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第五十一話 目覚め

 ぽとんぽとんと水滴が額に降ってくる冷たさでルシルの意識は浮上した。


(冷たい)


 目を閉じたまま顔を横に避けると、緑の草の匂いと土の匂いがぐんと近づいて、自分が屋外に寝転がっている事を意識した。


(ええと……なんで地面に寝てるの?)


 ハッとして目を開くと、視界には眩しい朝日と鬱蒼とした茂み。慌てて起き上がり、周囲を警戒した。


 幸い近くに危険な気配は感じられなかったが、慌てて放ったルシルの気配探知はある程度の距離で弾かれた。


 弾いたのは自分とは異なる魔力の結界だ。


(何?この結界ってなんだか……)


 驚いたことにルシルの魔力を弾いたその結界は、ルシルの周囲を守るように張られている。無防備に野外で眠る自分を、守ってくれていたのか。そんな事をしてくれる相手と言えば……。


『……!』


 ルシルは真っ白でフワフワの相棒を思い出し、その名を呼ぼうとしてハタと止まった。


 大事な相棒の名前が思い出せない。


 それどころか、直前までの記憶がすっぽり無い。

 白くてフワフワの相棒?一体それは誰のこと?


 考えると襲って来る酷い頭痛に顔を顰めて、ひとまず自分の身体を手で探ってみる。


 特に怪我は無い。頭上の葉から降ってくる朝露で頭が少し濡れていたが、体温、心拍共に異常はない。


 服装は、何故かボロボロに破れた長いレースの切れ端……無残に千切れた残骸を見ると、まるでパーティー用のドレスみたいだ。


 どうもおかしな服装だが、ルシルは深く考えずに外側の破れた部分をさっと手で割いて取り除いた。中にはそれほど汚れのないタンクトップとスラックスを着ていたので問題ないだろう。


 近くに高いヒールの女性用の靴が落ちている。投げ出された自分の素足をみて少し困惑した。


(この状況でこれを履いていたの?ありえない!)


 ここ一帯はなだらかな平地になっているが、少し行けば上にも下にも急な傾斜が続いているようだ。


 ここは平地の森ではない。

 山の中なんだと気がついた。


 透き通るような空に浮かぶ雲は近く、標高の高い山独特の清々しい空気が辺りに満ちている。


 それにしては自分の装備が不似合いな事を訝しむ。


 この山で活動するには登山用のブーツが要るはずなのに、何故こんな格好で山の中に倒れていたのか。


 見渡す限り、周囲にも同じ様な緑の濃い山しか見えない。つまり、かなり広範囲の山脈の中央付近に自分は今いるという事だ。


(足先の身体強化はできるけど、野蛮人じゃないんだから、今は山歩きにまともな靴が欲しい!)


 不自然に軽装備なのが余計に不安で強めにそう思うと、急に目の前の空間にポッカリと穴が空き、頭に収納している荷物の一覧が浮かんだ。


「あ!空間収納!」


 思わず叫ぶと、近くの茂みから驚いた鳥が羽ばたいて逃げていく。


 ルシルは慌てて口を押さえた。知らない山の中で無闇に周囲に自分の気配を知らせてどうする。


 反省しながらも、自分が空間収納を使える事実を唐突に思い出した事がまたしても気になった。


(はあ。なんだか完全に記憶が混濁してる)


 色々と自分の状態に疑問はあるが、ひとまずやるべきことを優先する。ルシルは収納から必要な装備を出して手早く身に纏うと、水筒から水を飲み、携帯食料を齧った。ベルトに万能ナイフと水筒を挟み、息をはいた。


 (何がどうなっているんだろう、確か私は転移に失敗して、森の中にいた。ロトの森だったのよね)


 自分はここに来る前、何をしていたのか。

 確か、沢山の人に囲まれて戦っていたような?

 それにしたらあの服と靴はなんだろう?

 ぐるぐると考えるが、何故かボンヤリとした記憶はなかなか鮮明にならない。


【気がついたのか】


 突然誰かの声が頭に直接響いた。


【すいぶん長く眠っていたな】


 急な事にルシルは言葉を失って身体を強張らせたが、周囲を見回すも情景に変化はない。つまり遠距離の心話か何かだろう。ルシルは咄嗟にこの声が唯一の手がかりだと感じて、応えた。


「あなたは誰?どこにいるの?」


 心話で答えても通じるだろうが、念の為声に出した。


【私はお前の同類だ。山の上にいる】


「同類?神族?山の上とはどこなの?」


【一気に私のところまで運ぼうとしたが、まずはお前の神力が回復するまで影響がないように少し離れていた】


「もう体調に問題はないわ。顔を見て話したい」


【分かった】


 声が途切れると、結界を張っていたのと同じ魔力が周囲に濃く漂い、転移魔法で運ばれる感覚があった。


 目を閉じて再び開けるくらいの一瞬で、ルシルは恐らくどこかの山頂の、平らに開けた場所に立っていた。


 高山の山頂の割に気温は程よく植物も適度に茂っていて、明らかに人工的に整えられている場所。全体には岩が多く、奥の方には入り口の広い洞窟が見える。


 目の前には背の高い男が一人。


 腰まで伸ばした真っすぐの白銀の髪、透き通るような青白い顔は、現実の存在とは思えない程に整っている。

 

