第三十三話 新たな出会い
「どういったお話ですか?」
「中央から使節団と商人が送られて来るそうだ」
フェリクスは、金の封蝋のついた封筒と分厚い便箋をバサリと机上に投げ捨てるように置くと、また無表情に戻って腕を組んだ。
「使節団は皇帝の名代で、婚儀の祝を下賜すると言う名目の一団だ。先発隊は皇帝の勅令ですでに出発していて、月を跨がずに到着するだろうという知らせだ」
「つまり、皇帝が婚礼に出席できなかった代わりに、大がかりな結婚祝いを贈ると言うことですね」
「簡潔に言うとそうなるな。大公妃への祝い品としても大量の目録が添えられている。奴らがタルジュールに到着するときには、君にも歓迎の儀に参加してもらう必要がありそうだ」
中央の商人というものには少し興味がひかれる。中央ではどの程度の魔法や技術が使われているのか、ルシルとしても聞いてみたい。また大掛かりな式典があるのは少し不安だけど。
「わかりました。そういうことなら、私も周囲と相談して色々と準備しておきます」
「急ですまないな。とにかく中央の奴らは、知らせが急な事が多くて困る」
ルシルは苦笑しながら席を立った。
いや、こちらも婚儀の知らせをわざとギリギリに送っているのでは、と思う。
彼らの話の端々に伺えるのは、皇太后と皇帝の勢力は少し違う、ということ。少なくとも皇太后の一派は、ルシルを排除、もしくは利用したがっている。
(だけど、皇帝は……?一体何を考えているのかしら)
執務室の前で控えていたアンとオニキスを引き連れて、考えに耽りながら自室に戻る。
「疲れたから少し休むわ。二人は帝国使節団お迎えの準備の方をお願いするわね」
「かしこまりました」
応接室のソファで二人を見送ると、立ち上がってさらに奥の寝室の扉を開ける。
その瞬間、ルシルの顔にポスンと真っ白い何かが降ってきた。
「遅いぷー!」
悪態をつきながら顔に張り付いている毛玉を無理やり引っぺがすと、そのまま目の高さに吊り上げて、ルシルは盛大なため息をついた。
そう、いろいろありすぎて忘れていたが。
自室に戻る直前に、この迷惑な存在を思い出した。
ルシルに首根っこを掴まれた毛玉は、生まれたての子猫の様な見た目をしている。折れた耳と平べったい顔、短い手足。透き通る青と碧のオッドアイ。今はその手足をばたつかせて、威嚇の声を上げているが、全く迫力がない。猫にしては小さく、掌に載せても間に合うくらいの大きさだ。
「勘弁してよ、もう……」
この生き物は、今朝隔絶の森で出くわし、そのままついてきてしまった。何度ひっぺがして捨ててきても、気が付くと身体の一部にとりついているのだ。
故郷で見かけたひっつき花粉みたいな生態の生き物なのかと軽く周囲に聞いてみたら、驚いたことに、ルシル以外の誰にもこの毛玉は見えてさえいなかった。
そもそも、小動物の見た目をしているが、人語を操るので見た目通りの存在でないことは明らか。ルシルは再び、昔読んだ本【旧大陸研究】の一節を思い出していた。
『旧大陸では魔素濃度の非常に高い地域があり、超自然的な存在が観測されることがある』
「超自然的存在」
「離せぷー!離すのじゃぷー!」
これが?
この毛玉が、超自然的?
ルシルは首を掴まれて暴れている生き物の、飴玉のような青と碧のオッドアイをのぞき込んだ。
「ねえ、森に帰った方がいいんじゃないかな」
「嫌じゃぷー」
「そもそもなんで私にくっついてくるのよ」
「お前の神力が美味しいからじゃぷー」
「神力……?はあ、つまり私の魔力のことね」
「お前は神族じゃろぷー?」
「ちょっと!それ秘密だから!!絶対他の人のいるところでは言わないで」
「ふん!秘密にしてやる代わりに我の面倒をみるがいいのじゃぷー!」
「いや、だから森に帰りなさいよ……」
脱力して手を離すと、解放された毛玉はフワフワと浮いてルシルの肩に着地すると、ぴとりと首筋にはりついた。超自然的存在のくせに、片側の首がほんのりと暖かい。
「居候の私にペットを飼う余裕はないんだってば」
無意識にフワフワの毛皮を撫でつけながら、ルシルは寝室の扉をしっかりと施錠し、憂鬱な気分でベッドに腰掛けた。
超自然的存在を飼う。
巨大花も、巨大蝶もこの目で見たので受け入れた。旧大陸ロトに居る以上、今更他に何が出てきても受け入れるしかない事は確かだ。
「ペットじゃと!我をペット扱いするでないぷー!」
「はああ。面倒をみろ、とか言ってきたのはそっちじゃないの。そもそも種族の名前はなんなの?飛ぶから飛び猫?それともお邪魔虫?」
