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第六十三話 告白 side フェリクス

 隔絶の森の深部で、失踪した大公妃が目撃された、と言う第一報は速やかに大公城に届けられた。


「よし!!やっとか!」


「よくやってくれた!」


 フェリクスが興奮冷めやらぬ表情で隣のジルベールに視線をやると、握った拳を天高く突き上げていた彼は気まずげに手を静かに下ろし、すました顔で尋ねた。


「閣下、お迎えに向かわれますか?」


「そ……そうだな。すぐに支度を」


 最初の興奮が冷めると、直後に冷静さが戻った。


 (彼女が……戻って来る)


 フェリクスの脳裏に思い起こされるのは再びあのシーンだった。


 龍族の男に庇われる彼女の姿と、心配して駆け寄ってきた彼女の顔も見れなかった自分。


 (今度こそ、きちんと向き合いたい)


 そっと瞼を閉じると、あの日襲撃の最中に、自分を真っ直ぐに見ていた彼女の表情が鮮烈に思い出された。


「かしこまりました。それでは明朝には御出発出来る様に万事整えて参ります」


 その日のうちに大公城は大公妃の帰還に向けての準備で突然慌しくなった。


 これまであてもなく国内を、特に隔絶の森を重点的に捜索していた騎士団にとって、この目撃証言がこれまでの努力が間違いではなかったと言う安堵をもたらした。


 妃殿下の姿さえ森で見つかったのなら、もう心配は要らない。長い間の緊張が解けた城は一気に明るい雰囲気になっていた。


「ちちうえ!ははうえがかえってくるってほんとう?」


 夕刻に部屋を訪れたフェリクスに慌てて駆け寄ってきたレイモンドは、作法をすっかり忘れて挨拶もなく問いかけた。


 その行動に慌てる周囲を手で軽く諌めて、フェリクスはレイモンドを抱き上げるとその瞳を合わせた。


「ああ、私が必ず連れ帰るつもりだ」


 レイモンドは自分に似た紫の瞳を輝かせて、抑えきれないように声を上げて笑った。柔らかな頬が薄いピンク色に上気している。


「やった!レイ、おべんきょ、がんばったよ」


「そうだな、きっと彼女が帰ったら沢山褒めてくれるだろう」


 ニコニコして嬉しそうなレイモンドを見て、フェリクスの顔にも柔らかな笑みが浮かんだ。


 彼女の不在の間に、レイモンドの身体は少し大きくなった。話し方もしっかりしてきたし、きっと彼女も子供の成長の早さに驚くはずだ。


「ははうえに、けんじゅちゅもみせるね!」


「そうだな、きっと喜ぶぞ」


 レイモンドの両脇に手を入れて高く持ち上げると、歓声を上げて一層笑い声を上げる。


 レイモンドと暮らすようになって、子供の笑い声はどうしてか温かい気持ちを周囲にもたらすのだと知った。


 (早く君に会いたい)


 レイモンドの成長ぶりにルシルの瞳が喜びに輝くのを想像するだけで、何かが内からこみ上げる様な気持ちになる。


 歓声を上げ続けるレイモンドを肩に乗せたフェリクスの瞳からは、早くも深い翳りの色は薄れていた。



***



 翌日の早朝、フェリクスは逸る気持ちを抑えながら、森の深部を目指していた。


 昨日の目撃報告に続いて、大公妃発見の知らせが朝一番にタルジュールに届いたのだ。知らせを受けてすぐ、準備もそこそこに少人数で城を飛び出した。


「現地にはマルクス団長が到着しています」


「他の者たちは?」


 捜索隊は、幾つかに別れて広大な隔絶の森を網羅していた。ついに大公妃が見つかったとなれば、皇帝の命を受けている帝国魔法師団の動きも気になる。


「現在、同じ報告を受けて合流しつつあるはずです」


「そうか。魔法師団よりは早く到着すると良いのだが」


 フェリクス達が報告にあった地点に到着すると、そこにはすでに幾つかの天幕が張られており、合流した騎士団員たちの多くが昨夜から逗留している様子が伺える。


「マルクス!!」


 大公の到着を知らせようと伝令が天幕に向けて走り出すのが見えたが、フェリクスは構わずに騎獣の上で声を張り上げた。


「閣下!!道中ご無事で何よりです!!」


 慌てて天幕から走り出してきたマルクスを見下ろして、フェリクスが状況を尋ねようとした時だった。


 マルクスが出てきた天幕から、続いて人影が現れた。



「フェル」 



 ルシルだった。



 半年前に別れたときと変わらない美しい姿。

 長い銀髪は少し伸び、白磁の頬には朱がさしている。



 フェリクスの心臓は大きく脈打った。

 


(ああ、彼女はなんて美しいのだろう。そこにいるだけで、俺には全てが光り輝いて見える)


 輝くような碧色の瞳は金色が溶けたように混ざって不思議な色合いになっていた。


(神々よ、感謝します。彼女が例え何者であったとしても、俺はもうこの思いを偽ることは出来ない)


