第五十七話 神罰
ルシル達は転移で頂上に降り立ち、周囲の惨憺たる有様に息を呑んだ。
昼間なのに夜のように暗くなった大地に、鳴り止まない地響きが身体を震わせる。大木が、まるで糸のように根元からしなり、今にも折れそうに暴風に耐えている。
木の葉や小枝が勢いよく吹き付けてくるのを腕でかばい、目を開けているのもやっとだ。
ルシルは、慌てて三人の周囲に簡単な結界を張り、ひとまず落ち着いて周囲を見渡した。こんな状況の中で、エイリーヤは、一体どこにいるのか。
目を凝らしてみると、少し離れた岩場にエイリーヤが立っているのが見えた。周囲の激変には気がついていないような全く変わりのない落ち着いた横顔。
ルシルは幾分ホッとして、カリンたちにその場に留まるように言うと、まずは一人で彼に歩み寄った。
「エイリーヤ」
ルシルが声を掛けると、相変わらず表情を変えずにゆっくりとエイリーヤが振り向いた。
彼の動作は常にゆっくりとしていて、まるで周囲の物とは時間の流れが全く違うように見える。長い時を生きる祖神だから、ある意味それも事実だが。
「何をしているの?」
周囲の異変と危険を忠告しようと、エイリーヤの傍に立つと、振り向いた彼の両手から青い光が迸っているのが見えた。ルシルの心にふと、嫌な想像がよぎる。
「エイリーヤ?……何を、しているの」
今度は確信を持って聞いた。
この異変は、まさかエイリーヤが起こしているのか。
【ああ、レイヤナ。戻ったのか。お前を危険にさらした神族どもに罰を与えねばならないと思ってな】
先程と変わらない、落ち着いた様子でおっとりとエイリーヤが返事をする。
「罰?」
【そうだ。お前の孵化に必要だった大陸はもう用済みだ。一度全てを取り上げれば良い罰になるだろう】
エイリーヤの目線の先には、テロイア全土を上空から見ている映像があった。その丁度中央部分に、太く濃く透明な青い光が円柱状に聳え立っているのが見える。
「全てを取り上げる?……ちょっと、何を言っているの!?あの光は一体何?」
慌てて矢継ぎ早に質問するルシルに、エイリーヤは少しだけ首を傾げた。
【お前は……少しせっかちのようだな?話し方がシランディアよりもとても早い】
無表情で首を傾げているエイリーヤには、悪気は全く無いように見える。それなのにあの青い光が、何か恐ろしいものなのでは、と言う疑念が拭えなかった。
「あの、エイリーヤ。テロイアには私の家族や知り合いを含めて今も沢山の人が住んでるの。用済みだとか、全てを取り上げるなんて話は、なんだか怖いわ」
少し冷静になって、エイリーヤに真剣に訴えてみる。無表情のままルシルを見下ろすエイリーヤには何の変化もないが、ルシルの鼓動は何故かどんどん速くなった。
遠い故郷の大地を貫くようなあの青い光は何なのか。
その瞬間、とてつもない轟音とともに目も眩むような光の爆発が起こった。咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込むと、周囲の空気が激しく振動した。
「っ……何?!」
「ルシル!」
離れた場所でうずくまっていたジャックとカリンが慌てて駆け寄ってこようとして、エイリーヤの結界に阻まれている。
ルシルはしゃがんで両耳に手をやったままの姿勢で、表情を全く変えないエイリーヤを見上げた。そしてゆっくり立ち上がると、テロイアの上空映像を恐る恐る振り返った。
映像の中のテロイアの大地の真ん中には、どこまでも深い、巨大な穴が空いていた。
目算でゆうに4、5千メテル程はありそうなその大穴は、無造作に大陸の中央部分を穿ち、周囲の土は未だに崩れ続けている様だった。
ルシルは咄嗟に山頂のギリギリまで駆け寄って、テロイアの方向に身体を向け、神力を集めて五感を研ぎ澄ませた。
ルシル達のいる北の山の標高はとても高く、周囲の山々と沢山の雲が視界を遮っている。
ただ神力を集めたルシルの目には、大洋を隔てたずっと向こうの、テロイア辺りの雲の隙間から立ち昇る、青い光と灰色の煙が薄っすらとだが確認できた。
「ううっ……」
あまりの衝撃にルシルは口を押さえて横を向き、咄嗟にえづいた。現実だとは思えないはずなのに、何故か本当に起きたことなのだと、全身で分かってしまう。
「ど、どうして……」
