第四十八話 収束と解放
「さて。そろそろ茶番も終わりにして、こちらの条件に従って貰いますよ。そのままの貴方は見ているだけでも恐ろしすぎる」
ゼドが緊張した様子で、ルシルにぎこちなく笑いかけた。それほどまでにルシルの怒りに満ちた魔力はその場にいる人々を圧倒していた。
「体表の防御膜と結界を解除してください。その後こちらからの攻撃を避けないで貰いたい。麻酔毒の吹き矢を放つので」
その言葉にジャックが反射的に思わず一歩踏み出し、ゼドは警戒をにじませてレイモンドの首に手をかけた。
「この細い首を手折るのは一瞬で済むことだ」
ゼドを見つめるルシルの瞳が煌々と光った。
(そんな事は絶対にさせない)
怒りとともに勝手に発散していく魔力でルシルの瞳が黄金色に染まるのを周囲の者は例外なく恐れを抱いて見つめていた。生物としての本能が危険を知らせている。
「ルシル、どうか落ち着いてくれ。あの子はなんとかして必ず助ける」
『ルシル、落ち着くぷ!お前の神力で我らまで萎縮するだろぷ』
二人がさかんにルシルに何か言ってきているが、もううまく返答も返せない。ルシル自身もむしろ困り果てていた。
「おい、ルシル……?」
膨大な魔力はルシルの制御を外れて勝手に周囲に放出されており、今や普通に動く事も出来ないルシルには、どうすることもできなくなっていたからだ。
見つめる先のレイモンドとゼド。そこに近づこうとしているフェリクス。すでにルシルの視界にはそれしか映らなくなっていた。
その時、ゼドの胸におとなしく収まっていたレイモンドが、突然何か呟いた。
風魔法の詠唱だ。
一瞬、ゼドの表情が苦悶に歪んだ。
そして腕から取り落としそうになったレイモンドに怒りの表情を向けると、大きな手を振りかぶった。
ほぼ同時に、傍で隙を探っていたカリンが、ゼドの結界を破る硬質な音がルシルの耳に響く。
そして目の前で、フェリクスがレイモンドを庇うためにゼドの前に飛び出すのが見えた。
全ての事がスローモーションの様に見えた。
ルシルは、怒りで制御不能になった魔力のせいで、誰よりも早く動けるはずの自分が、フェリクスより一足遅れた事を激しく悔やんだ。
(どうして……!)
目の前で、レイモンドを抱き込んだフェリクスが、ゼドの魔力を帯びた拳を受けて身体ごと吹き飛ばされていく。人族同士ではあり得ない攻撃力で殴られ、弧を描くようにして落下していくのを、カリンとジャックが慌てて追いかけるのが見えた。レイモンドが魔力干渉を阻害されているせいでこちらの結界で衝撃を防げないのだ。
(どうして今なの!どうしてよ!)
