第五十五話 感情と恋心
ルシルとカリンが見ている前で、ジャックの背中には突然大きな翼がバサッと拡がった。その形はまるでドラゴンの翼そっくりだ。
(ええっ!?)
龍族は確かに古代ドラゴンの末裔と言われているけど、翼を持つなんて聞いたこともない。言葉もなくただ目を見開いて固まるルシルに、ジャックは悪戯が成功した時の子供みたいな顔で笑いながら駆け寄る。
「はは。凄いだろ!俺はルシルの眷属龍になった時に、この古代龍族の翼を手に入れたんだ」
「眷属龍……?」
(神獣とか眷属とか、私自身は全然知らない知識だ)
「封印が解けたって事は、シランディアの事も、レイヤナ聖典の事も思い出したんだろ?」
「ええ。でも……眷属龍と言う言葉は記憶にないわ。まだ幼い頃に、ほんの少し母から聞いただけだったし」
ルシルが首を傾げていると、誇らしげに笑うジャックと目が合った。
「シランディアは、レイヤナ聖典のうちのひとつを龍族にも遺したんだ。うちと幾つかの古い家門は、古の武具と共に代々聖典の写しを引き継いでる」
ジャックは嬉しそうに説明してくれる。
「神界の龍族の事や眷属龍の役割や能力も、俺はそれで詳しく知ったんだよ」
「そうなのね……。それにしても私自身は、自分についてあまりにも知らない事が多すぎる気がする」
「ああ確かに。聖典は、レイヤナが神として目覚める前に、地上の者と交流して理解を深める事を求めている。長老たちはそこを重視したんだろう。君の成長に合わせて能力や記憶の封印を何度もして、何も知らずに暮らす時間をできるだけ延ばそうとしていた」
「つまり、母やジャックとの幼い頃の記憶までわざわざ封印されてたのは、私がシランディアの願い通りに平凡に生活するためだったってこと?」
「だろうな。だが、上層部が君の事情を機密にするあまり、詳しい事を知らない勢力とは常に揉めていたと言う話だから、その施策が正解だったかは分からない」
「じゃあアイゼンバーグの襲撃って……」
「そうだ。アイゼンバーグは最近急激に軍部で地位を上げた新興の一門なんだ。奴らは聖典の存在を知らない。だから龍族の古い名門が重要視する君を、事情も知らず闇雲に家門に取り込みたがったんだろう」
ルシルは顔を顰めて頷いた。
「知らなかったとは言え、結局私のせいで大公国の人達にも沢山迷惑をかけちゃったな……」
ルシルがしょんぼりと呟くと、ジャックは明るい声音で励ましてくれた。
「俺の事情は他言無用で、ルシルとは本来接触禁止だったんだ。この騒ぎは確かに大変だったけど、封印が完全に解けた事で打ち明ける事が出来て、俺は嬉しいよ」
「そうだぷ!我という神獣を持てて、ルシルは前よりさらに幸運なんだぷ!」
落ち込むルシルに優しい言葉をかけてくれる二人に、心が温かくなった。
結局封印が解けても未だにバカ神力で辺りを破壊しまくるルシルは、普通は恐怖の対象だろうに。
「ありがとう。二人共。こんなヘンテコな私なのに、ずっと変わらず友達で居てくれて」
「当たり前だぷ。ルシルは我がいないと常識の欠片もないから危険だぷ!さっさとそのバカ神力をどうにか制御するぷよ!」
「俺もこれまで何もしてやれなかった分、しつこくつきまとって世話を焼いてやるから覚悟しとけよ」
「あはは。よろしくお願いします」
さっきまでの涙も乾いて、笑顔を見せたルシルに、二人はやっとホッとした笑顔を返した。
「あのね、それと……私最後にお城の一部を吹っ飛ばした気がするんだけど……」
ルシルがおずおずと切り出すと、今度は二人共同じ苦い表情になって顔を顰めた。
「まあ一応、あれに巻き込まれて死んだ奴はいないぷよ。その前の狼の被害も怪我人程度だったぷ」
「ああー。あの時は本当に大変だった。カリンと協力してルシル側と城側とに結界張って、転移で全員避難させたんだ」
「我とこいつは最後になんとかルシルの暴走を食い止めようと呼びかけに戻って、結局結界ごと吹き飛ばされたんだぷ」
「ボロボロで避難所に戻った後は、怪我人にポーション飲ませて、捜査官達と協力してアイゼンバーグの一味を拘束したり、いやなかなかに激務だったよな」
