声をかけた。


「帝都には私も共に行こう」


 ルシルはその言葉に驚いて顔を上げた。


「え……?でも……」


 前のめりになっていたせいか、小さなテーブル越しに二人の距離が思いのほか近付いていた事に驚く。ルシルは慌てて姿勢を戻すと、コホンと咳払いした。


 皇帝や中央の人々に会う事は彼にとっては一番辛いはずだ。過酷な幼少期を打ち明けた時の、翳った表情が思い出される。


「初めての皇帝との謁見に、公妃だけを行かせる訳にはいかない。当然の事だ」


 いつも通りにしているつもりのフェリクスの表情は、最近明らかにルシルにだけ甘い。今日も自覚のなさそうなその柔らかな眼差しに、ルシルの顔はしっかり赤くなった。


「……ごめんなさい、私のために嫌な人達に会いに行く事になってしまって」


 フェリクスは優しく目を細めた。


「いいんだ。前から覚悟はできていた。全ては優先順位の問題で、そう思うと彼等に会うことなど何でもない」


 この人はきっと、これまで避けていた様々な事を私の為に受け入れようとしてくれている。


 感謝の気持と一層の愛しさが募った。


「ありがとう。皇帝陛下との謁見なんて凄く緊張するから、一緒に居てくれたら本当に心強いわ」


(帝国の皇帝陛下との謁見なんて、絶対に礼儀作法とか何か貴族的な細かいルールがあるはずよね)


 謁見の作法なんて全く分からないのも不安だ。それは後で常識人のジルベールにでも聞いておくしかないかも知れない。


「特使と会う時も、夫婦揃ってでも良いのかしら?」


 さらにはその後のテロイア高官との話し合いも憂鬱だ。一体何を言われるのか。


 さすがに帝国の大公と一緒なら、そんなに変な事は言われないだろうか。


「ああ。君はテロイアの国民ではなく、もう大公国の公妃であり、私の妻だと言うことを公的に主張する良い機会だ。必ず私も同席しよう」


 フェリクスは何故か嬉しそうな笑顔を見せた。


 その笑顔を見て急に押し寄せた不安に、ルシルは複雑な思いで曖昧に頷いた。


(核石の事は、いつかは相談しないといけない)


 私が本当に大公国に永住するなら、先に解決しておく問題だ。そしてテロイアにも一度戻って、父や友人ともきちんと話をしたい。


(全部大切なことなのに、なんだかどうしても言い出せないのは多分、自分でも怖いからだ)


 この幸せな時間がいつか泡のように弾けて、消えてなくなるのが怖いのだ。


 ルシルは城内に滞在している近隣国の女性達が、姿を見せない大公妃にある物語を重ねて噂しているのを知っている。


 有名なその話には、海の魔物を象徴する化け物が出てくる。化け物はある日、美しい人間の王子に恋をして、少女に姿を真似て近づくが、いつしか王子は彼女の本当の姿を暴くと平和のためにこれを討伐する。


 その後王子は化け物を退けた勇者として隣国の姫を娶り、幸せに暮らした、という内容らしい。


(……哀れな化け物は、それでも幸せだったのかな)


 くだらないこじつけだと分かっていても、ルシルにはまるでそれが真理のように思えてならなかった。


(ほんの少しの間でも王子の傍にいられて)


 フェリクスとの間に確かな絆が出来たのは分かっている。彼の優しい瞳に、声に、自分に注がれる愛情をしっかりと感じる事ができる。


 それでも、だからこそ、どうしようもない理由でまた離れ離れになるのがただひたすらに怖いのだ。


 ルシルはどうしても暗くなっていく思考に、慌てて明るい話題を探した。


「そうだ。帝都には私の転移で移動できるから長旅の心配は要らないわ。大荷物でも団体様でも任せておいてね」


「それは助かる。実は、君とテロイア側との面会は出来るだけ秘密裏に行いたいと言う要望があるらしい。従って帝都へはごく少人数で行く予定だ」


 フェリクスは明るい表情で話を続けた。


「そうなのね。それならすぐにでも行けるわね。そういう面倒そうなのはさっさと済ませてしまいたいし」


「そうだな。移動手段の協力が得られるなら、数日後の出発でも良いだろう。ジルと先方にそう伝えておく」


「了解」


 そこまで明るく話していたフェリクスが、少し眉を下げてルシルを見つめた。


「ルー。それと君には予め伝えておく。すまないが帝都では……私のせいで嫌な思いをするかもしれない」


「え……」


「皇太后も皇帝も昔から私を目の敵にしているからな。奴らも取り巻き達も、私だけでなく公妃の君にも失礼な態度を取るはずだ」


「そんなこと全然気にしないわ。私はそもそも貴族でもないし、失礼な態度かどうかも分からないかも」


「そんなわけないさ。奴らは本当に……容赦がないから」


「大丈夫よ、こう見えても私、祖神族ですからね。悪い奴らは頭からバリバリ丸かじりするかもしれないわよ!」


「はは、そうか。それはなかなか愉快かもしれんな」


 ルシルはまた明るい表情に戻ったフェリクスに安心して、笑顔を返した。


「帝都での謁見や帰還の宴の時の身支度は、メルセランに頼んである。かなり前から用意していたから、急な出立でも十分間に合うだろう」


「かなり前から用意していた?」


「そうだ。私は君を絶対に諦めないと決めていた。だから、君が城に戻った時に必要になる物を事前に用意させておいたのだ。私自身の決意として」


 真剣な声音で答えるフェリクスの瞳に切なげな光が見えて、ルシルは落ち着かない気持ちになった。


 フェリクスが毎日全身全霊で伝えてくれる愛情と、それに喜びと共に全力で応えたい気持ち、そしていつかそれを失うかも知れない恐怖。その全ての感情が無い混ぜになってルシルを途方に暮れさせる。


「そ……そうなのね。ありがとう」


 フェリクスは、長い睫毛を伏せて少し逡巡し、再び視線を上げると、美しい紫の瞳を揺らせた。


「ルー」


「は、はい」


「契約結婚の話は、白紙に戻したい。前に伝えたように、私は真実君を伴侶に迎えたいんだ」


 真剣な声に、ルシルの胸は鼓動を速める。


 もちろんルシルも同じ気持ちだ。


 今すぐその胸に飛び込んで、私も同じ気持ちだと叫びたい。


 ずっとあなたと一緒に生きていきたいのだと。


 でもそんな気持ちに冷水をかけるように、エイリーヤが見せた核石の映像が脳裏をよぎる。

 答える声が震えてしまう。


「……私も……私ももちろん同じ気持ちよ」


「本当に?」


「ほ……本当に」


 ルシルは思わず目を逸らして俯いた。


「分かった」


 頭の上で、フェリクスのため息混じりの声が響く。


「夕刻、君の作った湖の視察の後で少し付き合ってくれ」


 おずおずと顔を上げると、いつになく固い表情のフェリクスにルシルは曖昧に頷き返した。



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