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第五十二話 エイリーヤ

【本当の両親?両親とは何だ?】


 エイリーヤの顔は相変わらず変化しなかったが、その声には幾らかの困惑が感じられた。


 ルシルは常識や言葉がなかなか通じない事に苛立つ。 


 この浮世離れした男は本当に自分の事情を知っているのか。ただの狂人である可能性は?


「私をこの世に生み出した個体の事です」


 ルシルが渋々言い換えると、エイリーヤは合点がいったと言う様に答えた。


【それは我だ】


「え?」


【お前をこの世に生み出したのは我だ】


 ルシルは唖然としてエイリーヤを凝視した。

 

(この人が私の本当の父親?)


 ルシルは衝撃とともに、なんとなく心の何処かで納得する自分も感じた。先ほどから感じるこの男の魔力がやたらと馴染みやすいのは、同胞だというだけではなかったのだ。


【正確には我とシランディアだ。お前はシランディアが生きている頃にとても良く似ている】


 シランディア。それが私の母の名前なのか。

 私にも本当の両親がいたということだ。


 ルシルは心の奥に小さな温もりを感じたが、両親と言う言葉に対するエイリーヤの困惑が気になった。


「両親という言葉を知らないようでしたね」


【祖神族はひとつの個体が別の個体を生み出す事が出来る。自らの爪や髪の一部から。神族や龍族は確か二つの個体が必要だったな。それが両親か】


「はい。男女一対で子孫を作り、通常はその後一緒に育てます。それが親で、両親のことです」


【ふむ。シランディアは神族だった。お前を創る時に彼女の髪も使ったのだ。つまり我々がお前の両親だ】


 ……つまり、私は祖神族と神族の半血なのね。


「それでは、何故私を神族に託したのですか」


 もうここまで来たらこの馬鹿げた話を腰を据えて聞いてみることにする。


 先程から魔力がやたらと馴染むせいか、何故かこの不思議な男から、自分が生まれた経緯だという話を聞いてみたい気持ちになっていた。


(それにしてもこの人、浮き世離れし過ぎていてお互いに意志の疎通に苦労するわね。どうしよう)


 無表情のままだが、なんとなく自分を興味深げに観察しているエイリーヤをルシルは溜息を吐きたい気持ちで見やった。感情は分かりにくく、動作がやけにゆっくりだし、言葉ひとつとっても、常識が違いすぎる。


【事情を知りたいのなら、ひとまず同期をするか】


 そんなルシルの当惑を気遣ってか、エイリーヤは相変わらずの無表情で問いかけてきた。ルシルは慌てて首を横に振る。


「いいえ、口頭での説明をお願いします。私にはあなたの記憶や経験の全てなんて、受け入れる覚悟がまだないんです」


(そもそも、初対面で父親と言われても。それに誰かと記憶を共有するなんて普通無理よ)


【しかし、私も対話というのに慣れていない。全てではなく、一部の同期なら可能か】


 ここまでのやり取りで思うところがあったのか、エイリーヤは静かな口調で食い下がってきた。


【お前は我の分身だ。手元に戻ってきた以上、同期をしてこれまでの経緯を少しでも知りたい。お前の封印は強い感情の元で完全に解ける事になっていたのだ】


 ルシルは、不思議な気持ちになった。無表情ながら何故かまたしてもエイリーヤの薄い感情が伝わってくる。


(これは、父親としての心配に近い何かなのかしら……?)


 ルシルは深く考える事をやめにして、他者との会話に不慣れだという相手の事情も考え妥協することにした。


「……分かりました。私に関わる必要最低限の部分だけなら。知識の共有という認識でいいですよね?」


 個々の経験を共有する自然同期という能力が彼にとっての会話に当たるのかは不明だが、情報の共有なのだと思えば今のルシルにとっては背に腹は変えられない。

 

 様々な種族の暮らすテロイアで種族間の文化の差異はしばしば感じてきたが、ここまで常識の違う異文化交流の経験はない。


【では、我がなぜお前を神族に預けたのか、当時の記憶のみを共有する。同時にお前の一番最近の記憶を我が共有しても問題ないか】


 ルシルはその最近の記憶がどうやら自分から抜け落ちていることに焦りを感じていたので、一石二鳥だと覚悟を決めて慎重に頷いてみせた。


 するとエイリーヤは再びゆっくりとした動作でルシルの腕にその冷たい手で軽く触れた。


(うわっ)


 直後、ルシルの脳裏に鮮明に1000年前の神族と思わしき人々の映像が思い浮かんだ。

 慌てて眼をきつく閉じ、丸太に腰掛けた状態で身体を強張らせる。

 大量の記憶が流れ込む、初めての感覚がルシルを圧倒した。


(これは……エイリーヤの手?両腕で抱えている銀色の卵は……まさかこれが私?)