理由は薄々分かっているのだから、今陳腐にもこんな言葉を言うつもりはなかった。それでも、自分でも何を問いかけたら良いのか分からなかった。
ただ幸いにも、テロイア大陸の中央部分は人の住めない砂漠地帯だ。一番近い街からでも恐らくあの穴の直径より十倍は離れているはずなので、多数の無実な人々まで巻き込まれてはいないと思いたい。
ガクガクと震える膝に両手を当てて、少し屈んだ姿勢のままでルシルは深呼吸した。酷い耳鳴りがする。
起きてしまった事は取り戻せないけれど、しっかり心を落ち着けて、これからエイリーヤを説得しなければならない。それが今のルシルに残された最善だった。
これ以上の被害を出さないために。
「エイリーヤ。あなたは、私を護ると言う約束を違えた罰にテロイアを破壊するつもりなのね?」
【そうだ】
「でも聞いて。私は今でもこうして無事だった。それにさっきも話したようにあの場所には私にとって大事な人がいるし、大事な場所もあるの」
【お前には我とは違う経験をさせたかった。だが、それは安全な状態での話だ。恐らく地上人たちには我とシランディアの意図は理解できなかったのだろう】
「うまく、伝わっていない部分もあったと思うわ。でも私はそれを重大な問題と思ってないし、むしろあちらで過ごせて沢山の経験と知識を得たわ。だから、私を育んだ新大陸がこの世界からなくなってほしくはないの」
ルシルは焦っていた。何をどう言ってエイリーヤを説得できるのか分からず、とにかく必死だった。今さら全ての記憶の同期をしたとして、それらがエイリーヤに誤解されずに伝わるのかもかなり怪しい。
「だから……テロイアを破壊しないでほしい。お願いします」
静かに頭を下げるルシルを、エイリーヤは少し首を傾げたままに見下ろした。そして再びゆったりとした動作でルシルの肩に手をやって、顔を上げさせた。
【あの大陸は役目を終えた。だから、どちらにせよ遅かれ早かれ滅びるのだ】
「どういう意味?」
【これを見てみろ】
エイリーヤの指差す先には、テロイアの大地に開いた大穴を映し出す一枚のパネル。地中深くまで続く大穴と、その深部に浮いている、巨大な光る石が見える。
乳白色に光る巨大な岩石は、崩壊を続ける大穴の中央部分に静かに発光しながら浮かんでいて、とても神秘的だった。
「あの石は?」
【あれは大地の核だ】
「大地の核?」
【そう。この古い大地の中央部分にも同じものが埋まっている】
そう言いながら、ルシルの手を取るエイリーヤから、ロトの大地の奥深くに埋まっている同じ位の大きさの岩石の映像が流れ込んできた。その石は明るく光り輝いていて、細かく静かに振動している様だった。
ハッとしてルシルがエイリーヤの目を見る。
テロイアの映像の中でぼんやりと弱々しく発光している核石と、ロトの地中深くで光り輝いている核石とでは、明らかな明度の違いが感じられた。
それは生命力、に似たような何か。
【我の神力は、この大地の核と繋がっている】
ああ、と勝手に納得していく自分が無性に恐ろしかった。祖神の神力でこの大地は維持されている。
「……テロイアの核石には主がいないのね」
【そうだ。これまでは暫定的に我の神力で保っていた。先程あちらには神力を送るのを辞めたのだ】
「そんな……!」
【お前が祖神としてきちんと覚醒すれば、新たにあの核石の主になることも出来ただろう。自分が孵った新しい大地をお前が記念に残したいと思ったなら】
そこまで言って、エイリーヤは長い白銀の睫毛を伏せると、物憂げに手を振って目の前の映像を全て消した。
【しかしあの大地とそこに住む者達にその価値はない。お前は神界に行き、同胞達と暮らせばいい】
静かなエイリーヤの声が響いた。
ルシルは、咄嗟に何も答えられなかった。
長い沈黙の後、震える声で尋ねる。
「もし私が神界にはいかず、テロイアの核石と繋がるなら、向こうでずっと暮らすのよね?……ここではなく」
【そうだ。ひとつの大地には一柱の神。それが掟だからな】
ルシルは呆然とエイリーヤの言葉を聞いていた。
(あの核石と繋がって瀕死のテロイアを救うには、私が故郷に戻るしかないの?)
つまりロトの大地で大公城の人々と生きたいと言うルシルの夢は、結局叶えられないのだ。