突然の魔力の暴走でうまく動かせない身体を激しく呪いながら、ルシルは咄嗟に彼等の命だけは助かるようにと祈った。あの強いフェリクスならきっと助かると信じながらも、両目から勝手に涙がこぼれそうになる。それに庇われてはいたものの、あれ程の衝撃を受けて果たして幼いレイモンドは無事でいられるのか。
一番守りたい人達の危機に何も出来ない自分が狂おしいほど情けなく、今はひたすら二人の安否が心配で、どうにかなりそうだ。
自分の身体に例え今何が起こっていようと、そんな事はもうどうでもいい。今やるべきことはただ一つ。
ルシルは、震える心を叱咤して元凶に目をやった。
「くっ」
そして歯を食いしばると、強固な意志の力で信じられない程に激しく暴走する魔力をなんとか再び制御する。
(許せない)
直後、瞬く間にゼドに接近し、素早いみぞおちへの一撃を入れて呼吸が出来ず身体を折り曲げた所を、さらに渾身の力で蹴り上げた。
すると巨体であるはずの龍族の男が、まるで紙の人形の様に勢い良く吹き飛んで建物の壁に衝突し、壁をボロボロと削りながら落下してピクリとも動かなくなった。
ルシルは振り返り、ジャックに助け起こされているフェリクスとレイモンドの元へ矢のように走った。
瞬時に辿り着き、膝を折って叫ぶ。
「二人は無事なの?!」
「ああ、そいつがクッションになったようだ」
ジャックの言葉に視線を下ろすと、倒れた二人の足元には巨大化して伸びているカリンがいた。
文字通りその身体を張って彼等が地面に叩きつけられるのを防いだのだろう。
彼等を落下の衝撃から守る為に、今はフワフワの巨大な猫科の生き物として実態を表している。
「カリン、ありがとう。本当に貴方がいて良かった」
「はあああ。一気に神力不足だぷう」
ルシルは慌てて魔晶石を幾つか、ぼやくカリンの口に放り込む。
「カリンてば、巨大化なんてできたのね」
「もともとこれが我の本来の大きさだぷ」
「そうなの?!どおりで沢山食べるはずよね」
「最近は神力を溜め込んで時々元の大きさに戻れるようになったぷよ。ここで役立つとは思わなかったぷ」
そう言いながらあっという間に魔晶石を3つほど消化して、スルスルと見えない子猫に戻った。
ひとまず元気そうなカリンに安心して、ルシルは倒れた二人の方に恐る恐る身体を向けた。ジャックと共に手を貸すべきかためらっているうちに、フェリクスが脇腹を押さえて顔を顰めながら半身を起こした。
「身体の内側まで衝撃があったんじゃ……」
ジャックの声にフェリクスが被せるように答えた。
「問題ない」
フェリクスはジャックの手を借りてレイモンドを慎重に抱き起こすと、気を失っているだけなのを確認して、そっと息を吐いている。
ルシルはふと、神族だと暴露された後で初めてフェリクスにここまで近づいた事に気がついて、宙に浮いたままの手を握りしめた。先程まで暴走していたルシルの魔力は、不思議とあっという間に静まっていた。
「あの……フェル。私の……種族のことだけど」
おずおずと切り出すルシルには顔を向けず、フェリクスは静かな声で言った。
「確かに、君のことは少し前から異種族ではないかと思っていた」
ルシルの心臓が音を立てる。
「ただ、神族だとは……」
俯いたままのフェリクスの横顔に、黒髪がさらさらとこぼれ落ちて彼の表情を隠す。ルシルは、ただ茫然とそれを見ていた。
フェリクスは痛む身体を庇いながらも自分のコートの上にレイモンドをそっと横たえると、そのまま青ざめて意識のない小さな顔を見つめた。
ルシルも静かに眠っているようなレイモンドの顔に目をやる。
私のせいでこんな目にあって。
神族や龍族なんて物語で見るだけで充分だろうに。
ルシルもさすがに、これまでのように明るく受け入れて貰えるとは思っていなかった。
それでも、一縷の望みをかけてしまっていた。
しばらく二人の間にただ無言の時間が流れる。
ルシルの心臓の音はやがて小さくなり、後には苦い悲しみだけがじわりと拡がった。
目の際に滲んだ涙を掌で拭うと、ルシルはなるべく明るい声を出した。
「ごめんなさい、フェル。今までのこと全部」
胸に何かが突き刺さっているように痛むが、顔が歪まないように意識して微笑む。
「それと、これまでありがとう」
万感の想いを込めてルシルが言ったその時だった。
