第五十六話 異変
「そうね……。まずは大公国に挨拶に戻ったら、なるべく早いうちにテロイアにも行かないと」
山頂に戻る途中で空き地に結界を張り、少しの休憩を取りながらルシル達は今後について話をしていた。
「確かに、封印が完全に解けた以上、テロイアには一度帰らないと収拾はつかないだろうな」
呟いたジャックにルシルは軽く微笑んで頷いた。
「今なら転移で大陸間は簡単に行き来出来そう。私は無事で、今まで通り普通に暮らしたいと伝えるつもりよ」
あんなに悩んだテロイアへの帰郷手段が解決した今、まずは心配をかけた人達へ連絡をして、自分のこれからの生き方も真剣に考える必要がある。
大公国で暮らしたいと思う気持ちは変わらずルシルの中にあるが、あの時のフェリクスの反応を思い出すと、城の人々も、得体のしれない種族のルシルを再び受け入れてくれるのかは分からない。
「あ、大公国では無事だったルシルの部屋から魔晶石が見つかって大騒ぎみたいだったぞ」
「良かった、ちゃんと役に立ってるかな」
魔力調節の為にせっせと作っていた魔晶石は、カリンのために半分は空間収納に入っているが、部屋の引き出しに並べられる数程度は置き手紙と共に残してあった。
「連邦捜査官達の話では、それなりに大公国の復興は進んでるそうだから、多少はそれで弁償出来てるかもな」
衣食住をお世話になっている大公国の為に少しでも役立てられたらと確保しておいた分だ。商会の買い取りに出せれば良し、そのまま使うもありだと思っていた。
自分で城の一部を破壊した弁償に使われるとは予想してなかったけど、備えあれば憂い無しとはこの事だ。
「テロイア連邦国とラフロイグ帝国は国交が開かれるみたいだぷ。だからルシルが戻ったら戻ったで、また悪い奴らに利用されそうな気もするぷ」
「う、うん……。気をつけるね」
あの事件で大洋を渡る技術が実用化した事が露見したなら、帝国との国交開設は自然な流れだ。
ルシルはテロイア出身で今は仮にも大公妃で帝国の臣民だから、どちらの国に戻っても政治的な話に巻き込まれそうで嫌な予感は確かにする。
「捕らえられた龍族はどうなったの?」
「アイゼンバーグの罪状は大公国襲撃の現行犯。帝国の権力者からの大公暗殺依頼も受けていたとか聞いたな。それでも帝国での処刑は免れて、テロイアに強制送還されたそうだ」
ジャックの言葉でルシルの脳裏にはフェリクスが銃弾に倒れた瞬間の映像がフラッシュバックし、再び胸が痛んだ。
「テロイアではルシルへの襲撃で指名手配だったけど、まさか旧大陸に潜伏して新たな犯罪を犯すとはね。おかげで本国では龍族批判が一気に高まってるらしい」
ジャックは水筒から水を飲みながらため息を吐いた。
「でも、龍族全体の責任じゃないのに」
「大ニュースとして報道されまくったからなあ」
ジャックは頭を掻きながら遠い目をした。
「特にルシルを神子として神聖視する向きは、龍族批判が相当強い」
「え……?神子?」
「ああ。ルシルは確か神の寵愛を受けし者、みたいな扱いになってるみたいだな。それで神子」
「ええええ!?」
ルシルは頭を抱えた。さすがに祖神族だなどと本当の事を世間に発表されていても困るけれど、テロイアでのそんな報道は予想外だった。
「まあ、神子というのもあながち間違いでもないぷ」
「カリン!?」
「エイリーヤとか言う祖神がルシルの親みたいなものなんだぷ?そいつがテロイアを創って管理してるってさっきルシルが言ってたぷ」
「ま、まあ……でも別に寵愛はされてないわよ」
ルシルは自分で言ってむず痒くなるセリフに、顔を赤らめて口を尖らせた。一体何の話なんだ。
確かにルシルの身の安全を重視している様子はあった。だが、エイリーヤの感情はとても分かりにくい。
「ところでルシルはこっちで暮らすつもりなんだよな?大公と公子と一緒に?」
