第三十話 忍び寄る危険
案の定、ルシルが反撃に出たと見て慌てた男は、素早く回避行動を取り、ルシルから大きく距離を取った。
恐怖に染まった男の表情はこれが最後の機会だと本能的に悟っている。
ルシルはもう一度、軽く右足を踏み込んでみせる。
(かかった)
すると男は、間髪入れずに自身の残り魔力を最大限その剣に込めると、起死回生の全力の一太刀をルシルに向けて放った。
「きゃあああっ」
ルシルは自分に向かってくる魔法斬撃にタイミングを合わせると、わざとらしく大きな悲鳴を上げて、後ろ向きに軽く状態をのけぞらせ、つま先で地面を強めに蹴った。
敵の風魔法の余波に乗り、うまい事身体が宙に浮く。
そして背後にあった巨木の幹に勢いよく自分の背中を打ち付けた。
「妃殿下!!」
ルシルの悲鳴で気がついたオニキスが、こちらを見て絶望の叫び声をあげるのが植物の隙間から見える。
ルシルは少し顔を歪めて痛みに耐えるような演技をしつつ、まだ同じ場所で唖然と固まったままの刺客の顔を見下ろした。
これで、さっきの渾身の攻撃で私が吹っ飛んだ、と思うでしょうね。
ほ、ほんのちょっとの時間差はあったけど、誤差の範囲だ。オニキスもこの刺客も目撃している以上、こんなことで人外判定されては困る。
ルシルを茫然と見上げる男の目にも、ほんの少し光が宿った気がする。よし。
ただ巨木はメキメキという嫌な音を立てながら、根をさらしてのけぞるように倒れていく。
少し背面の防御膜を厚くして重さも増したので、思いのほか大き目の衝撃になったようだ。
(あれ……なんかこれも逆にまずい気がする)
魔法で吹っ飛ばされる人族、の演技はルシルには難しすぎた。どの程度の衝撃で、どの程度の被害になるのか、いまいち想像できないのだ。
少なくともこの巨木が哀れに倒れる程の衝撃なら、人族の女性は生存できないのかも?
またも自分の考えの甘さに、遠い目になりつつ、ズゴゴゴゴという大きな振動を感じながら、巨木が周囲の木々をなぎ倒すのに身を任せるしかないルシルなのだった。
「妃殿下あああ!!」
オニキスの猛烈な怒号が森中に響き渡る。
敵の後方から駆けつけ、振り向いて切りかかった相手と激しく剣を切り結ぶ様子が目の端に映った。
(オニキス、なんかごめん)
ルシルは巨木とともになすすべもなく倒れていきながらも、小指の先から魔力を細く流し、刺客の足首辺りを緩く拘束して、その動きを封じた。すでにルシルと戦った後なので、その魔力もうまく使えないはずだ。
急に動きの鈍った刺客を、オニキスが一刀に伏して倒し、素早く意識を刈り取ると、こちらへ駆け寄ってくる。
「ご無事ですか!」
「ゲホッ、あの、オニキス、私は大丈夫。とっさに魔力で身体強化したから」
慌てて少し弱った雰囲気を出しながら、助け起こしてもらう。
「申し訳ありません!剣撃は避けましたが、魔法攻撃は避けきれず、一瞬、意識を失ってしまって」
悔しそうに顔を歪めるオニキス。
「私も見つけたものに夢中になりすぎて気配に気がつけなかったの、ごめんなさい」
「いえ、単に自分の修行不足です」
気配を消されての背後からの攻撃を避けただけでも立派だし、圧縮された風魔法をまともに身体に受けたのなら、あの短時間で復帰出来ただけでも驚きなのだが。
「こんな場所で魔物や獣ではなく人に襲撃されるとは普通は予想してないもの」
「……」
青い顔で言葉を飲み込むオニキス。帝国中央の動きを憂慮して注意は受けていたのだ。それでも、この隔絶の森の中で襲撃に合うとは流石に予測していなかった。
「私もだいぶ油断してたわ(違う意味でも)、とにかくお互い大きな怪我がなくて良かった」
ルシルは負傷の程度と巨木のありさまとにはそんなに突っ込まれなかった事に安堵しつつ、神妙な顔で動揺するオニキスに頷いた。
「帝国の手の者だとしたら、どうやって大公国内に、ましてや隔絶の森に入ったのかが問題ね」
二人とも気絶している男の方を凝視する。
「それは……今の時点で自分には何とも。とにかく、城に戻ってこの事を報告しませんと」
オニキスは、帝国中央の関与には懐疑的な様子だったが、無理もない。この地は地理的にも心理的にも、中央からはひどく遠い。
そしてこの隔絶の森は完全に騎士団の管理下にあるので、狩猟や採集が許されているごく浅い場所を除いて、自国民でさえ許可なく容易に奥までは入れない。
ただ広大な面積を有する森を、四六時中全て監視しているわけではないのも事実。
しかし内心でルシルは、先ほど森で見つけた信じられない異物と、直後の襲撃には明らかに繋がりがあると、ほぼ確信していた。
帝国中央の者たちは、自分に興味を持っている。
もしくは、この場所に興味を持っている。
ルシルは背後にある山脈の一つに意識を向けた。
ドラゴン戦の時、その存在を感知した謎の神族のいるはずのあたりだ。
この場所には、私の他にも、興味を持たれてもおかしくない存在がいる。
あの後、向こうからの接触は驚くほどない。
そしてルシルも、それについて考えるのは後回しにしていた。強力な魔法を行使した後の残滓で明確に感知できていた存在も、今ではおぼろげだ。
罪人、という言葉や、不穏なおとぎ話、そして現在に至るまでの不気味な沈黙。
どちらにせよ嫌な予感を感じる。
ルシルには、その存在と対峙する勇気が、まだ持てないでいた。
「移動しましょう。砦にいるゼーラやマルクス達にも知らせを」
意識のない刺客を荷物のように担ぎ上げたオニキスを従えて、ルシルがこの場を後にしようとした時だった。
突然目の前の森から白い小さな固まりが飛び出してきて、ルシルのおでこにピタリと貼り付いた。
(もう、今日はなんなの!)
ルシルの探知にひっかからない者がこれほどいるなら、やはり隔絶の森は危険地帯と言えるだろう。
そのどれもがルシルにとって命を脅かす程のものではないが、どうにもうんざりした気分になる。
おでこに引っ付いたその小さな毛玉を無理やり剥がすと、ルシルはそれが何かも見ずに藪に放り投げた。
気のせいか、何か抗議するような悲鳴が聞こえる。
「オニキス、あれ何かわかる?」
「あれ?と申しますと?」
「さっきのあの、白い……」
ルシルは自分のおでこを指さして、先ほどの毛玉の説明をしてみたが、オニキスはさっぱり分からないと言う顔をしていた。
(まさか、他の人には見えていないの?)
再び飛んできて今度は少し痛いくらいに首元に縋りつき出した同じ毛玉を、強めに掴んでまた同じ藪に放り投げる。
(あのわざとらしい抗議の悲鳴も聞こえていない?)
目の前で繰り返されるこの謎の攻防を、オニキスは一切感知していないようで、ルシルは途端に不安になる。
(え、待って待って。これ私にしか見えない何か、とかまた妙な事が起きていないわよね?)
ルシルは嫌な予感を益々募らせて、投げても捨てても舞い戻ってくる毛玉を、意地になってなるべく遠くに投げ捨てながら、オニキスを急かした。
もう、不思議なロトの森の生物も、怪しい刺客もお腹いっぱいだ。
「ゼーラ達と合流して一刻も早く帰るわよ、タルジュールに」




