第三十八話 罠 side 帝国大使
「どういう事だ!」
煌びやかに贅の限りを尽くした執務室で、オイゲンは大声をあげた。
勢い余って振りかぶった魔晶石のペーパーウェイトを二度見して、急に勢いを失くすとそっと机上に戻した。
純粋な魔結晶を加工して作られた魔晶石はとても高価だ。怒りのままに割って後悔したくない。
ペーパーウェイトを戻した机には皇太后の侍従からの手紙があった。成婚の儀に皇太后側で唯一出席できたオイゲンが、任務に失敗したことへの叱責と、新しい任務。オイゲン一人では心許ないので、今回はタルジュール城の第一騎士団団長の指示に従えとの通達だった。
「なぜこの私があんな若造の下につかねばならんのだ!」
自分でも成婚の儀で失敗したのは分かっている。あまりに美しい大公妃といつもと違う大公に驚き、うまく対処できなかった。これで皇太后の信頼は薄れ、中央に返り咲く日は遠のいてしまったはずだ。
それにしても、あのような子爵家の三男に元伯爵家のこの私が指示を受けるだと?
「くそくそくそ!」
短い手足をバタつかせて怒りを発散していると、遠慮がちなノックの後で執事が入ってくる。
「ご主人様、ダケット騎士団長がお見えです」
慌てて振り乱した髪を撫で付けて冷静さを取り繕うと、オイゲンは尊大な態度で客人を迎えた。
「ご無沙汰しております、大使」
入ってきたのは無駄に体格のいい、いつもすました顔の男。キリッと鋭い翡翠の瞳と、まっすぐに高い鼻筋。
何より豊かで長い髪を無造作に背で束ねている様子が、いつもオイゲンの気に障る。
「ダケット卿、大公国は祝典続きで騎士団も忙しかったと見える。帝国大使館の定期巡回も忘れてしまったのかと些か訝しんでいたところだよ」
「いえ、決してそのような事は。巡回は部下がきちんと行なっていたかと」
「ふん、団長自ら機嫌を伺いにくる必要もない、という態度だな」
「帝国使節団の件で城を離れるのが難しかったのです。ご容赦を」
相変わらず腹のうちを顔に出さない男だ。オイゲンは軽く噛み付いても余裕そうな態度に内心歯噛みした。
「それで、歓迎式典当日の動きはどうなっている」
「来訪する商隊と帝国使節団には皇太后陛下の配下がおります。彼等と閣下への顔繋ぎ役として、大使には晩餐会への出席をお願いします。当日の大公夫妻の警備は全て第一騎士団の裁量ですから、問題はないかと」
オイゲンは前回の失態を遠回しに皮肉られたのかと、目の前の大男を睨みつける。
「成婚の儀では卿が他の騎士団と連携していたせいであのような事態になったのであろう、今回は必ずうまく接触できるように心がけよ」
「かしこまりました、当日の動きはこちらの指示書に記してありますのでご一読を」
指示書という言葉に内心穏やかではなかったが、執事が運んできたそれをひったくって、目を通す。
「滞在期間はひと月ほどかと思ったが随分短いな」
「皇帝陛下のご指示だそうです。使節団は長めに残りたいと主張しましたが届かず、商隊と共に帰還します」
「ふん。何にせよここで必ず成果を上げて、麗しの皇太后陛下に我が忠信を捧げなくはならん」
「微力ながらお手伝い致します」
常に俯き加減でいるダケットに意地悪そうな視線をやって、オイゲンは少し鬱憤を晴らすことにした。
「卿も主人を裏切るのは気が重いだろう。だがまさか大公も要人警護に当たる自らの副官が皇太后と通じているとは予想もできまいて。我が陣営も本当に良い手駒を得たものよ」
「……」
「実家のダケット子爵家は兄が継いでいるのだったか。庶子である卿は縁を切られたと聞いていたが、家族の情というのは簡単にはいかないものだな」
ダケット子爵は皇太后派だが、大した影響力もない。ただ縁を切ったはずのこの三男がこうもうまく立ち回ってくれるとは予想外だったはずだ。噂では三男は自ら家を出たとも聞いたが、所詮下賤の庶子のこと、身一つになってみて子爵家の権威でも惜しくなったのだろう。ニンマリと笑って、オイゲンは声を顰めた。
「確か皇太后陛下の口添えで、末の妹が嫁に出されるのを一旦反故にするとか」
沈黙していた騎士団長が両の拳を強く握った。オイゲンの笑顔が深まる。
「あまり益の少ない縁戚を嫌うのも無理はない。せっかくなら伯爵家にでも輿入れしたいと思うのは当然の考えだ。この一件で功を立てれば、妹の嫁ぎ先もより取りみどりかもしれんしな」