「え?まあ……うん。そう思ってたけど……」
淡々と尋ねるジャックに、ルシルは赤い顔でそっぽを向いた。
「でもあの時私、思いっきり振られてたでしょ!」
「え?いつ?」
驚いた顔でルシルを見るジャックに少し腹を立てて、ルシルはその顔を少し赤くなった目で睨んだ。
「襲撃の最中に私から告白してたでしょ!?……あの後、一度も目が合わなかったのよ、それってつまりそういうことよね……」
最後の方はなんだか情けなくて小さな声で言うルシルにジャックは呆れた声で言い返す。
「ああ。あれか。いや向こうもさすがに、あれだけゴタゴタしてる最中に急に愛の告白をされたって、すぐに答えも出ないだろう」
「え?何それ。普通……そういうものなの?」
驚いてジャックを凝視するルシルに、カリンが苦笑して付け足した。
「確かにルシルは勝手に色々早とちりしやすいぷ。ちゃんと落ち着いてもう一度話してみるぷよ」
「えええ?カリンまで?完全に振られたと思ってあの時私、めちゃくちゃ傷ついたのに」
もうスッパリだめだと思っていた。
でも、何もかも初めての恋愛事で自分勝手な納得をしていたのかもと、少しだけ諦めていた恋心に希望が灯った様な気がした。
それだけで、みるみる心に謎のやる気が戻ってくる。
もしかしたら、時間をおいて少しでも神族への忌避感が薄れていたりしないだろうか。
ルシルとの思い出で、少しだけでも肯定的な気持ちを持ってくれたり?
ルシルは、左手の指輪をまた無意識に触っていた。
もしかして?という気持ちに心臓が騒がしくなる。
ああ、でも、いまや私は神族でさえないのに。
ただ神族か祖神族かなんて、得体が知れないのは同じすぎて、人族にとっては大きく違いはないのかも?
それなら本当にまだ、希望が少しでもあるのかな。
そこまで矢継ぎ早に考えて、ルシルははっと我に返ると、楽天的に考えすぎる自分にまた少し落ち込んだ。
「わ……分かった。大公国に戻ったら、落ち着いてもう一度……彼と話してみる」
「それが良い」
「そうするぷ」
顔を赤くして俯くルシルに、ジャックとカリンは優しい目を向けた。
「……うん。エイリーヤには、記憶も戻ったし、神力にもだいぶ慣れたから地上に戻りたいと話してみるわ。きっと反対はされないと思う」
ルシルが明るい顔で二人に言った時だった。
突然空が真っ黒な雲に覆われ、強い風が四方八方から闇雲に吹き付けた。はためく髪と服を押さえながら頭上を見上げると、目指していた頂上付近から何か不吉な青い光が空に向かって一直線に伸びているのが見える。
「急に天候が変わったな」
「なんだろう……何か嫌な予感がする」
ルシルの神力にあれほど惑わされていた様子の魔物たちは突然結界への突進をやめて、ルシル達を綺麗に避けると何かに怯えるように一斉に山裾へ逃げていく。
ルシルは慌てて指をパチンパチンと鳴らし、見える範囲で逃げていく魔物たちを一瞬で灰に還した。
隠れていた普通の動物達も慌てたように隠れ場所から飛び出して、三人を気にも留めずに草木を避けて跳ね跳びながら、一気に山を降りていく。
ルシル達は何が起こっているのか分からず、唖然としてその場に立ち尽くしながら周囲を見回した。
空には鳥たちが一斉に鳴き交わしながら飛び立っていくのが見える。魔物との戦闘音以外は比較的静かだった山には今、明らかに異変が起きていた。
「何だろう、これから何か起こるみたいね」
「俺たちはどうする?」
「逃げるぷか?」
二人が不安そうにルシルを見るが、ルシルは頂上に残したエイリーヤが気になった。
「私はエイリーヤを見てくる。二人は山を降りて。後でちゃんと合流するから」
ルシルは意識を集中させて転移する準備をした。
「それなら俺も一緒に行く」
「そうだぷ。もう離れないぷ!」
転移直前に二人がルシルを囲んで腕に触れてきたのが分かったので、そのまま三人で頂上に転移した。




