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第三十六話 母子の絆

 ジルベールと共にフェリクスへの報告を済ませたルシルは、念のためレイモンドの様子を見に行く事にした。  

 

 不穏な噂話が耳に入ってルシルを心配することがあるといけないと考えたのだ。


 レイモンドの部屋に着くと、今は勉強中だという。部屋の中からは、元気に数字を読む声が漏れ聞こえる。


「レイは変わりない?」


 家庭教師に遠慮して、隣室でデボラと向き合ったルシルは子供特有の甲高い声を微笑ましく思いながら用意されたお茶を飲んでいた。


「はい。今朝は城の雰囲気が慌ただしく、起きてしばらくはご機嫌が優れなかったのですが、先生がいらしてからはいつも通り、集中しておられる様です」


「そう。私が狙われたという話はここまで伝わっていないわよね?」


「私はすでに聞いておりますが、公子様のお耳には入れないように気を配っておりました」


「そうなのね、良かった。それに大したことではなかったの。デボラも心配せずにいつも通りにしていてね」


「かしこまりました」


「レイは、最近さらによくなってきているそうね」


 デボラの表情は前より格段に明るくなっている。ここに来てからのレイモンドの成長が心身ともに著しく、疑われていた先天的な成長遅延の疾患ももうほとんど心配ないと先日ようやく医者に言われたのだ。


 城に来た当初、レイモンドは年齢にしては身体もかなり小さく、言葉や情緒の発達もだいぶ遅れているようだったので、何か医学上の問題もあるのかもしれないと言われていた。


 今になってみると、それは単にレイモンドの置かれていた閉鎖的な環境と、精神不安が原因だった事が証明されたようなものだ。


「本当に、ようございました。あの時、妃殿下にお会いしていなければどうなっていたことか」


「いえ、そんな大袈裟な。私がいなくても、伯父君である閣下がきっと助けてくださったはずよ」


 デボラはなんとも言えない曖昧な顔で頷いた。


「当初は、レイモンド様と大公閣下との直接の御面会も叶わなかったのですが……。生活に支障はないようにと、ジルベール様には願いでればお会いできるとのお話で。ですから今このように閣下にも実際に気にかけて頂けるようになるとは夢にも思いませんでした」


 ルシルは笑顔を引き攣らせて、その言葉を聞いていた。確かに、初めはなぜかこの二人を離れに追いやっていたような気もする。フェリクスの変化に改めて内心で驚きながらお茶を飲むふりをして誤魔化す。


「そ、そう言えば、閣下は時々お一人でレイモンドのお部屋に来られる事があると聞いたわ」


 当初の塩対応はどうであれ、今は明らかにレイモンドを可愛がっている様子のフェリクスに興味が湧く。


「はい。ご公務の合間に時々様子を見に来られます。周囲が護衛以外は女性ばかりなので、男性らしい振る舞いや物言いを覚えさせるようにと、侍従を数人お召しになったり。大変きめ細やかに様々な指示もしてくださって」


「まあ。それは父親らしい素晴らしい采配ね。それなら私も母親として何かしてあげられないかしら」


 満面の笑顔になったルシルがデボラを見ると、嬉しそうに頬を染めて少し瞳を潤ませていた彼女は、目を少し見開いて勢いよく首を横に振った。そして本当に幸せそうに、綻ぶような笑顔を見せた。


「いいえ、いいえ!妃殿下にはもうこれ以上は無いほどに御母上としてお心をいただいております。公子様も妃殿下とお会いになれた日はとても満たされた様子で、夜もよくお休みになられるんです」


 そして微笑んで少し俯いたまま、スッと一筋の涙を溢した。


「エリスモルトにいた頃は、毎日がまるで長く続く葬儀のようでした。お身体の弱いマリアンヌ様のご懐妊はそもそもあまり喜ばれておらず、ご出産後の状況も酷かったものですから。小さなレイモンド様に良い感情が向けられる事もなく、ほとんど城内で放置されていたのです」


 レイモンドのあの大人しい性格は、そういった背景で培われたのかもしれない。


 小さな子供には理由もわからず、どれだけ寂しい思いをした事だろう。


「マリアンヌ様は婚家を追い出された私に同情されて、ご懐妊中に乳母として雇ってくださいました。ただご出産後ご子息にはほとんどお会いになれず、育児に関する特別な指示もなかったので、レイモンド様に優しく接する者も、お世話をする者も、ほとんどおりませんでした。時々泣き声が煩いと怒鳴りつけに来る程で」


 泣いたり騒いだり、質問したりわがままを言ったり。子供にとって当たり前の全てが、常に周囲に冷たくあしらわれ、唯一の味方のデボラをただ困らせていたなら、幼いながらも早々に心のどこかで何かを悟ったのだろう。


「それは不憫な事だったでしょう。あの子のあまり我儘を言わない所はその頃の影響があるのかしらね」


 ルシルはふと、自らの幼い頃を思い出して胸を痛めた。自分も正直早いうちから空気を読む子供だった。


 魔力の増え方が尋常でなかったルシルは、よく病院の研究室に検査だと言って連れて行かれていた。そして母以外の周りには常に距離を置かれているような気がしていた。


「どれだけ幼くても、そういう空気を敏感に感じ取る子供もいるのよね」


 母だけはそんなルシルに変に遠慮する事もなく厳しく接する人だった。


 すでに魔力過多気味だった幼いルシルに、魔力循環の補助も普通の子供と変わりなく行い、発現後の指導もほとんど母一人で。時折魔力を酷く暴走させてしまうルシルに、自身も怪我を負うことがあっても文句も言わずに付き合ってくれた。