 その瞳もまた透き通った白銀で、同色の長い睫毛に縁取られ、軽く伏せられた視線はどこともない宙を見ている。着ている服も古代の宗教画の様なひだを寄せた一枚布の簡素なもので、真っ白で汚れひとつ無い。


 ルシルはその男の浮世離れした風貌に虚をつかれ、思わず状況を忘れてその姿を凝視した。


 彼の異様に美しい姿は出来の良い彫刻のように見る者を惹きつけるが、そこにはまるで生気を感じられない。


 無の表情でボンヤリと宙を見下ろしていたその男が、やがてゆっくりとその長い指を持ち上げて目の前のルシルの頬に触れた。


 その手はまるで死者の様に冷たかった。


「あなたは誰?」


 伝わる魔力や外見から、その男は明らかに長い時を生きている神族だと当たりをつけた。


 経験上、長老の様な御長寿は急な動作や大声を嫌う。


 先達に失礼がないよう、不躾に頬に触れている指をそのままに我慢して極力静かに問うたが、質問への反応は薄かった。


 相手はそのままの姿勢でぼんやりとしている。


 透明に近い白銀の瞳がじっとどこかを見ている様子は美しいというよりただ不気味だった。


「私は神族のルシルと言います」


 ルシルは男の意識を自分に向けるためにハッキリと声に出して名乗った。


 男は今度は明らかに反応して、ルシルの頬に添えていた手を静かに下ろした。


【私はエイリーヤ。祖神族だ】


 頭に直接響く声で男はルシルに応えた。表情も、口元も一切動かなかった。


「祖神族?」


 ルシルは初めて聞く単語に戸惑った。


【そうだ。そしてお前も神族などではない。レイヤナ。お前も私と同類の祖神族だ】


「何を……」


 私が、神族ではない?


 この男は一体何を言っているのだろう。


 今まで、一度も自分の種族を疑う事などなかった。


 ルシルの魔力は人より少し多いが、外見も魔力も特別周囲と異なっているとは思わない。それに両親もいる。


【大陸を渡った神族たちは、恐らく我との古い盟約を守れなかったのだな】


「古い盟約?」


【そうだ。我は彼等にお前という同胞を託し、彼の地に生きる者たちはお前を護る事を約した】


「私を……何ですって?私を託した?」


【ああ。神族達の感覚で今から千年程前の話だ】


 ルシルは話のスケールにめまいがした。


「いえ私は今年で19なので、人違いです」


【?ああ、我々祖神族は卵で孵る。孵化するまでの時間はそれぞれだが、彼等に託した時お前はまだ銀色の卵だった。ほんの少し前に孵ったばかりなのだな】

 

 エイリーヤと名乗った男は無表情のまま淡々と説明したが、ルシルのめまいはますます酷くなった。


「ちょ、ちょっと待ってください、ついていけない」


 額に手をやって俯き、吐き気を堪えるルシル。

 こんな荒唐無稽な話を今すぐ信じられる訳が無い。


【お前は祖神としてはまだ未熟な個体である為に自然同期を切断している。それ故この様な対話が必要なのだ】


「自然同期?」


【自然同期は、祖神族における個々のこれまでの経験を共有する能力だ。これを開けば、我の知っている事はお前の知っている事になる。お前の役割やお前が辿った経緯も瞬時に理解できるだろう】


「だめ!待ってください。なんかたぶんそれはだめやなやつだと思うので、今はやめてください」 


【?分かった】


 ルシルは本能的にこれまでに感じたことのない種類の危険を感じていた。この男の感覚で流されてしまえば、自我が崩壊しかねないレベルの災難に見舞われる気がする。


 ルシルは身体を小さく折り曲げて、吐き気をこらえながら傍に転がっていた丸太に腰を下ろした。そこで少し気持ちを落ち着けると、改めて目の前の男を観察した。


 明らかに超越的な外見。さらに話を聞いてますますその存在の異常さを感じるが、無表情ながら、薄っすらとだがルシルの様子に困惑している様な雰囲気を感じる。


 ルシル自身もまだ混乱しているが、突飛な彼の話をすぐさま全否定する気持ちにもならなかったのは確かだ。


 確かにテロイアでは周囲から常に不思議な疎外感は感じていた。だからと言ってまさか自分だけ異種族なのではなどと考えた事は一度もなかったが。


 ……それに卵とか。自然同期とか。


 ルシルは軽く頭を振って、生理的に込み上げる吐き気に抗った。


 確かに、両親との間にも明確には表せない壁を感じていた。それはルシルが実子ではなく、養女だったからなのか。それともこの男が言うように、得体の知れない異種族だったからなのか。


 そもそも彼らはルシルの出自を理解して一緒に暮らしていた?それともただの孤児として引き取ってくれていただけ?


 何もかも分からなくなって、ルシルは頭を抱えてさらに身体を小さく丸めた。何度も唾を飲み込む。


 そもそも私を神族に託したと言うこの人はいったい何者なんだろう。先程の結界で彼の魔力を感じ取った時から、ずっと嫌な予感がする。


 私をレイヤナと知らない名前で呼んでいた。

 同胞だと言うけれど、私との関係は?


「あなたは誰なんですか」


 ルシルは一番の疑問を相手にぶつけた。


【私はエイリーヤ】


 表情を変えずに再びエイリーヤは簡潔に答えた。


 ルシルは空気を読まない相手の答えに落胆して、仕方なく質問を変えた。


「では、あなたは私の本当の両親を知っていますか」


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