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第四十四話 運命の夜

 転移で一度北宮に戻り、デボラ達に無事を知らせてから自分の部屋に戻ると、本館ではルシルの不在でちょっとした騒ぎが起きていた。誰にも知らせずに部屋を長くあけすぎた事を少し後悔する。


 「妃殿下、一体どちらにいらしたのですか!お出かけになる際は必ず教えてくださいと散々お願いしておりますのに!もう晩餐会のお支度が間に合うかどうか分からないお時間ですよ!」


 キリキリと眉を吊り上げて、専属侍女のアンがお説教を始めた。護衛のオニキスも、ルシルの姿を見つけると私室の扉の前で膝から崩折れている。申し訳ない。

 

 ひたすら謝るルシルを横目に、侍女達が大わらわで動き出す中ですぐにまた席を外したいとは言い出せず、ルシルは仕方なく会談の予定を取り付けておく事にした。


「晩餐会の前にフェリクス様と少しお話しする時間を貰いたいと、ジルベールに伝えておいて貰える?」


 その後は鬼気迫る様子の侍女やメイド達に囲まれ、例によって数時間もみくちゃにされた後、外側はピカピカに、内面は多少ボロついた状態でルシルはやっと解放された。女性のおめかしに多少の免疫がついてきたものの、未だに戦闘訓練かのように疲れてしまう。


 夜空のように艶めかしい黒のマーメイドドレスには、全体にラメが入っており、体の動きに合わせてキラキラと光を反射する。ルシルの提案で深く入れられたスリットの下には、ふんだんな紫のティアードレースが幾重にも重なってこぼれ出し、まるで紫のダリアがこぼれ咲いているかのようだ。そして複雑な黒のレースで作られたハイネックの首元には、大きくて重たい紫水晶のチョーカーが付けられた。


 ルシルは晩餐会で何かあった時のために、ドレスの下にはこっそりと薄手のスラックスを履いておく。そして空間収納には魔法鞄を丸ごと放り込んでおいた。


 フェリクスとの会談は、支度が整い次第共用の寝室に続くリビングでと返事が来ていた。何度か深呼吸をして心を落ち着かせると、自室から夫婦の部屋に移動する。


 広い室内には灯が灯ってはいるがフェリクスはまだ来ていない。


 静かな室内にいると息が詰まる気がして、ルシルは小さな中庭に面したバルコニーに続く扉に向かった。


 外に出ると、夕暮れの空には薄い桃色と青色が混ざり合って幻想的な薄紫色の雲が広がっていた。はるか彼方には宵闇の紺色が迫り、春の空気の透き通る様な清々しさが鬱々と悩むルシルの心を一時晴らしてくれるようだった。


「ルー」


 穏やかな春風に無造作に髪を揺らし、ぼんやりとバルコニーにもたれていたルシルに、呼びかける低い美声。


「待たせてすまない」


 振り返ると黒地に銀の刺繍をシンメトリーにあしらった煌めくイブニングコート姿のフェリクスが立っている。斜めにカットされた裾が痩身なデザインで、内側にも揃いのベストを着込んでいる。


 ルシルは彼の着飾った時の迫力にやはり一度は見惚れてしまう。慌ててここに来てもらった目的を思い出す。


「フェル。ご公務お疲れ様でございました」


「今夜の姿もやはり格別に美しいな。中央の者共に見せてやるのが惜しい位だ」


 フェリクスは本当に口惜しそうな声音で呟きながらルシルに近付くと、黒いレースの手袋をしたルシルの手を掬い上げて柔らかくキスをした。


 ルシルの心臓が再び落ち着きを失くす。


 彼がこんな風に褒めてくれるのは、単に貴族としての嗜みなのか、本心なのか結局今も分からない。


 それでも正直で浮ついた所のないフェリクスの瞳には、こんなとき紛れもない熱が籠もっているように思えるのだ。ルシルはそこまで考えて、思わず心中で苦笑した。


 元々男性に言い寄られた事がないので、きっと勝手な妄想をするのだ。恐らくこんな事は普通の女性にはよくある社交辞令で、特別な感情があるのではと感じるのは、自分の自意識過剰なのか、勘違いなのだろう。


 後で傷つく自分を慰める為、これは全て紳士的な態度の範疇で、自分に特別な訳では無いと言い聞かせる。


「ありがとうございます。フェルもとても素敵です」


 当たり障りのない返事を返しながら、ルシルは勝手に舞い上がり、勝手に落ち込む自分の心を持て余す。生まれて初めて知るこの様々な感情を、目の前のこの人が自分に与えてくれたのだと思うと、一層愛しさで胸が詰まった。


「ルシル。これを君に」


 フェリクスは胸元から小さな箱を取り出して中身をルシルに見せた。小さな石のついた銀色の指輪だった。


「すごく……綺麗」


 ルシルは思わず感嘆の溜息を零した。

 透かし彫りの台座の繊細さ、小さな宝石の夢のような輝き、どう見ても特別な意味を持つ指輪に見えた。


「君がテロイアでは結婚する時に特別な指輪を貰うと言っていただろう」


「あっ……それは……確かに。でも欲しかった訳ではなくて」


 遠慮する言葉とは裏腹に、指輪から目が離せない。


「メルセランに予めこれだけはこちらから頼んでおいたのだ。石は……その、勝手に私の色なのだが」


 確かにフェリクスの瞳の色にそっくりな不思議なほど高貴な輝きを放つ宝石が、繊細な意匠を施した台座に収まっている。テロイアの宝飾店でもこれほどの指輪をオーダーすれば大変な値段になるだろう。


