第四話 龍族との対面
しかし入軍試験の前日に、強引な顔合わせの場が用意された。
この日ルシルははっきりと直接縁談を断るために、とある龍族の屋敷に向かっていた。
急な話で困惑したが、人伝てに断るだけだったこちらの無作法が過ぎたのも気が咎める。
きちんと誠意をもって直接断ればいい。
そもそもあちらも直接訪ねてきたわけでもない。
あくまで親族間で取り交わされただけの話。
実際にはお互いに、どんな相手かも知らないのだ。
だから急に、顔合わせだなどと日時通告の手紙が来た事には驚いた。
もしかしたら、間に別の人々の思惑が入り込みすぎて意思疎通がうまくいかず、お相手も困惑しているのかもしれない。
ルシルは軍に入隊する前に早くこの話にけりをつけておきたかった。軍部に強い影響力を持つ龍族のことだ。妙な裏取引でもされて、合否に影響が出てはかなわないからだ。
(化粧っけもなくこの旅装で押しかければ、先方もどうせ気が変わるはずよ)
候補なら他にも何人かいると聞いている。
実際に会って話せば、あっという間に自分への興味を失ってくれるだろうと、少し残念すぎる希望も持っていた。
同期と共に魔道列車には乗れないが、話し合いの後すぐに、試験会場の近くの街に転移魔法で移動する準備をした。
一晩宿で休めば、試験への影響はないはずだった。
(龍族でもかなり上位の血統の一族ね)
ルシルは通された応接間で先方が来るのを待ちながら、室内の豪華な設えに、目を見張っていた。
置かれている絵画や陶器はどれもこれも、趣味のいい一級品で、大きな窓辺のそれぞれと中央のテーブルには、ふんだんに大輪の生花がいけてある。
そして部屋の一番奥には龍族に伝わる古の武具一式が、目立つように掲げられていた。
あれを保有するのは、龍族の中でも一握りの幹部だけだと聞いたことがある。
「お待たせいたしました」
最初に応対に訪れたのは、この家の秘書のような人物だった。
「ルイガス家のオルモルと申します。ただいま当主が急な事案にて席を外しておりまして、お約束に間に合わず、誠に申し訳ございません」
龍族の秘書にしてはずいぶん小柄なので、別種族なのだろう。額の汗をふきながら、少しおどおどした様子でルシルを見上げてくる。
「つきましては、クロフォード様には大変恐縮ですが、ぜひ日を改めていただけますよう、次の日取りをご相談するように申し付かっております」
「そうですか。しかし、本日この後からしばらく遠方に滞在の予定なのです」
ルシルの返答に、オルモルはあからさまに困った顔をした。
「私の方の用向きは、以前よりお伝えしてあるはずなのですが、ご提案頂いた婚約の件を辞退したいという事だけですので、どうぞそれだけご当主様にお伝えください」
ルシルは内心ほっとしつつ、せっかちに席を立った。
ここでしっかり訪問して断ったと証拠が残れば、それで少しは安心できる。
家人と対面して何かしらのらりくらりと引き留められるより、むしろこの状況は良いのかもしれなかった。
「それでは、私はこれで」
こちらが軽く会釈すると、弾かれたように慌てて深く頭を下げるオルモルが、内心戸惑っているのは解ったが、こちらもそこまで時間を無駄にはできない。
この秘書から今日の様子を聞けば、あきらめもつくだろう。
開いていたドアから廊下に出たルシルを、慌てたように追いかけてくるオルモル。
「ほ、本日はせめて、お茶だけでも召し上がっていかれませんか」
女性にしては長身で歩幅の広いルシルを、背の低いオルモルがちょこまかと追ってくる様子は少し同情を誘う。
約束をすっぽかした当主に代わって、何か埋め合わせをしたいのか。
それにしてはどうも、引き留めるのに必死の様子にルシルは内心首を傾げた。
「ご厚意だけ受け取ります。予定がありますので」
怒っているわけではないと伝えるため軽く微笑んで、もう一度会釈しておく。
少し良心がとがめるが、ここは後腐れなく、素早く立ち去りたい。
ルシルは追いかけてくるオルモルを見ない様にして、廊下に掛かっている魔道写真を見ながら大股で歩いた。
(あれ?この子、なんだか見覚えがある)
庭で数家族が集まって撮った様子の集合写真に写る小さな男の子。
龍族に知り合いはあまりいないはずだが、ふと懐かしいような感覚を覚えて立ち止まった。
「そ、そちらはルイガス家の親族写真でございます。クロフォード様との縁組を希望しておりますのは、こちらのジェイコブ様です」
(ジェイコブ?……ジャック?)