 ルシルはそんな母の期待に応えようと、幼いうちから必死で努力するタイプの子供に育ったのだ。


 幼い頃の環境の影響は根強い。


 レイモンドがそんなに冷たい環境で、孤独な人格に育たなくてよかった、と心から思う。


「あっ……妃殿下、ご歓談中失礼致します。公子様がいらっしゃいました」


「はーうえ!はーうえだ!」


 護衛の焦った声掛けの後で、幼い声と小さな身体がパッと開いた入り口から弾丸のように飛び込んでくると、長椅子に腰掛けているルシルに勢いよく飛びついた。


「公子様。次にお母上に会う時はもう少しお行儀よくなさいませとお願いしたはずですよ」


 デボラの方をあっという顔で見たあと、へにょりと眉を下げると、ルシルのドレスに頭を擦り付けるようにしてレイモンドがぎゅっと抱きついてくる。


「!ごめんしゃい……」


「ふふふ。いいのよ、デボラ。レイモンドが元気一杯なのが一番だわ。お行儀についてはまた追々ね」


 ルシルにとってはひたすら可愛い仕草だが、後で少し叱られるのかもしれない。


「はーうえ!レイ、すうじぜんぶ、いえりゅのよ!あと、あとはね、すうじとすうじをあわせりゅの!」


「まあまあ。レイはすごいのね。母上はびっくりしたわ。レイにはご褒美が沢山必要ね」


 紫の瞳をキラキラとさせて、今日の勉強の報告をするレイモンド。ルシルに習って食事もよく食べるようになったとかで、少しこけていた頬のラインも、今ではすっかり子供らしくふっくらとした弧を描いている。


 褒められて満足したのか、ルシルの腹に頬を付けたまま膝の上でニコニコしているレイモンドの、温かくて幸福な感情が薄らと伝わってくる。


 魔力循環の補助を通して魔力を混じり合わせた母子は、こうしてうっすらと互いの感情が伝わってくる事があるらしい。


 ルシルはなんだか面映い気持ちになってレイモンドのサラサラの細い黒髪を何度も指ですいた。


「ちーうえがね、レイはまりょくせー$%#のさいのうがありゅって!まほうのおべんきょがんばれって!」


 魔力制御がうまく言えずにゴニョゴニョ言って誤魔化している様子のレイモンドだが、嬉しそうに興奮してふくふくの腕を上げ下げしている。以前よりずっと情緒も豊かになって、動作もさらに活発になってきた。


 ルシルは流れ込んでくるレイモンドの喜びの波動を感じ取りながら、自分の内からレイモンドへの愛しさが溢れていくのも感じていた。そしてふとこれからのことを考えて落ち着かない気分になった。


 その後も楽しく会話をして午後のひと時を過ごし、考えに耽りながら自室に戻って来る。


 もしも帝国中央の助力を受けて、テロイアとの連絡がついたとしたら。


 ここに残りたいと、フェリクスに打ち明けるとして、自分の正体を告げずにそんなことができるわけがない。

 

 それにレイモンドを残しては、結局もうどこにも行けない気がしている。


 温かい子供の体温と小鳥の囀りのように心地よい声から、絶対に引き剥がされたくない、という強い衝動。


 血を分けた訳でもないのに、魔力が混じり合って本当の親子のような絆ができてしまったのだ。


(私……もうちゃんと、本当のことを言わなくちゃ)


 種族のことを打ち明けた時にフェリクスに拒絶される恐怖が、何の感情に基づいているのか、本当はもうとっくに気がついていた。ただ認めたくなかっただけだ。


(私がここまでどうしても自分の種族を明かしたくなかったのは多分……)


 けれど打ち明けたとして、叶わない想いに違いないのだから。


 考えるだけでキリキリと締め付けられる心臓のあたりに手を当てて、ルシルは寝室で一人うめいた。


 少し一人にして欲しいと、自室に戻るなり再び寝室に閉じこもっていた。


「お前、ちょっと考え込みすぎだぷ」


「そんなこと言っても、どうしようもないのよ。打ち明けたらすぐにでも追い出されるかもしれないのよ」


「神族であることはそんなに悪いことばかりじゃないぷ。人族の奴らに混じって普通に生活出来る事が証明できれば簡単に受け入れられるんじゃないかぷ?」


「それが、あの北の山の神族の事なのか、この辺で神族は傲慢だとか人喰いだとかいう噂があるんだもの」


「ああ……」


 意味深に黙るカリンにギョッとするルシル。そしてその顔に絶望の表情が浮かぶ。


「ねえ、まさか本当な訳ないでしょう?いくら昔のままの祖先の様な同胞だとしてもまさかそこまでは」


「少なくともあいつは他の神族とは違うのは確かだぷ」


「ええ……」


 ルシルはその変わり者のせいで神族がここまで誤解されているのだと思うと、無性に腹が立った。


 そしてもう一度、どうやって話を切り出すべきか、泣きそうになりながら真剣に悩み始める。

 

「わ、私は人族ではなく、神族なんです。でも絶対に人を食べたりしません!そ、それにあ、あなたのことが……ああああ、なんか違う!!これじゃ絶対にダメな気がする!」


「お前……事情とか抜きにしてそもそも残念すぎるんじゃないかぷ」


「だってこんなこと誰も教えてくれなかったんだもの!どうしろっていうのよ……」


 学園でも、母親にも、人が恋に落ちた時どうするかなんて教えてもらえなかった。


 ルシルはツッコミを入れてくるカリンに文句を言いながら、どう自分の気持ちと秘密を打ち明けるか、この日は結局一晩中ぶつぶつ言いながら悩んだのだった。


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