ご立派な制服を着てすましていても、結局内側では同じ穴の狢。皇太后の威光を笠にきて甘い汁を吸いたいに決まっている。オイゲンは目の前の澄ました男を多少揺さぶったという手応えに満足して、溜飲を下げた。
「ふむ。帝国使節団か。せいぜい大公に城から追い出されて、この大使館に寝場所を泣きつく様な事にならんと良いがな」
成婚の儀の夜、実際に城を追い出された自分を棚に上げてオイゲンはふんぞり返った。
「それでは当日、準備を怠るな」
敬礼をして去っていく男を見送って、オイゲンは淋しくなった頭頂部をそっと撫でつけながら、成婚の儀での失敗を思い起こしていた。
確かに、あの日間近で見た大公妃は格別の美しさだった。
言葉こそ引き出せなかったが、あれほど側に寄れたのは、招待客の中で自分くらいだろう。
皇太后や大公もそうだが、高貴な人間は近くにいるとその魔力量のせいでビリビリとした不快感を感じることがある。城で働く者たちはそれに慣れるよう最初に訓練されるほどだ。
思い起こすだけで再び小さな雷に打たれた様な不快感を感じて、オイゲンは思わず肌を擦った。
「あの時、あれほど強い魔力に驚いてまごついてさえいなければ、渡された魔道具を使う事くらい訳もなかったはずなのに」
呟いて執務机の引き出しの鍵を開け、中から豪奢な宝石の嵌められた大振りの指輪を取り出すと、うっとりと日にすかして眺めた。
この指輪は、皇太后陛下から直々に下賜された魔道具で、ほんの少しでも対象の肌に触れさせれば、相手の魔力を吸い取る事が出来るとか。これだけの高度な魔道具は、皇族でしか持てないような逸品だ。おそらくかなりの価値があるだろう。
ただし隠蔽魔法で一見魔道具とはわからない様にされているため、作動には呪文詠唱が必要らしい。とても短い呪文なので、囁くだけなら周囲には気づかれないはずだ。
あの時、大公の隙をついて公妃に会い、手の甲に口付けしながら魔道具を作動しようと画策していたのに。あれほど早くに大公が駆けつけるとは予想外だった。
「そういえば同時におかしな指示もあったな」
魔道具を作動させた際に、必ず大公妃の瞳をみろという内容。魔道具の使用に失敗した場合の代案もまた、同じだった。大公妃にどうにかして大規模魔法を行使させよ、というもの。そして。
「大規模魔法を行使する時の大公妃の瞳を観察し、報告すること」
下っ端のオイゲンには、いつも詳しい説明はあまりされない。だから指示以上の手柄を立てるには、いつだってこちらで推測し、隙を伺うしかないのだ。
思案げにトントンと机を指で叩きながら、オイゲンは考えた。
(大公妃の瞳には何か秘密があるに違いない。魔力を多く使った時、もしくは魔力を多く失った時、その瞳に何らかの変化があるということか?)
だが、そんな話は聞いたこともない。魔力関係で人の瞳に何らかの変化が起こるなど。
(いや、大公妃が人間でないとしたらどうか?)
エルフ族はその生態をあまり人族に知られていない。魔力量が多く、比較的温厚で見目も良い。近年は故郷である森を出て街中で暮らしながらも、彼らは基本的に秘密主義で、まだその多くが謎に包まれているのだ。
あの人間離れした美しさと魔力なら、彼女がエルフ族だと言っても疑う者はいないだろう。
自分の冴えた思いつきに、久しぶりに鼓動が早まるのを感じながら、オイゲンは魔道具の指輪を握りしめた。
急いでエルフの生態について詳しい者を探させよう。いや、広く異種族に関して調べるべきか。それに少なくとも、人前で瞳の変化の話でも振れば、何かしらボロを出すかもしれない。
上から重ねて指示されている事から、大公妃の瞳の変化は何か重要な意味を持つはずだ。
大公妃は人族でなければならないという事もないとは思うが、そもそもそれならなぜ公表していないのか。
(やはりエルフでもないと言うことか?)
大公妃が人族ではないことを大公側が隠しているのには何か意味があるに違いない。
「次こそは必ず、この魔道具を使って大公妃の化けの皮を剥いでやる。城の者たちも聞かされていない正体を暴いて見せたら、大公夫妻がどんなに慌てるか楽しみだ」
オイゲンは他人の秘密への嗅覚には自信があった。
そしてもちろん、悪巧みも得意な方だ。
そして次こそ必ずや、皇太后からの信頼回復を勝ち取るのだと固く決意するのだった。




