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第二十八話 婚儀にて sideフェリクス

 フェリクス・トーリは成婚の儀の朝、迎えに行った城の一室で、自分の花嫁の規格外の美しさにしばらく言葉を失った。


 本人は自分の見目にあまり自覚がないのか、フェリクスの容姿についてばかりを、目が合った瞬間から口をはさむ隙もないほどに滔々と語っては誉めそやしている。


(彼女は美しすぎる)


 彼女の出自について、これまで深く考えてみたこともなかったが、新大陸とやらには、このように美しく洗練された人々が多く住んでいるのだろうか。


 平民だというには明らかに異質な彼女の美しさは、こうして飾り立てられればさらに、圧倒的に周囲の人間を魅了してしまう。そのことを考えると、なぜか焦燥感にかられる。


 自分は、美しいのなんだのと褒められることはあっても、他人から見れば、しょせん北の国のしがない番人でしかない。帝国中央の貴族たちには、もっと洗練された容姿で、女性の扱いに長けた、それこそ彼女の美しさに似合いの者がいるのかもしれない。ましてや、新大陸にはそれよりももっと。


 そこまで考えて、フェリクスは心の中で自嘲気味に笑った。


 彼女が故郷に帰る術を探して、自分を頼っているだけなのは解っている。


 成り行きで契約婚などということになったが、今の二人の関係は、吹雪の氷山の中の儚い灯のようなもの。帰る手掛かりさえ見つかればすぐにでも、彼女はこの手をすり抜けていってしまうだろう。


 短い期間だが、毎日一緒に食事をし、語らい、戦場で共に戦った。レイモンドと三人で、驚くほど穏やかな時間も過ごした。その間一度も、彼女に拒絶の気持ちが湧かなかった。


 幼いころに母に拒絶されて以来、若い女性とみるとおぞ気が走るほど近寄りたくなかった自分が、不思議と彼女の傍ではくつろいでいられる。


 そんな気持ちを、なんとかそのまま彼女に伝えられたら。


 今にもどこかに消えていなくなってしまいそうなこの人に、今すぐ素直な気持ちを伝えたら、彼女はなんと答えるだろうか。


 彼女がこちらを見て微笑むたびに、そんな小さな希望が胸を占めるが、直後に当然、彼女の困惑顔が目に浮かぶ。


 彼女は故郷に帰りたいのだ。


 故郷に待ち人がいるのかもしれない。


 俺は、それまで、彼女を保護し、支えて、協力する。


 成婚の儀の前、緊張に震える彼女の腕に優しく手を重ねながら、フェリクスは胸の痛みをやりすごした。


 女神には、このやるせない想いを正直に打ち明けよう。そしてこの先の、それぞれの幸運を祈る。


 儀式では予想通り、彼女の美しさに注目が集まった。


 しかし例え名目上だとしても彼女はいまや俺の妻なのだ。招待客達の無遠慮な視線に不快感がつのる。


(どいつもこいつも、その眼を氷柱で貫かれたいのか)


 今日の彼女は確かに言葉にならないほど美しいのだが、横で招待客に微笑みかけるのを見ていると、なぜこんなにも斬新な衣装なのかと今更ながら部下を問い詰めたくなってくる。


 パレードでは、彼女はとても恥ずかしそうにしていたが、城下の民たちがとても喜んでいるのを見ていると、なぜか誇らしく、少しだけ心が浮き立つような気分になった。


 城に戻ったあと、喜ぶ民の歓声を受けながら、彼女がこの偽りの結婚を申し訳ないと感じている事を察して、さっきまで浮き立っていた気分は急激にしぼんだ。


 そうだ、これはつかの間の夢。

 

 勘違いするな。

 彼女の本当の居場所はここではない。


 北の国に短く訪れる春の季節のような人なのだ。

 今この時を温かく共に過ごし、時期が過ぎたら潔く見送ろう。それが今の俺に出来る最善なのだから。


 挨拶を交わして離れようとすると、豪華で大胆なドレスに身を包んでいるにも関わらず、成人前の少女の様な反応をする彼女に、ほんの少し不安を覚える。


 晩餐会での彼女には、誰も直接の挨拶はさせない様に厳命しなくては。


 この清廉な女性には、誰であっても勝手に触れる事があってはならない。


 それなのに。


 あの腐れ豚野郎め。


 フェリクスは日常で心を騒がすような物事が嫌いだ。


 よってこんなにも怒りを感じたことは近年殆どなかった。


 自分の中にこのような激しい感情があったのかと、半分どこか冷静に驚きながらも、自分の留守中、ぶしつけに新婦の控室に押し入った帝国大使に憎しみが抑えきれなかった。


 恐らく感情に付随して魔力も相当漏れ出ていたように思う。一緒についてきた騎士たちも、慌てて自分の周囲から飛びのくのを感じた。


 一度燃え上がった怒りの感情は、ルシルの困った様な微笑みがなければ、なかなか収まらなかっただろう。自分自身でも、慣れない強い感情に戸惑いを感じた。


(側に居て彼女に触れていると、徐々に心が静まっていく)