乾いた破裂音と共に何か小さくて鋭いものがルシルの脇を通り過ぎて、真っ直ぐにフェリクスの胸を貫いた。
フェリクスのベストの胸元がゆっくりと鮮血に染まっていく。
驚きに目を見開いたまま彼を見つめるルシルの前で、半身を起こしていたフェリクスが後ろに倒れていく。
紫の瞳は閉じられて、いつもより青白い顔に綺麗な黒髪がさらさらとかかり、再びすべり落ちる。
咄嗟に振り向くルシルの目線の先には、さっきまで遠くで倒れていたゼドが、口から大量の血を流しながら足を引きずってフラフラと近づく姿。
その震える手で持っているのは、テロイアで使われている魔力銃だった。
神族や龍族の身体は容易に貫けないが、体表の柔らかい人族や獣人族には劇的な効果をもたらす武器。まさかそんな物まで持ち込んでいるとは思わなかった。
「ふはははははは!こいつらの処理だけでも果たさなければアイゼンバーグの名折れだ!」
叫びながら力尽きたのか、その場で崩折れるように膝を付く。ルシルの隣にいたジャックが、素早くゼドに近づいて武器を取り上げ、激しく殴り倒した。
魔力銃は、小さな珠で急所をうまく撃ち抜けば、即死させることも出来るという特徴を持っている。
即死してしまえば、高位の治癒魔法も最高級のポーションも、もはや効果はない。
つまり魔力銃は、人族の命を一瞬で確実に奪ってしまう恐ろしい兵器なのだ。
青ざめた顔で横たわるフェリクスをもう一度見て、ルシルは両手で口を覆った。
両足が震えて、うまく立っていることも出来ない。
先程の怒りよりもっと強い感情が、ルシルの全身を貫いた。
恐怖だ。
同時に何かが、頭の中で粉々に砕かれたのを感じた。
ルシルを縛っていた何かが解け、これまでの感情が波のように引いていく。
遠くでジャックが何か叫んでいるのが聞こえる気がするが、ルシルにはもう届かなかった。
煮え立っていた腹の中も、切り裂かれるような悲しみも、震えるような恐怖も、急激に冷やされた様になって、記憶は曖昧になり、心はしんと静まっている。
だが逆に外界では、先程とは比べ物にならない勢いで、ルシルの濃厚な魔力がうねるように放出されていき、同時に周囲の空気はどんどんと薄くなる。
ジャックとカリンはルシルの異変に素早く気がつき、すぐに転移魔法で倒れている騎士団員や龍族の避難を始めた。
ルシルは見るともなしにそれを見ている。
ふとジャックが抱えている黒髪の親子が妙に気にかかった。……あの二人は、誰だった?
考えると魔力はますます濁流のように荒れ狂った。
ルシルは迸る魔力を持て余して、途方に暮れた。
その場にいた人々がどんどんと彼等の転移魔法で消えていく様子を捉えながら、ルシルはここに一人残されるのだとなんとなく理解した。
焦ったようにこちらを見る瞳。
何かを叫んで呼びかける声。
もうそれが誰なのかさえ思い出せない。
なぜかふと寂しさを感じた。
何が?誰に?
思考はサラサラと砂のようにこぼれて掴めない。
でも。
この場所で一人にされるのは少しだけ嫌だと思う。
(そうだ、全て消してしまおう)
ルシルは少し考えた後で、その場で爆発魔法を使った。自分を中心に周囲にある風景が、秩序正しく粉々になり、美しくも儚く消えていく。
最初から全て無かったように。
やがて全てが収束すると、爆心地である自分だけがその場に留まっており、見渡す限りには何もない、綺麗な空間が出来ていた。
しばらくボンヤリとしてそれを眺めていた。
先程の魔力の奔流はやっと収束したようだ。
誰もいなくなり、何もかもなくなった。
それでも、何の感慨も湧かなかった。
やがて周囲の風景への興味を失って目を逸らしたルシルは、さっきまで自分が何をしていたのかも、うまく思い出せなくなっていた。
仕方なくその場で茫然と立ち尽くしているルシルの頭の中に、突然知らない声が響いた。
【封印が完全に解けたようだな】
「誰?」
【山に来ると良い。お前自身の事を話してやろう】
ルシルの視界は暗転し、強引な転移魔法で何処かに運ばれていくのを感じた。
これにて第二章完結です。ここまで長らくお付き合い頂いて、本当にありがとうございました。
第三章では、ルシルが新たな出会いを通して自らの真実と向き合う事になります。
更新は少し間があきますが、次回もまた皆様に読んでいただける事を楽しみにしております。