「これだから威張りんぼの神族は!!聞いて驚け、我は偉大な大精霊、ケットシー族なるぞぷー」
「ケットシー?ああ、猫の妖精か」
「だい・せい・れい・じゃぷー!!」
「猫の妖精でも精霊でもいいけどね。とにかく元の場所に帰りなさい」
「な……我と共に居れば幸運を手に入れられるという話を知らんのかぷ?」
「幸運ねえ。そりゃあ幸運の猫ちゃんなら欲しいけど。ただし普通の猫に限る」
そんなジンクスがあるなら、と少し心が揺れる。それとこのスベスベでふわふわの手触り。ただ、宙を自由に飛び回り、人語を操る点が気になる。どう見ても普通の猫じゃないし。
「ふん!それなら我に名前を付けるがいいぷー!」
「名前を付けたら最後、纏わりついて離れない、みたいな話でしょう」
「我を迷惑ノームのように言うでないぷー!」
「もう!森に帰らないつもりなら、とにかく大人しくしていて!魔力ならいつも余ってるから幾らでも食べていいから。それから、私が神族ってことは、ここのみんなには絶対に内緒よ」
先ほど、寝室に隠れているように説得した苦労を思い出して、早々に森に還す事を諦めたルシルは、幾分投げやりな気分になってベッドに勢いよく仰向けに倒れた。
仰向けのルシルの腹に早速もごもごとよじ登り、嬉しそうに張り付くケットシー。
「分かったぷー!!我の姿も言葉も他のやつらには分からないはずじゃぷー」
「それも困るような……空中に話しかける私が変なやつ扱いされるでしょ」
「元々変なやつ扱いされてるくせにぷ」
にやにやするケットシーをルシルは胡乱な目で見た。
「ねえ、そもそもケットシーを森で拾う、って常識的に大丈夫なの?私はごくごく普通の人族っぽくいたいの」
一度はきちんと打ち明けようと思っていたルシルだが、少し魔力の多い女性として周囲に受け入れられている今では、その勇気がしぼんでいる。
特にフェリクスには一番知られたくなかった。
今更神族だと打ち明けて、完全に拒絶されるのを想像しただけで、本当に心臓を直接握りしめられるような痛みがあるのだ。
実は最初は深刻な病気かと思ったほどだった。
ただ何かを想像しただけで、実際にここまで胸が痛む事など、これまでには一度も経験したことがない。
でもルシルは心のどこかで、この痛みの正体は決して深く探ってはいけないと感じていた。
「ふん、お前は神力が多すぎるし、この城にはびこる人族にとっては異質すぎるぷ。そもそもここの者たちは、お前をエルフだと思っているんじゃないかぷ?」
「エルフ?」
エルフ族は、テロイアにも少数存在し、単一種族国家を形成して特定自然保護地域で暮らしている。めったに他種族と交流しない偏屈な存在だ。テロイアでもほぼ面識は無かったし、ロトではまだ見たことがない。
「ここいらには少ないが、もっと南の方では街中でもよく見かけるぷ。人族よりも長寿で、魔力が多く、長身で細長く、見目も割と神族に近い」
「へえ。エルフは排他的と聞いていたけど、ロトではそうでもないのね」
「他種族に協力的かどうかは知らん。ただ、魔法に長けた存在として周知されているぷ」
「なるほど、おとぎ話に出てくる神族よりは、現実に存在するエルフの方が想像しやすいわよね。それはいい事を聞いたかも」
「それなら、ほれ。我に名前をつけるのを許すぷー」
ワクワクと、オッドアイを輝かせて見上げてくるケットシーに、ほんの少しほだされたルシルは、くしゃくしゃと白い毛皮をかき混ぜて、その名を口にした。
「分かった。じゃあ、あなたの名前は、カリン」
古代語で幸運。そう口にした瞬間、カリンとルシルの間に白い光がすっと通って、消えた。
何かしらの契約が成された感覚はあったが、考えても面倒なので、細かい事は気にしない。
にんまりと嬉しそうに手の先を舐めているカリンも、詳しい説明をする気はないようだ。
「カリン。私はこの大陸の生まれではないから、魔力をあげる代わりに色々教えてね」
エルフの件と言い、少なくともルシルの付け焼刃の常識よりは、役立ちそうだ。
「ふうん。確かに、最近このあたりでは、あの山にいる分からずやくらいしか神族を見たことがないぷ」
カリンの軽い言葉に、ルシルの心臓が大きく鳴る。
この大陸にいる、自分以外の神族。
隔絶の山脈から、あの魔力槍を放った同族。
「それって北の山に住んでいる神族の事ね。カリンは、今まではその神族から魔力を分けて貰っていたの?」
神族の魔力を神力と呼んで摂取したがる精霊ならば、そういう事もあるのだろうか。
ルシルはゴクリとつばを飲み込んで、カリンの答えを待った。