記憶の片隅に、何かが引っかかる。けれど、今すぐ思い出せるような事でもないようだ。
「あの、ジェイコブ様と私は、もしかして以前に面識があったのでしょうか」
「いえ、私はそのような事は特に聞いておりませんで……も、申し訳ありません」
「あ、そうですよね、失礼いたしました。お気になさらないでください」
写真に興味を示して立ち止まったルシルに顔を輝かせ、張り切って説明を始めたオルモルだったが、唐突なルシルの質問には目を白黒させている。
「そ、その、クロフォード様は、ルイガス家との縁談を断られたのち、龍族の他家との縁組をす、すでにお、お考えなのでしょうか!?」
急に大声を出して、必死の形相で質問してくるオルモルに、今度はこちらが面食らう番だ。
(他の龍族と?というか、そもそも結婚がありえない)
ぽかんとした顔でオルモルを凝視した後、思わず顔をしかめるルシル。
そのルシルの様子を見て、オルモルは自分の口を押えて青ざめている。
しまった、というような後悔が表情にありありと見て取れた。
「私は今のところどなたとも結婚するつもりはありません。そんなお話もないですし」
「そ、それは他家からの接触がまだないという理解でよろしいでしょうか?」
「ありませんし、あっても断ります」
なんだか不穏な情報が入っているようなオルモルの言葉に、ルシルは気持ちが波立つのを止められない。
まだ、という事は、これからそういう話がありそうってこと?
「龍族の方々と、神族の者たちでどういういきさつがあったのかは存じませんが、少なくとも私個人としては、婚約や結婚とは無縁だと思いますので」
「そ、そうなのですか。神族の方々としましては、どちらの家門でも構わないのでクロフォード様と龍族とで縁を繋ぎたいというお話だったと聞いております」
ルシルは衝撃的なオルモルの話に、一気に頭痛がした。
「……何か、行き違いがあるようですね」
オルモルが、ルシルの顔色が変わったのを見て、慌てて言い足した。
ルシルは、神族筆頭会議の面々に対する怒りが抑えきれなかった。
どうしてわざわざ自分のような性格の女を、龍族に嫁がせたいのか。
(なんなのよ!横暴な。私が大人しく思い通りになると思ったら大間違いよ)
「龍族間での協議の末、最初に名乗りを上げる権利をルイガスが掴んだのですが、序列をきちんと守らない家もありますので……」
伺う様に、オルモルはルシルを見ているが、ルシルは頭に血が上っていて、気が付かない。
「そもそも、クロフォード様ご本人にその意思がないとは……。分かりました。当主にはそのように伝えておきます」
結局、この廊下での長い立ち話のあと、ルシルはやっと解放された。
自分の意向を全く無視して、勝手に父やほかの神族達に自分の結婚話をされていたのかと思うと無性に腹が立った。
ルシルは無口で辛抱強く、細かい事にはあまりこだわらない。
それでこれまで誰かに強く自己主張をするようなこともなかったが、だからといって感情がないわけでも、自分の意思がないわけでもない。
なぜか父との間に感じていた壁をより強く意識した。
屋敷から出てほどなくして、波立つ気持ちのまま、転移魔法を組み立てようと人気のない路地に入った時。
ルシルは突然、不審な結界が自分の周囲に張られている事に気が付いた。
防音と認識阻害。
この結界内で何が起きていても、周囲には感知されない性質のもの。
神族を街中で狙うバカなどは聞いたこともないので、瞬時に何かおかしいと感じる。
天性の勘というものだったのか、最初の一撃を受け流せたのはただの幸運だった。
襲撃相手の気配遮断か隠密系の魔法がとても高度なものだったために、さすがのルシルでも相手の動きを的確には見切れなかった。
左手を薄くかすったナイフには、睡眠系の強毒が仕込まれていた。
強靭な神族や龍族にも効果が見込まれていて、一般には入手困難と言われる物のはずだ。
ルシルは、軽いめまいを感じたが、すぐに解毒魔法を発動して事なきを得る。
初手で確実に仕留められなかった事実に、襲撃相手の微かな動揺を感じた。
(この毒。私を神族だと知ってて襲ってきたの?)
急な事態にルシルが混乱している隙に、相手は目立たない黒い服の懐から小ぶりな魔道具らしきものを取り出して、ルシルに向かって掲げてきた。
ルシルは全身に不思議な違和感を感じて、思わずその魔道具を凝視する。
恐らく、それには特殊な魔石が使われているはずだ。
この急激な脱力感には覚えがある。
神族の膨大な魔力を一時的に吸収する医療用の魔石。
なぜ、そんな危険なものが。
ルシルは愕然として目の前の敵を見つめた。
自分の魔力が急激な速度で失われていくのを感じながら。
このままでは確実に敵の術中にはまる。
全ての魔力を封じられれば、残るのは強靭な身体能力だけ。
しかし、毒や魔法を使うこの訓練された手練れに勝つのはいくらルシルでも不安がある。
素性を巧みに隠してはいるが、身のこなしや纏う魔力の雰囲気からおそらく相手は龍族だろう。身体能力もかなり高いはず。
ルシルの直感がそう告げていた。
ルシル自身、身の危険、という意味で恐怖に近い拒絶の感情を抱くのは、初めての体験だった。
自分の強烈な感情に動揺したルシルは、思わずその場で強引に転移魔法を使ってしまった。
敵の結界を内側から破るほどの、無駄に強力な魔力をやみくもに注いで。
そして次の瞬間には、全く見知らぬ場所でたった1人、途方にくれる事になったのだった。