 この半年ほど、様々な思いを抱いて悩みながら、それでも夢に見たこの瞬間。フェリクスはほとんど無意識に騎獣を降りると、ルシルに向かって駆け出していた。


 細い身体を掻き抱く瞬間、彼女の表情が驚きに染まるのを見た。


 きっと、言葉が先であるべきだったかもしれない。


 それでも、衝動的に彼女の体温を確かめずにはいられなかった。


「ルシル……!良かった……!!」 


 抱きしめた柔らかな身体からは、温かさと彼女の鼓動が感じられた。そして彼女特有の、爽やかな花のような香り。


「もう、会えないのかと心配していた」


 抱きしめたままで首筋に囁くと、彼女の鼓動が一層早まるのが感じられた。真っ白な細い首が頬と同じにどんどん赤く染まっていく。


(ああ、そうか。騎士達の前だったな)


 久しぶりに見るこの少女の様な反応も、フェリクスの心を痛いほどに甘く締め付けた。


 自分の名前を呼んだきり、口を開けしめするだけで何も言わないルシルに苦笑して身体を離すと、フェリクスは強引な自分の態度に軽く咳払いをした。


「失礼。少し、天幕で話そう」


 誰もがおしどり夫婦だと思っている大公夫妻の感動の再会に、周りを取り囲んだ騎士団員達からは指笛や拍手喝采が追いかけてくる。


 先ほどマルクスの出てきた天幕に入って二人きりになると、ルシルは真っ赤な顔のままで困惑した表情を浮かべた。


「あ……あの、フェル??えっと……さっきのあれはええとその、契約結婚の為の演技の続きとかなの……?」


 へどもどした口調で視線をウロウロと彷徨わせるルシル。


「いや、演技じゃない。全て本心だ」


「本心……?」


「私は君のことが好きなんだ」


 そう伝えると、ルシルはこちらを見たまましばし呆然と固まった。


「ええええっ?!で、で、で、でもあの時は……」


 止まった息を吹き返したように大声で叫ぶルシルに、フェリクスはずっと言いたかった言葉をやっと口にした。


「あの時すぐに答えられずにすまなかった。全ては私のくだらない嫉妬心のせいだ」


「しっ……?しっ??」


「君が……龍族の男と一緒にいるのを見て、私では釣り合わないと、そう思ってしまった。我ながら実に情けない」


「龍族の男……?って、もしかしてジャックの事?」


 ルシルの呆気にとられた様子を見て、フェリクスは内心で自嘲した。あの時の自分は、様々な状況が重なって、冷静に物事が見れなくなっていた。


 目の前の彼女は、真っ赤になった頬を抑えながら驚いた顔でただひたすらにこちらを見つめている。


 だがその瞳の底には、自惚れた男の幻想でなければ、抑えようのない歓喜が宿っているように思えた。


 信頼していた部下の背信と、彼女の真実。そして城への襲撃とレイモンドの危機。それら全てが重なり合っていたとは言え、冷静にこうして彼女を見るだけで全てが杞憂だとすぐに分かったはずなのに。


「で、でででも私はその、人族ではなくて。それにずっとあなたを騙していて」


 ルシルは急に頭を左右に激しく振って、慌てたように言い出した。


「君が何者であっても、私の気持ちは変わらない」


 彼女の言葉に被せるようにそう言うと、その美しい瞳を見開いたルシルは、真っ赤な頬を両手で思い切り挟み過ぎて、唇を小鳥のように尖らせている。


 そんな彼女は、変わらずに無邪気で正直で、たまらなく愛らしい。


 そう思っていることも、言葉にしなければ伝わらない。言葉にしなければ誤解が生まれ、お互い知らぬ間にすれ違っていくだけだ。


 もう二度と会えないのかと思った時の喪失感を思い出し、フェリクスはただ、それだけは嫌だと思った。


 これからきっと、彼女には多くの変化があるはずだ。


 自分があの時のように、くだらないいじけた事を言っている間に、テロイアから来た得体の知れない奴らに、果ては皇帝の強引な目論見に、あっという間に彼女を奪われるかも知れない。

 

 だから今ここできちんと、話をしなければならない。


「ルシル。君の心に変わりはないだろうか?」


 フェリクスは、腹に力を込めて問いかけた。


「私はこの北の小国のしがない番人でしかない。きっと君の暮らす国の男達のように、強い力もなければ華やかな容姿も強靭な身体も持ち合わせない」


 彼女が自分を好きだと言った理由は、今でも分からない。


「だが他の者たちの事や自分の卑小さは何の関係もない。そして君が何者であるかも関係がない」


 母に理由もなく拒絶されたときから、心の何処かで自分は誰にも選ばれないのだと思ってきた。


 誰かにこんな風に、愛を乞う日が来るとは思わなかった。


「私はただ目の前の君を、心から愛しく思っている」


 ひと息にそう言うと、ルシルの瞳は大きく揺れた。


「そして私にあるのは、君を思うこの気持ちだけだ」


 フェリクスは祈るような気持ちで続けた。


「君はそれでも変わらず私を選んでくれるのだろうか」


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