第六十一話 隠された妃 side ヒューゴ
一方、大公国では失踪した大公妃の捜索に総力を上げていた。
意識不明の重体だった大公が一命を取り留めた後で、大公国騎士団による大公妃捜索隊は再編成され、隔絶の森はもとより、北の山脈に向けての遠征も控えている。
また帝国からの使節団は想定外の長期逗留を余儀なくされていた。
この日、帝国魔法師団団長のヒューゴ・ダインは、数人の部下と共に大公国副官のジルベール・アルトワと面会していた。
「ダイン卿、その後中央からの連絡は」
紺色の髪をやや乱し、眼の下に隈を作ったジルベールが疲れた様子でヒューゴに声をかけた。
「あちらもテロイア政府との会談と皇太后一派の掃討で手一杯らしい。応援部隊が到着するまではこのまま我々のみで大公妃の捜索を続けよとの指示だ」
殊更落ち着いた様子で返答するヒューゴだが、内心宰相である父の命令にはいささか困惑していた。
そもそも諜報員でもない自分に、捜索と同時に大公国側の真意を探れと下命されたからだ。
「そうですか」
「それでは引き続き捜索を……」
帯同していた一人の団員がいつも通りの上官のやり取りに口を挟んだ。
「団長、使節団の貴族達は家門の取り潰しがあるかもしれないと怯えていてまともに会話も出来ないほどです。彼等の脱走を防ぐのに監視役が数名必要かと」
同行した団員は少数の為、使えない貴族共の監視の為に割く人員もいない。苦虫を噛み潰したような顔で発言した部下を見るヒューゴに、別の一人が恐る恐る進言する。
「団長、彼等の監視は大公国の事務方に任せて、我々は騎士団と共に動くべきかと愚考します」
他の団員達も不安気にヒューゴの顔色を伺っている。
私情を挟まずに大公国と協力して任務を遂行する事が現状最優先だということはヒューゴにも分かっていた。
しかし皇帝の兄ではあるが中央では実権のない大公と言う人物が、使節団に対して明らかに横柄な態度を取っていた事や、襲撃時にも帝国魔法師団長である自分に助力を求めなかった事には少しわだかまりを感じていた。
「……聞いての通り、そちらも城の復興で忙しいのではないかと要請を控えていたが、同行した貴族達の身柄を監視するのに人員が必要なのだが」
顔を顰めたまま低い声で言うヒューゴに、大公の右腕と言われるジルベールは軽い口調で答えた。
「いえ、構いませんよ、もともとお客様なのですから。お帰りまではこちらが責任を持って人を付けてお世話させて頂きますので、どうぞご心配なく」
ヒューゴは苛立ちを押し込めて素っ気なく頷いた。
「それでは、そのように。代わりに捜索任務中は大公騎士団の指示に従おう」
「承知しました。それでは団長様は私とこちらへ」
簡単な指示を部下に残してヒューゴはジルベールと共に別室へと向かった。捜索隊の今後の資金計画等について、メルセラン商会会頭との話し合いの場が設けられているらしい。
意識不明から回復したと言う大公はまだその姿を客人の前に現してはいない。
これまでも、城の復興や求人への対応など、全ての采配を前を歩く痩身の人物が行っていた。大公の懐刀で、かなりのやり手だと聞いている。
「意識を取り戻されたと聞いたが、その後大公閣下のお加減はいかがか」
早足で前を行く男は、チラリとこちらを振り返ってから、再び前を向いて答えた。
「閣下の……お身体は順調に回復されています。ただ元の生活に戻られるにはもう少し時間がかかるかと」
「そうか。一刻も早い完全復帰を願っている」
「……ありがとうございます」
ヒューゴのわだかまりは相手にも伝わっているようで、やりとりには元々微妙な距離を感じていた。それでも、今はこの男から何かを聞き出す好機だと思った。
「テロイア政府は大公妃との面会を国交樹立の最優先条件としているそうだ。……こちらにテロイアの連邦捜査官が逗留中なら、貴国も承知しているだろうが」
