第六十六話 神獣
翌日からは急ピッチで宿泊施設建設計画が進められた。
ルシルの神力によって驚くべき速さで簡易的な宿舎が整えられていく様子を、城の人々は最初はポカンと口を開けて見ていたが、そのうちどこからともなく大歓声が沸き上がった。
調子に乗ったルシルは建設中の場所をくまなく見て回っては、難しい部分や時間のかかる箇所を手助けして回った。
「ひ……妃殿下。あまり無理なさいませんように……。まだ帰還されて間もないのですから」
ルシル付きの侍女長のアンも、護衛のオニキスもすっかり元通りだが、さすがに振り回しすぎたか、ルシルを追い回しては息も絶え絶えとなっている。
「そ……そうですよ。少しは休憩されてくださいよ……」
常に付いてくる彼等があまりに大変そうなので、神力で時々こっそり回復させている。
「ふう……。ごめん。確かに張り切りすぎたかな。あとはここだけよね。この辺にあった庭園は私がすっかり吹き飛ばしちゃったのね」
ルシルは最後に、自分が暴走して作り出したクレーターのような大穴を見渡していた。
こんなに地形が変わるほどの状態だとは。
我ながらなかなか酷い有様だと思う。
さすがにここだけは誰にも処理できなかったはずだ。
立ちつくすルシルの横で立ち入り禁止の立て札が傾いて、むなしく風になびいている。
「カリン」
ルシルは姿を消して同じ様にずっと付いてきていたカリンに顔を向けた。
「ここ全部、湖にしちゃうのはどうかな」
ルシルが人目を気にせず直接呼びかけて来たことに少し驚き、カリンは本来の大きさですぐ横に姿を現した。
「まあ、いいんじゃないかぷ?湖は水資源に使えるぷ」
「そうよね。冬場も凍らない奇跡の湖にしたいわ」
ルシルの横に突然現れた大型獣にオニキスとアンは一瞬ぎょっとしたようだが、大公妃のやることには皆すでにいちいち驚かなくなっている。
少し逡巡したあとすぐに訳知り顔になると、少し離れた所でそのまま休憩することにしたらしい。
周囲の人間に存在を案外すんなり受け入れられたカリンは、嬉しそうに目を輝かせてルシルを見上げている。
「じゃあうまくやってくれる?私の神獣さん」
張り切った表情が微笑ましくて、ルシルはクスクス笑いながら片目をつぶってみせた。
「任せとけだぷー!まずは材料の水を集めるぷ!」
そう言うやいなや、立派になった尻尾をブルブルと振って、空中に大きな水の塊を作り出すカリン。
「さっき作ってた周囲の建物群から水分を取り出して乾燥させれば、補強にもなって一石二鳥だぷ!」
「なるほどね。それでも少し足りないんじゃない?」
「大丈夫だぷ、広い隔絶の森なら川も滝もあるからぷ」
「さすがは大精霊様。やっぱり自然に関することは専門家に任せるべきよね」
一人で東奔西走していたルシルの為に手伝いが出来るとなって、誇らしさではち切れんばかりに跳ね回っているカリンを見ながら、ルシルはもう一人の友人、ジャックのことを思い出した。
(ジャック……。連邦捜査官達と一緒にルイガスの本家に戻ると言っていたけど。私も同行しなくて大丈夫だったのかな)
ルシルがフェリクスと気持ちを確かめ合った後、ジャックは城で待っていた捜査官達に説得されてテロイアに一度戻る事になり、しばし別れる事になったのだ。
(私なら転移ですぐにでも帰れるけど……。父様と会うのはまだちょっと気まずいし……)
ルシルは自分の生い立ちを知ってから、故郷の人達にどう接するべきか考えあぐねていた。
ジャックによるとルシルの実際の事情を知っていたのはほんの僅かな人達だけで、その他大勢は『何か訳アリ』程度の認識でいたという。
だとしても、自分自身の事なのに自分だけが蚊帳の外だった事を考えると、正直まだ気持ちの整理がつかないのが本音だった。
(それに今はフェルやレイを心配させたくないな……。城の皆と過ごしながら、ジャックがまたこっちに戻るのを待つしかないか)
出来れば神族長老会との面会などと言う面倒事は避けたかったが、そうも言っていられない。少なくとも先日のエイリーヤの行動で、テロイア大陸全体に災害級の被害が出ているのは確かなのだから。
