第四十二話 接敵
転移でルシルのもとに飛んできたカリンは、状況を一瞬で把握すると、ひとまずルシル達に気配遮断の魔法をかけた。
一般人には視認できない大精霊と言うだけあって、気配や姿を消す魔法に関してはルシルより巧みなのだ。
森の方を警戒するルシルに代わって、レイモンド達の避難も引き受けてくれると言う。ルシルはカリンとの打ち合わせの心話を終えると、デボラ達を振り返った。
「この先に良くない気配を感じるの。見つかる前にあなた達は先に離宮に戻りなさい」
デボラが目を見開いて、悲鳴を飲みこむように両手で口を塞いだ。眠るレイモンドを抱いた護衛が声を抑えてルシルに尋ねる。
「そんな。妃殿下は」
「私はここに残って状況を把握するわ。必要なら巡回中の騎士団とも合流する。今は使節団も逗留しているし、慎重な対応をしないとね」
今日の騎士団は細かく分けられて様々な場所で警戒任務に就いている。隔絶の森付近より、城や城下街寄りに多く人員が割かれている事は確かだが、森の中にも巡回中の騎士団員達の気配はきちんと感じられた。
「せめて護衛を」
ルシルは彼らに厳しい視線を向けて、ゆっくり首を振った。案に、力不足だと伝えるためだ。
賢い彼らには、その意味がわかっただろう。それでも、職務としてどうすべきか迷う様子を見せる。
「申し訳ないけれど、これ以上話している時間はないの。転移で元の部屋に戻すから、しばらくは何事もなかったようにしていて。それから今日は、何があってもレイモンドを離宮から出さないで。頼んだわよ」
レイモンドを最優先で守ってほしいという気持ちを込めて、まだ逡巡する護衛達にしっかり頷いた途端、彼らはルシルの目の前から消えた。カリンの魔法で離宮に転移されたのだ。
ルシルは左肩に着地したカリンに礼を言うと、急いで森の中程に転移して、大木にそっと身を隠した。
レイモンドを連れていた為に、念のため森の奥まで探知魔法を広げていて助かった。それにカリンの気配遮断魔法は非常に高度なのもあり、ギリギリ気が付かれずにここまで移動できたはずだ。
「まさか本当にここで見つかるとは思わなかったな」
「ただ俺達だけじゃこれ以上は動けない、指示があるまで待機だな」
メルセラン商会の護衛騎士、龍族の二人がまるで庭園を散歩しているかのように話しながらルシルの隠れた大木の前を通り過ぎる。人族の一般騎士より一回りほど大きな体躯で、久々に目にするとその威圧感は顕著だった。
「まずはこっちの仕事を片付けないと」
「確かに。難しい事は本家に任せておけばいい」
龍族としては彼らの体格は一般的で、ルシルから見て特別手強いと言う雰囲気はないが、この大陸であの容姿なら、どれほど有名な商会だとしても護衛の仕事は楽に手に入っただろう。二人いるうちの片方は龍族でもそれほど大きくないのだが、それでも人族と比べたら骨格から違うように見える。
今はリラックスして城に戻る道を歩いているようだが、彼らの纏う魔力の残滓から、何かしら戦闘の後ではないかと伺える。ルシルは咄嗟に嗅覚を強化して、彼らから漂う血の匂いを嗅ぎ分けた。
(獣血?森に散歩に入って大型獣にでも出くわしたのかしら)
『あいつら、城にいないと思ったらこんなところにきてたぷ。偵察しようと散々探し回っても商会の奴らしかいなかったぷよ』
『確かに変ね。何の用で森なんかに。名目上でも商会関係者がこんな勝手な行動をとるのはおかしいわ』
『何かを見つけたって話らしいぷ、探し物でもしてたのかぷ?』
『獣血の匂いがする。大型獣でも狩っていたのかな』
『お前じゃあるまいし、そんなケチなバイトをする必要がないだろぷ』
『あのね、解体した大型獣を売り捌いたのは、お金のためじゃなくて収納の中で邪魔だったからよ』
『……そう言うことにしてやるぷ。とにかく、奴らはお前と同じで、種族を偽ってたぷ。商会の者どもは奴らのことを龍族じゃなく南の山岳地帯に住む少数種族だと思ってるぷ』
『ふうん。だから藪蛇にならないように、私の事も知らんぷりしてたってわけね』
『どうするんだぷ』
『どうするって、こうするわよ』
ルシルはわざと大きな音を立てて、木陰から彼らの前に飛び出した。
大きな物音で相手に気づかせてしまえば、どんなに高度な気配遮断でも強引に解かれてしまう。カリンが止めるだろうと考えたルシルの苦肉の策だった。
「ルシル・クロフォード!」
久しぶりに聴き慣れたフルネームで呼ばれて、ルシルは妙な気持ちになった。
故郷では皆から、そう呼ばれていた。それがまるで一つの呪文のように。
学園では普通お互いファーストネームで呼び合い、例え親しくなくても、いちいち家名も付ける事なんてない。それでも自分はいつもフルネームで呼ばれた。大概、あの、とか例の、とかがつく事が多かった。
ルシルは神族なのにキャリア士官課程にも進学せずに、卒業後の即時従軍を希望していたのだから当然かもしれないが。
そんな変人は他にいなかった。
唯一、もう一人を除いては。
そこまで考えて、ごく親しい仲間だけは、ルシルとファーストネームで呼んでくれていたことを思い出すと、ほんの少し気分が和らいだ。