「はい、皇帝陛下より急ぎの勅令もございました」
軽く皮肉を込めてみても、掴み所のない柔らかな相手の態度にヒューゴは苛立つ。
「アルトワ卿。単刀直入に言わせてもらうが、大公妃がテロイアの重要人物である事は、婚姻の前に陛下にご報告すべきだったのではないか?」
背後で鋭い声を上げたヒューゴに、ジルベールが足を止めて振り返った。その顔は依然として柔和だったが、その理知的な紺色の瞳は底知れぬ光を宿していた。
「我々が妃殿下の出自を故意に隠匿していたと?」
皇太后の元で重用されていたアイゼンバーグは結果的には帝国を窮地に立たせはしたが、新大陸から様々な物品を上納して皇室に富をもたらしていた事もまた事実。
「だとすれば、それは」
つまり大公国が謎のベールに包まれた大公妃を通して、独自にテロイアと接触し、反乱を画策していたと考える向きも多い。当然、ヒューゴもそれを疑っていた。
「皇帝陛下への明らかな裏切り……」
帝国の諜報部でさえ、当時大公妃の背景は探れなかったと報告を受けている。大公国がテロイアとの繋がりを隠匿していたのだとすれば、反逆罪の疑いが出てくる。
だが果たしてこの国がそれを認めるだろうか。
無意識に緊張し、強張った顔を向けると、相手は再び気の抜けた様な柔和な表情に戻っていた。
「……まさか。我々も寝耳に水ですよ」
捉えどころのない表情と穏やかな物腰で、この男は当初から扱いにくい。無表情で冷徹な眼差しの大公よりはマシだが、人当たりは良さそうに見えて腹の中の分からない相手だ。
「……それなら、婚姻は無効に、いや解消されるのか」
「無効?何故です?」
「相手は新大陸出身の、神族とか言う異種族だと後から分かったのでは?このまま一国の妃として扱うにはいささか問題が……」
「我が国は北のはずれの小国に過ぎません。国内の諸侯も皆、田舎貴族の感覚なのでね。あまり人の出自にはこだわらないのですよ。ええまあ、帝国の皇妃ともなれば事情が違うのでしょうが」
「それは……」
ヒューゴは相手の穏やかな言葉の裏にある深い意味に気がついて慄然とした。
(大公国に公妃が残るとすれば、テロイアはまさかそのまま大公国の後ろ盾となるのか……?いずれにせよ、帝国には完全な脅威となる)
辺境の小国として幽霊大公と共に蔑ろにされてきたこの国が、突然この様な形で脚光を浴びることになる事を誰が予測できただろうか。
大公国がテロイアと公的に繋がれば、帝国は身の内にいつ牙を剥くか分からない小国を抱える事になる。ましてやその元首は、皇位継承権を持つ皇帝の兄である。
この男は全てを予測していたのか。
ヒューゴは真意の分からない相手をじっと観察した。
我が国はまさに今、新大陸からの異邦人の来訪によって歴史の大転換点に差し掛かっている事は間違いない。
そして今ここでの簡単なやり取りさえ、後に重要な意味を成す様な気がしてならない。
テロイアとの国交において、唯一にして最大の切り札である大公妃の行方は未だに分からない。
帝国魔法師団団長として、何よりも帝国宰相の息子として、今の自分が優先すべき事はいったい何なのか。
ヒューゴはこれまでに味わったことの無い程の焦りと不安、そして大公国への猜疑心に囚われていた。
「さあ、応接室で会頭がお待ちです」
眉間にシワを寄せ、奥歯を噛み締めて立ち止まったヒューゴを、ジルベールはやんわりと促した。
「あ……ああ。そうだな」
「メルセラン商会は、妃殿下の捜索に多額の援助を申し出てくださっているのです。今後の捜索隊の編成について話し合う為、騎士団長達も同席しています」
「了解した。……時間が惜しいな。急ごう」
再び無言で歩き出した二人は全く別の事を考えていたが、奇しくも切実に願う事は同じである。
失踪した大公妃の一日も早い帰還だ。
長々と政治的な話ですみません。次回から本筋に戻る予定です。