それを思い出すと、胸に鉛が詰まったような重たさがのしかかる。
ボンヤリと考え込むルシルの顔面に、小さくなったカリンがポスっとへばりついてきた。
「ルシル!!進化した我の力はどうだぷ!?」
フワフワとくすぐったいカリンを両手で剥がして慌てて見渡せば、目の前には陽の光にキラキラと輝く巨大な湖が出来上がっていた。まさにあっという間の出来事だ。
「すごい!!」
ルシルは満面の笑顔になって、モコモコの毛玉になったカリンを頭上に持ち上げて振り回した。
「わっ!!なにするだぷー!?」
「あははは!カリン!!やっぱりあなたは最高よ!」
「ふ、ふん。我にかかればこれくらい大した事ないぷ」
オッドアイをすがめてドヤ顔をしているカリンを胸に下ろすと、フワフワの毛に頬ずりをして抱きしめた。
「ありがとう、カリン」
カリンの不思議な温かさと森の中の様な香りが先程までのルシルの不安を慰めた。
「妃殿下!これはいったい……!」
「こ、こんなに大きな湖を一瞬で!?」
オニキスとアンは慌てふためいてルシル達に走り寄ると、目の前の光景に絶句している。
ルシルの奇行や規格外の能力を見慣れたはずの二人でも、これほどの奇跡には度肝を抜かれたらしい。
「これだけでは少し淋しいから、外周を回りながら木を植えて木陰を作ったり、桟橋を作って船を使えるようにしたいわね」
思案気に小さく呟くルシルの肩にカリンがよじ登ってへばりついた。
「なるほどだぷ!ここは城の水資源だけじゃなく、今後の観光資源にもするつもりなんだぷね?」
「そうよ、こんなに美しい湖!せっかくだもの、大公国の未来のために沢山役立って貰わないと」
「か、観光資源……ですか?」
アンとオニキスは面食らったような顔でルシルを見つめた。ルシルはそんな二人に悪戯っぽく笑うと頷いた。
「ええ。私のせいでいまや大公国は注目の的でしょう。これからも、近隣国や遠方からも大公夫妻に謁見したいと人々が押し寄せるはずよ」
「あ……ええ。まあそれは」
二人は幾分気まずそうに顔を見合わせている。
ルシルが見世物になる事を心配してくれているのだ。
テロイアでも、理由は分からなかったが周囲には距離を置かれ、それでも不思議と常に注目されていた。
だからこそ、ルシルは自分がこの大陸で、テロイア出身の神族と言う珍しい化け物である事実をよく理解できた。そしてそういう人物がどう扱われるかも。
「見世物になる事はそれほど嫌じゃないの。大公国は気候や隔絶の森の魔物のせいもあって、税収が豊かとは言えないものね。何か他にも収入源が必要でしょ」
「妃殿下……。まだ御成婚されて間もないのに、そこまでこの国の事を考えてくださるとは。ご立派です!」
オニキスが感極まったように騎士の礼をとった。
アンもその横で胸に手を当てて涙ぐんでいる。
ルシルはそんな二人に照れくさそうに微笑みかけると再び輝く湖に目を戻した。
実はすでに到着している近隣国のゲスト達から様々な噂話をされているのをルシルは把握していた。
中には、『伝説の化け物が帝国の大公に身の程知らずにも恋をした』などと言うものもあって、図星を突かれたようで少し落ち込んだりしている。
それでも、テロイアにいた時の自分とは確実に違うことがある。たとえ化け物であろうと、受け入れてくれる人々がここには沢山いる所だ。
(彼等のためになるなら、どんなことでも苦にならない)
ルシルはそう考える自分の胸の奥が温かい事に感謝しながら、ふとテロイアにいた頃の数少ない友人達の事を思い出していた。
学園でも常に遠巻きにされる自分に初めて屈託なく笑いかけてくれた仲間と恩師。父との関係が希薄だった自分に、故郷で唯一寄り添ってくれた人達だ。
(皆……。今頃どうしているのかな。私の事、今はどう思っているんだろう)
おっかなびっくりカリンとじゃれ合うアンとオニキスの楽しそうな声を聞きながら、ルシルは久しぶりに故郷に思いを馳せた。