「そうよ、ルシル・クロフォード。私を知ってるなら話が早いわ。あなた達、龍族よね」
気配もなく急に飛び出してきたルシルに、彼らは心底驚いた様子だった。カリンの気配遮断魔法は優秀だ。
「私はここに来る前、龍族に襲われたの。あなた達何か知っている?」
どうやってロトに渡ったのかとか、なぜ帝国の商会にいるのかとか、聞きたい事は他にも山ほどあったが、彼らが万が一あの時の刺客と通じているなら、ひとまず戦闘は避けられないかもしれない。まずはそこを確認したかった。
ごく小さな動作で戦闘に移れるように身体に余分な力を入れないでおく。ルシルは耳に魔力を集めて、相手の鼓動の音を聞き分けた。
「貴方を?いやまさか、名誉にかけて我々は無関係だ」
慌てふためいてはいるが、言葉を偽る時の鼓動とも違う。恐らく嘘はついていないのだろう。
存外丁寧な物言いに驚き、彼等はあの出来事とは無関係と考えて、ルシルはほんの少し警戒を緩めた。
馬鹿魔力で有名なルシルを知っている事は別段変な話ではない。同じ種族と言うだけであの刺客と繋がりがあると考える方がおかしいのかも知れない。
「そう。それじゃあ、ロトには一体どうやって来たの」
「……それは言えない」
「じゃあ、これには答えて。あなた達は大公国に害意を持っている?」
「それは……」
言い淀む大柄な方の龍族に、小柄な方の龍族は無言で首を振って暗に言うなと合図している。
「それも今は話せない」
種族を偽って大公国へ派遣された商隊に紛れ込んでいるだけで、すでに答えは出ているようなものだ。
「大公国への害意がないとは即答しないのね」
もしも何か企みがあるなら、今ここでルシルが排除しておくしかない。
「この後の夜会で何かしかけるつもりなの?」
この龍族一人の能力でも、大公国騎士団の脅威には充分なるだろう。今後の事も考えれば、話し合いで解決したかったルシルは、結局黙ったままの相手に落胆する。
(答える気がないなら、少し乱暴にでも話してもらうわよ)
城の中で戦闘になるよりは被害も少ないはずだった。森の中で出会えたのは不幸中の幸いとも言える。
ルシルが魔力隠蔽を一瞬で解除すると、龍族の護衛達の目に明らかな怯えの色が走った。
「くそっ!ここまでとは聞いてないぞ」
「まずい!とにかくここは一旦逃げ」
ルシルは問答無用で一気に距離を詰めると、大柄な方の男の右足の脛に風魔法を圧縮した弾丸を打ち込み、悲鳴をあげて蹲った男のガラ空きの後頭部に同じ弾丸を撃ち、意識を刈り取った。
この一連の動作は、驚くほど短時間で行われた。ルシルも、自分の魔力が増えた状態で身体強化と速度強化をかけたらどうなるのかを初めて体感したので、少し驚いたくらいだ。
自分の身体が今までとは比べ物にならないほどに軽くなり、周囲の物の動きは静止したかのようにゆっくりと見えた。もっとも小柄な方の龍族は、仲間がなす術もなく倒れる様を目を見開いて凝視しているだけだったが。
(あ、あら?龍族ってこんなに鈍臭かったっけ?)
あまりに違和感のある自分の身体に首を傾げて、ルシルは小柄な方の龍族の存在を放置して、その場で拳を握ったり開いたりした。そしておもむろに地面に伸びている龍族を見遣り、慌てて深く気配を探った。
(良かった、死んでない)
傷は負っているが、命に別状はなさそうだ。
明らかに増えた魔力にも関わらず、学園の時の演習感覚で戦ったために頑丈な龍族であってもどの程度のダメージになったかわからなかったのだ。ポーションや魔法で回復出来そうなレベルで良かった。
この間、すぐ横に立っていた小柄な方の龍族は恐怖のあまりに腰を抜かし、そのまま地をはって逃げ出そうとしていたが、その動きは非常に遅かった。
ルシルは目の端にそれを捉えながら、とりあえず片足だけのジャンプや上段蹴り、右フックなどを空中で試し、その変化した攻撃力を推測っていた。
「どうなってるの、これ」
『何やってるぷ』
『感覚がいつもと違っておかしいのよ。私の魔力、どのくらい増えたのかしら』
『状況を考えろぷ。あれ、逃げてるけどいいのかぷ?』
『ああ、そうだった』
ルシルは首を軽く振って肩を上下すると、這って逃げている小柄な龍族に向かって走り寄ろうとして、加減がうまくいかず、だいぶ通り過ぎてから急ブレーキをかけて立ち止まった。
思わず顔を顰めて、後方で恐怖に固まる龍族と、呆れ顔のカリンを振り返った。
「だ、誰か!!誰か助けてくれ!!」
直後、龍族の男が血相を変えて叫び出した。
まるで魔動画の悪役になったような気分で、ルシルはゲンナリする。
「ちょっと、別に殺そうってわけじゃないんだから。話を聞かせてって言ってるだけでしょう」
軽くやり合えば、向こうが折れて情報提供するのを想定していたが、初手で暴走してしまってあえなく失敗した。これだと殺意があると思われても仕方ない。
(確かにやり過ぎ感はあるけど不可抗力よ、ここまで魔力が増えてるとは思わなかったんだもの)
その時、ルシルの探知範囲に大きな魔力が突然現れ、森の奥から急速に近付いてきた。
(また何か来る)
ルシルは再び身構えた。




