第三十二話 大公の過去
合流したゼーラと共にタルジュール城に戻ったルシルは、苦い表情のフェリクスとジルベールの前にいた。
早速騎士団の詰め所で罪人の聴取が行われ、最初の報告が上がってきたところだった。
「つまり、皇太后の嫌がらせか」
「嫌がらせ程度だったのか、本気で大公妃を殺そうとしていたのかはわかりませんが……」
「どうせ、こちらが無駄に力をつけるのを嫌がったのだろう。もう皇位争いなどありえないほどにお互い遠ざかっているというのに、難儀な事だ」
「…………」
吐き捨てるように言うフェリクスに、気遣うような表情で、黙り込むジルベール。
事情のわからないルシルも空気の重さに押し黙り、気まずい沈黙が執務室に流れる。
「あの」
思い切って声を出すと、はっとしたように二人が顔を上げた。
「すまない、君には嫌な思いをさせたな」
結局刺客は帝国中央、それも皇太后の手の者だと発覚したが、目的などはまだ明確になっていなかった。
大公妃となったルシルに危害を加えようとしていたのは明らかなので、今後の追撃もあり得る。あの程度なら、何度来ても変わらないが。
「いえ、特に被害もありませんし。それよりも、隔絶の森の中であるものを見つけたんです」
ルシルは大切にハンカチに包んで持ってきたものを、卓上にそっと置いた。
二人の視線がそれに集まり、すぐにルシルに戻る。
「これは?」
上質な布に包まれているのは、複雑な魔方陣のようなものが描かれた円形のタイル。
子供の手のひらほどの大きさで、茶色と緑に染色され、森の中では発見されにくい工夫が見える。通常、魔方陣は青く光っているはずだが、今はルシルによって回路が切断され、灰色に沈黙している。
「転移魔法を使用する際の座標アンカーのようなものです」
「転移魔法の座標アンカー?」
なじみのない言葉に同じ角度で首を傾げる二人。ルシルは苦笑して頷いた。
「はい。魔法士が転移魔法を使う際に、移動する先の座標を明確にする手助けをする魔道具といった方が解りやすいでしょうか」
ルシルの説明が徐々に浸透し、二人は愕然とした表情になった。
「つまり隔絶の森に間諜を送り込むため、これが先に仕込まれていた、という事なのか」
「恐らく」
「ルシル、これは何度も再利用できるものなのか?それとも今回あの魔法士を送り込むために、初めて使われたものなのだろうか」
「あの場所でこれを見つけた時の様子から、ごく最近に置かれたものではなく、設置されてしばらくたったものと感じました。既に何度も使用されているでしょう」
ルシルは地中に半ば埋もれるようにして設置されていた座標アンカーの様子を思い出して首を振った。
広大な隔絶の森に間諜を忍ばせていたのなら、大公国側もなかなかその存在に気がつけなくても当然だ。
それにそもそも、正直ルシルにとって一番大切なのは、そこではない。
「フェリクス様。このアンカーはこちらの大陸で製造されたものではありません」
ルシルは、布の上でタイルの一部を指さし、そこにある特殊なマークを二人に見せた。
「これはテロイアにある魔道具メーカーの商標です」
しばし無言の時間が流れたが、その場にじわじわと言葉の意味が浸透していく。
表情が強張っていく二人にも、自分が感じた衝撃が十分伝わるのが分かった。
「帝国中央は、新大陸テロイアと、やはりなんらかの関係があるのかもしれません」
衝撃的な事実に、執務室には長い沈黙が落ちた。
ルシルもまた、この情報を整理しきれていなかった。
ただ偶然に、このアンカーを漂流物として手に入れ、それをロトの研究者が復元させた、ということも考えられる。
でもこの商品は、テロイアでもかなり高度な技術で作られており、比較的新しいものだ。これだけ魔工学系の技術が遅れているこの地で、果たしてここまで復元できるのか。
そう考えれば、何らかの形でテロイアと接点を持っていると考える方が現実的だ。
「この魔道具はテロイアでも貴重なもので、量産はされていません。個人が手に入れるとしたら、それなりの財力もツテも必要でしょう」
「そうか」
あの刺客の黒幕がこの大陸で最も強大な国、ラフロイグ帝国の最高権力者だとして。
もしも故郷の有力者が、もしくは連邦評議会そのものが帝国側と繋がりを持ち、商品として輸出したと言うなら、あり得ない話ではないのかもしれない。
「閣下、捉えた刺客からさらに情報を得る必要がありますね。嫌がらせ程度の話ではないかも知れません」
険しい表情のジルベールにフェリクスが頷いた。
「そうだな。ルシル、これはひとまず預からせてくれ」
アンカーを片手に慌てて出ていくジルベール。残されたフェリクスとルシルは長椅子で向き合ったまま、無言で冷めたお茶を飲んだ。
「……私と帝国中央との関係について、少しは聞いているか」
「そうですね、なんとなく。皇太后様から一方的に疎まれているとか」
「まあ、そんなところだ。母は私が幼いころからずっと、私を疎ましく思っている」
「実のお母君なのですよね……?」
その言葉に、ほんの少し、フェリクスの顔が曇った気がした。
「そうだと聞いている。出産時の証人もしきたり通り数名いるし、帝国では漆黒の黒髪はとても珍しい。歴代皇族に現れる色だという。紫の瞳もだ」
つまり身体的特徴でも、その血統が証明されているのね。
それでは、何か他に原因があったのだろうか。
「皇太后は西の旧大国の姫君で、先帝に輿入れしたとき、まだ16だったらしい。なかなか子供ができす、私を身ごもったのは20の時だ」
それは、政治的にも、本人的にも長い空白だっただろう。
「先帝はその間の四年で、何人かの側室に男児を産ませていたが、私が生まれて皇子だと分かるとすぐ、皇太子を明確に定めるためだけに、先に生まれていたその子たちを、文字通り一斉に処分した」
驚きに、息が詰まった。
自分の子を一斉に処分した?