「さあ」


 薄い手袋の上からそっとルシルの指に指輪をはめると、その指に軽くキスをして揺れる瞳でじっと自分を見つめるフェリクス。初めてあった時と同じ、吸い込まれるような彼の瞳の美しさ。


「ありがとうございます。大切にします」


 ルシルは何かが込み上げてきて溢れそうになる胸を押さえて、極上の笑顔を返した。


 彼の宵闇に溶けそうな黒髪と、淡い光を反射する透き通った瞳を一心に見返しながら、一人の女性としてただこの時を幸福だと感じる。そして、何があってもこの瞬間だけは忘れないでいたいと思った。


「ところで晩餐会前に至急の話があると聞いたが」


 こほんと咳払いしたフェリクスに促されてはっと我に返る。


(そうよ。ちゃんと話さなくちゃ)


 今から全てを失うかもしれない恐怖に思わず視線を動かすと、バルコニーから遠巻きに見える立食ガーデンパーティの様子が目に入った。


 大ホールに面した庭園には幾つもの篝火が焚かれ、華やかな生花や蝋燭、滑らかな生地のリボンなどで飾られたテーブルに沢山のグラスが光を反射して美しく輝いている。


 晩餐会の前に、招待客が自由に親交を深められるように用意された席だ。まだ宵闇に染まりきらない空の下、幾人かの商人や貴族達が少人数で固まって盃を交わしている様だった。


 人々のさざめきを聞きながら、どう切り出そうか迷ったルシルは、ひとまず無難な事から口にする。


「は、はい。警備上、大事な事だと思うのです。……その、メルセラン商会の護衛の男達なんですが」


「メルセラン商会の護衛?ああ、魔力も強くガタイの良い男達だな。会頭が自慢していたよ。確か珍しい種族だとか言っていたな」


 午後に再び会頭と指輪の件で会っていたのだろう。特に彼等を不審に思っている様子はないのがルシルの不安を煽った。


「その……フェル。私たち前に庭園の東屋で、龍族や神族の話をしましたよね」


「?北のおとぎ話か?」


「そうです。ただその、あの時に言い出せなかった事があって」


 そこまで言って、ルシルは一度深く息を吸った。


「驚かれるかもしれませんが、実は新大陸のテロイアでは実際に神族も龍族も普通に暮らしているんです」


 この言葉がフェリクスに与える衝撃は、ルシルには想像もつかない。そしてすぐに自分と結びつけられるのではないか、という不安。彼の反応が怖くて、ルシルはフェリクスの顔を見ることが出来なかった。


 バルコニーから景色を見ているふりをして、横に並んだ彼の表情は見ずに、そのまま話を続ける。


「そして先程、あの護衛達が龍族である事を確認しました」


 突然両腕をつかまれて、ルシルは自然とフェリクスと向かい合っていた。


「確認した?どうやって?まさか、一人でその護衛達と接触したのか?」


 焦ったようなフェリクスの表情。そして慌てているせいか、とても距離が近い。ルシルは目を見開いて、唖然とその美しい瞳を見つめた。


「あ……はい。たまたまレイモンドを遊ばせていたら隔絶の森で何かしているのを発見したんです」


「護衛や騎士団は何をしていたんだ!君も君で、頼むからそんな事を一人でしないでくれ」


 ルシルは本気で怒った様子のフェリクスを見ながら、泣き笑いの様な表情で俯いた。


「私なら大丈夫です」


 いつでも彼は、どう考えても騎士団の誰よりも頑丈なルシルのことさえ、普通の感覚で心配してくれる。


 それなのに、胸がぎゅうと掴まれたように痛んだ。


 当たり前のようにかけられる彼の気遣いの言葉。


 でも、それはルシルを、魔法に長けた少しお転婆な人族の娘だと思っているからだ。


 例えばそれが、残忍で傲慢な、人喰いの神族だったなら、どうなるのだろう。


 異質で異常な何かを見る、氷の様な彼の表情を想像して、心臓が嫌な音を立てた。


 彼と自分では何もかもが違いすぎる。


 その上許されないほどに、彼を騙してきてしまった。


 今更この気持ちを伝えたからと言って、結局は何も変わらない。


 青ざめているだろう自分の顔を隠すように、再び庭園に視線を移した。


「龍族は巨体であるだけでなく魔力も豊富で、主に身体強化に長けており、普通の武器では傷つける事さえ難しい場合があるんです。彼らは商会にも正体を偽っている様ですし、森での様子からして何か良からぬ事を企んでいるはずです」


 ルシルが淡々とする説明に、徐々に表情を厳しくしていくフェリクス。


 連邦警察の潜入捜査なら、一般人のルシルが口を出せる事ではないが、だからと言って黙ってやられる訳にもいかない。攻撃されるのが分かっているなら、自衛するのは当然だ。

 

 龍族の危険性を警告できた事に少し安堵して、ルシルは一度深呼吸すると、正面からフェリクスに向き直った。


「フェリクス様。私今までずっと、ずっと正直に言わなくちゃいけないと思っていた事があるんです。どうか、落ち着いて聞いてもらえますか」


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