「本当だぷ!我もこいつもかなり疲労困憊だったぷよ」
いつの間にか息ぴったりに仲良くなっている二人に謝りながら、ルシルは大公城の人達に思いを馳せた。
(レイやデボラはどうしてるかな……それから、フェルも)
その深い意味を思い出したルシルは、無意識に左手の薬指を右手で触って、指輪の輪郭をなぞった。
(あの時の態度で、私の告白への答えはもう分かってる)
ルシルはそう考えた瞬間、またツキリと痛む胸を押さえた。
(それなのに結局、私の想いは何も変わらないみたい。あの時彼を亡くしたと思っただけであんなに動揺したのは、それが原因だもの)
ルシルは以前と全く変わらない自分の中の感情を見つけて、小さく息を吐いた。
(こんなに得体のしれない存在になってしまっても、結局中身はほとんど変わってないってことね)
「私、一度大公国に戻りたい。動揺してあんな事をしでかしちゃって。ちゃんと皆に謝りたいし……レイにも会いたいし」
ルシルはごちゃごちゃと言い訳を並べながら、フェリクスに性懲りもなく会いたい自分が情けなくて、少しだけ落ち込んだ。
それでももう一度、元気になった彼に一目だけでも会いたい、という思いがどうしても捨てきれないのだ。
「良いんじゃないか。大公国でも無事な君の帰りを待ち望んでるはずだ」
「まあ、まずはその神力の調整が先だぷね。危なっかしくてみてられないぷ」
「うん。とりあえずもう少しこの神力に慣れないとね。あと、二人に紹介したい人がいるの」
ルシルは二人をエイリーヤに紹介する為、先程までいた山の頂上を目指すことにした。
転移で山頂には戻らずに、魔物と戦いながら戻ることで神力に慣れる修行もするつもりだ。海岸線からゴリム砦の死角をよじ登ってくる大型魔物は多く、相手には事欠かないだろう。
ルシルの神力に何らかの影響を受けるらしい二人が、突然全回復して無双しだしたので、驚いたり喜んだりしながらも、あちこちで協力して魔物退治をしながら山頂に向かう。
ルシルも真剣に神力の制御を実戦から学んだ。人里に出たら、先程のような神力全開の攻撃は絶対にしてはならないからだ。
「エイリーヤの事は、二人は知らなかったのよね」
「そうだな、俺はそこまでの機密は知らされてなかった。教えられたのはレイヤナ、まあルシルの事だけだ」
ジャックがやや興奮したように答える。ルシルから明かされたもう一柱の祖神であるエイリーヤの存在が興味深いようだ。
「我は前に、奴の神力に釣られて偶然会ったぷ。まだその時はやたら長生きの神族だと思ってたから祖神族だとかは知らなかったぷ」
カリンは果実を渡して神力を分けてもらった時の話をしているんだろう。エイリーヤの神力を分けてもらったと言うより、勝手に近付いて摂取してたんだろうけど。
「会ってみたらそれほど悪い人でもなかったわ。確かに少し変わってはいるけど」
ルシルは酔ったように自分に向かって来る沢山の大型魔物を一気に殲滅しながら、二人と雑談する余裕も出てきた自分に少し驚く。使うほどに神力は身体に馴染み、段々とうまく調節出来るようになってきた。
(変なおとぎ話も、何か誤解があったんでしょうね)
恐らく、エイリーヤは長い間こうして人知れず大型の魔物を山脈内部で処理していたのだろう。テロイアよりロトに魔物が少ないのはそういう理由だったらしい。
それにしても、ここの魔物達は地上人には脅威度が高すぎる。出来れば山脈自体に人が立ち入れない結界を張っておくべきじゃないか。
(エイリーヤがそんなに細やかに地上人に気を遣うわけがないか)
エイリーヤにとっては、動物も魔物も虫も人もほとんど同列のように見えた。短い命を燃やしては輪廻で巡って生まれ変わる儚い生き物だと言っていた。
(私が地上人と交流してからエイリーヤの元に戻ったのにはきっと訳がある気がする。シランディアの思惑もそこにあったのではないかな)
ルシルは戦いの合間にこれまでの経緯を話した。
地上人のような親子の感覚はないけれど、神力の馴染みも良いせいかエイリーヤには不思議と親近感は持っている。
完全に変人ではあるが、憎めない所もあるのだ。
「ふうん。じゃあルシルはこの先、どうするんだぷ?」