「傘下には長子相続の伝統のある小国も多かったために、4年も後に産まれた私を正妃の子だからと立太子するのには恐らく多少の物議を醸したのだろう」
そんな理由で、そこまで残酷になれるのか。
「先帝にしてみれば、西国との和平条約の履行を乱暴にでも明確に内外に示したかったのだろう。西国から娶った正妃に皇太子を生ませて、必ず世継ぎに据えるという盟約を」
保険として先に生ませたというだけで、他の子達への親子の情はなかったのだろうか。
まだ幼く、いとけなく、レイモンドと同じような年頃だっただろう。
「皇太后はそれまでは側室たちとも懇意にしていたらしい。後宮で心細かったのだろう。側室の子供達の事も可愛がっていたそうだ。だが、そのことで全てが変わってしまった」
説明は聞かなくても分かる。
子供を処分された側室たちの恨みは、苛烈だっただろう。懇意にしていた皇后の御子のせいならば、なおさら。
「皇太后は産後すぐに心を病み、ほとんど意思のない人形の様に無気力になっていったらしい」
出産後にどうしようもなく無気力になる不幸な病もある。その頃の彼女は、自分の初めての子供への愛情を、果たしてほんの少しでも認識出来ていたのだろうか。
「その三年後に、今の皇帝が生まれた」
感情のない、無機質な声で、説明が続く。
「皇太后は、自分によく似た容姿で生まれた現皇帝をそれは可愛がり、健康を取り戻していったそうだ。そして次第に、血塗られた私がうとましくなった」
ルシルは、淡々と説明する無表情で無感情なフェリクスの様子に、胸が痛む。
家族の事を、一度も母や弟という呼称で呼ばないのも、そのせいなのか。
「皇太后曰く、私は血塗られており、呪われており、現皇帝の健やかな治世を破壊する厄災なのだそうだ。私という存在自体が、帝国への脅威であると信じている」
「そんなこと……」
「西の方では、占い師が重用されている。皇太后が祖国から連れてきた占い師が、後宮の惨劇を予知できなかった言い訳に、私が諸悪の根源だとかなんとか、酷い出鱈目を積年皇太后に吹き込んでいたらしい」
あまりの理不尽さに、青ざめて言葉を失うルシルに、大公は自嘲気味に笑った。
「あまり聞いていて気持ちのいい話ではないだろう。そういうわけで、私は8つの時に廃太子となり城を出され、この北の僻地に捨てられたのだ」
「でも、お父上は」
「先帝は無関心だった。そもそも長子相続自体くだらないと考えていたようだ。その頃すでに皇太后の神経衰弱でほとほと迷惑していたらしく、皇太子は正妃の子ならどれでも構わない、長男らしく自己主張しない御子なら捨て置けと命じたそうだ」
「そんな……」
壮絶な家族関係だった。
「その後は件の側室たちも国元で順次入れ替えられ、それぞれに姫や御子を再び設けたので、表面上は小国群も留飲を下げ、凄惨な事件はなかったことになり、後宮には仮初の平和が戻ったと聞いている」
平和?それを仮初にも平和と呼ぶ後宮の内側の人達の心情は、ルシルには想像もできない。
ルシルは改めて、王侯貴族が現存するこの大陸で大国の継承順位の明確化の為には、そこまで恐ろしい裏事情があるものなのかと身震いした。
それにこの人はその事件の裏で、実の父の無関心と実の母の拒絶を受け、8つで独り立ちしなければならなかった。
その頃、幼い心で何を思っていたのだろう。
それでも、こんなにも温かい人に育ったのだ。
自然と周囲に集まるのも、とても温かい者たちで。去年亡くなったという、乳母の方に、一目でもお会いしてみたかった。
ルシルは、追放された先で腐らずに、自分の居場所を堂々と勝ち取り、多くの寄る辺ない者たちを受け入れ、あげくの果てに得体のしれない迷い神族まで助けてしまうお人好しのフェリクスに、心からの賛辞を贈った。
「本当に、ご立派です」
フェリクスをしばし無言で見つめた後、そう一言言い添えたルシルを、
フェリクスは面白そうに笑った。
「この話で私にそんな感想を言うのは君ぐらいだろうな」
「いえ、その、大変痛ましい事ではございましたが、現在のフェリクス様と大公国を見るに」
「いや、そもそも同情が欲しいわけではないんだ。……ありがとう」
彼がその美しい顔に柔らかい微笑みを浮かべると、それまで固かった執務室の空気がふと緩んだように感じた。
その時、執務室のドアが勢いよくノックされた。
「閣下、至急のご報告がございます」
フェリクスの侍従の声だ。
入室を許すと、慌てた様子で盆にのせた一通の書状を手渡す。険しい表情で手紙を読みだしたフェリクスに遠慮して、ルシルはそっと席を立とうとしたが、気が付いた彼に止められる。
「すまないがこの手紙は、君にも関係がありそうだ」
フェリクスはため息とともに手紙から顔を上げた。