 やがてルシルの意識は安定し、自分とは別の誰か、恐らく当時のエイリーヤの目線でその場を見渡す様な不思議な感覚になる。そして同時にその心の動きのようなものまで感じ取れるのが、どうにもルシルの居心地を悪くさせた。


『本当に大丈夫なのか……この卵はシランディアと我の大切な分身だというのに』


 エイリーヤの心の声は、数人の声が重なって聞こえるような不思議な声音で耳に響く。


『地上人などにレイヤナを護ることなどできるはずがない』


「祖神エイリーヤ。我々は貴方の名の下に盟約を果たすことを誓う」


 恭しくひざまづき、身体全体を伏せるようにして頭を土に擦り付けている神話時代の衣装を纏った神族たち。


 ルシルの感じ取るエイリーヤの意識は、目の前で畏まる神族の代表者達をとても苦い感情で見下ろしている。


 約束を交わす決定を下したものの、根底では迷いが燻っている。


「どうか、我らに祝福を、新たな大地をお与えください」


『新たな土地を創造して与える代わりに、この祖神レイヤナを大切に護り育むのだ。けして約束を違えるな』


「仰せのままに、我らが神よ」


 身体を土の上に投げ出して一心に祈っている古代神族の族長達から目を離し、エイリーヤは振りむいてそこに佇む女性に心話で尋ねた。


 『シランディア。本当にこれを望むのか』


 シランディアと呼ばれた女性は、脹脛まである長く美しい銀髪が印象的な絶世の美女だ。憂いに満ちた瞳はルシルと同じエメラルドグリーン。透き通るように白い肌と豊かな胸、のびやかな長い手足。


 古代神族達は現代の神族より少し痩せていて小柄に見える中で、彼女は比較的大柄で、長身のエイリーヤと並んでも自然だった。地に伏せた他の神族達とは明らかに一線を画した美しさを持っている。


『そうよ。手放すのは私も辛い。でも今はそうするしかないのよ、エイリーヤ』


 シランディアはエイリーヤの手にそっと自分の手を重ねて、銀色の卵を包みこんだ。


『このままここに隠して置く事だってできるはずだ。レイヤナは半血なのだから。見つかりはしない』


 エイリーヤは懇願するようにシランディアを見る。


『いいえ。神の掟がそれを許さないはずよ。ひとつの大地には一柱の神。レイヤナはここでは消して孵化しないわ。私には分かるの、この子には新しい大地が必要なのよ』


 青ざめながらも真剣な表情のシランディアに、エイリーヤは諦めのため息をついた。祖神族の元に現れる巫女や聖人と言われる片割れは、時に真実を直感で知る。


『ああ、お前がそう言うならそうなのだろう。我の巫女シランディア。我の良心よ』


 そっとシランディアの肩を抱き寄せて彼女を見つめると、銀の卵を大切そうに手渡す。


『新しい未熟な大地を与えても孵化にはきっと時間がかかるわ。ああ、私にはもうそれを見届ける時間がない』


 卵を抱きしめるシランディアの表情は柔らかかったが、とても悲しげに見えた。


『分かっている。お前が輪廻に戻るのは数日後だ。いつか卵が孵ったらまたこの下界にくればいい。我はこの場所で永遠にお前を待っているよ』


『いつかこの子があの地で孵ったら、私がいなくてもきっと優しくしてあげてエイリーヤ。私達の唯一の分身なのだから』


 銀の卵を見つめながら寄り添う二人。ルシルはエイリーヤの目線で悲しげなシランディアを見ていた。


 シランディアは神ではない。だから輪廻に戻り、巫女であった記憶を無くしてまた短い生を繰り返すだろう。


 この世界の神であるエイリーヤでも、宇宙を統べる神の掟には逆らえない。どんなに求めても、祖神でないシランディアは自然のままに滅びゆき、彼女と共に生み出したレイヤナもまた、自らの手元には置けないのだ。


 祖神は孤独だ。


 孤独な神の元にはこうして時々、対の魂となる片割れが自然に発生し、与えられる事がある。


 彼等は巫女や聖人と呼ばれて敬われ、神と共に暮らす事で姿形も変化し、半神に近い存在となった。そしてやがて神と地上の架け橋となりその命を燃やして使命を果たすのだ。


 彼等は無慈悲な神に寄り添い、神の良心となり、地上の者の営みや感情を伝える事で世界の安寧に寄与すると言われている。


 祖神であるエイリーヤはこの先ずっと悠久の時を世界の観察に費やすだろう。


 巫女がいてもいなくても。たった一人で。


 孤独を認識しないままに受け入れて感情を失っていくエイリーヤの心を、ルシルは同期する事で追体験した。


 そして彼の意識の底には半血のレイヤナには地上人の様に自由に生きて欲しいという微かな願いがある事もまた感じた。


『レイヤナの能力は封印しておこう。彼の地で目覚めた時、傍を護る神族や龍族と共に自由に生きる時をいくばくかでも持てるように』


『賛成よ。レイヤナには地上人の持つ感情や彼等の幸せとは何かを学んで欲しい。短い時間でもいいから平凡な生き方を体験させてあげたい』


 二人はお互いに頷いて、銀の卵を空に掲げた。


『我々はレイヤナの覚醒が遅い事を望む。封印は彼の地で危険が迫った時にも解かれるはずだ。これに危険がなきよう正しく護るように』


 大きな銀色の卵が陽光を反射して辺りを照らした。


 その光を畏れるように、並んで座った大勢の古代神族達が身体を順に深く地に伏して行く。その様子はとても厳かで神秘的であり、まるで神話の一節の様だった。


 そこでルシルに流れ込むエイリーヤの記憶は急に途絶えた。

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