 彼女は、護衛の失態まで多めにみろという。騎士団員たちがやたらと彼女を慕うわけだ。


 騎士の報告で、接触は短時間でそれほどの被害はないと聞いたが、あの男は危険だ。皇太后の息のかかった大使であることは以前から周知の事実。


 わざわざ彼女一人の時を狙って、警戒されるのを承知で近づいたとなると、何か目的があったに違いない。彼女の手に触れる事が目的だったのか、それとも言葉を交わすことか。考えるだけで、心の底がグラグラと煮え立つ様な感覚がする。


 そのどちらも与えられず、あの時はすごすごと引き下がったかに見えたが、その後の正式な挨拶でも、彼女の美しさと豊富な魔力を褒めたたえ、会場全体に幻影魔法で雪の花を振らせてほしいなどと頼んできた。これも明らかに怪しい申し出だった。


 普段は用心深く、決してこちらに弱みを握らせない狡猾な男だと思っていたが、今回は至極子供じみた計画で、ルシルに対しての異様な執着や焦りを感じる。


 どちらにせよ、あの汚い姿を、ルシルの目には二度と見せたくない。


 多少無礼だとかなんとか中央から抗議がくるとしても、奴の挙動は厳しく見張らせ、早晩お帰り願うとしよう。大使館は近隣にあるのだから、城への滞在を許可する必要もない。


 晩餐会を早々に切り上げて二人で会場を出ると、なぜかほっとする自分に気が付いた。


 ルシルが横にいても、今ではほとんど気にならない。むしろ一人でいるより落ち着くような気がする。


 一方で彼女の方はしつこい帝国大使の魂胆が分からず、だいぶ気になっているようだった。


 遠い異国に突然放り出されてしまったこの人を、俺が何としても守らなければならない。

 彼女がどんなに強くても、この場所では何も知らない赤子も同然なのだ。

 決してあの醜い者どもに、清廉な彼女を奪われてなるものか。


 フェリクスは夜空の様なドレスで女神の様に着飾っても、いつも通りにしっかりと食べ、いつも通りに姿勢良く、颯爽と隣を歩くルシルを見ながら、決意を新たにした。


 あの大使はどうせ皇太后派の者から良からぬ指示を受けているのだと思うが、彼女や彼女の評判を傷つけよというような企みなら、どんな事をしても阻止するのみ。


 たとえ二度と会いたくないあの人に、会わなければならないとしても。


 レイモンドの部屋に行ってみると、乳母を筆頭に護衛騎士や使用人達が新婚初夜に向けて当の本人より浮足立っている事が感じられた。


 どいつもこいつも、あの期待の込もった顔が気に入らない。彼らには当然分からないだろうが、こちらにしてみればは殆ど拷問の様な夜になるだろう。


 憂鬱な気分で各所の報告を聞いたのち、問題なく初夜を過ごしたという演技の為に夫婦の寝室を訪れると、ルシルはやはり、目のやり場に困る格好で一人、くつろいでいた。


 これ見よがしに飾り立てられた、薄暗い主寝室。窓から差し込む月明かりで、彼女の美しい曲線が誘う様に艶やかさを増している。先程の豪華な装いから一転して薄い夜着一枚になった彼女は、儚げで頼りなげな様子でこちらを振り向き、少し照れた様に微笑んだ。


(ああ、ジルは一体俺にどうしろというのだ)


 部下の思惑に歯噛みして一層無表情になりながら近づくと、サラサラと華奢な肩にこぼれ落ちる銀髪からはほのかな芳香が立ち上り、フェリクスの思考が一瞬、痺れた様に動かなくなる。


 本人から、それとなく新旧の大陸間では生活文化に少々隔たりがあることは聞いていたが、服装や男女の交際についても、その認識が大きく違うという。


(落ち着け。彼女はこの状況でも、何とも思っていないはずだ)


 以前話をした彼女は初夜のていで夜を一緒に過ごすことにも抵抗がない様子だったので、なんだかこちらだけがこれほど浮足立つのも体裁が悪い気がした。


 (そうだ、ここは執務室だと思えばよいのだ)


 フェリクスはぐっと腹に力を入れると、お互いの服装や状況は無視して、いつも通りに振る舞う事に、ことさら神経を使った。そうすれば、案外落ち着いた声が出せる。


 そうやって精神統一しながら事務的な話を持ち出してひたすら酒を飲んでいたが、結局、思わぬ話題でルシルのペースに乱されてしまう。愛称で呼び合おうなどという気恥しい会話にいたたまれなくなり、すぐに自室に退散する事になってしまった。


 その後朝食の件を言い忘れたフェリクスは、すぐに寝室に戻って驚くことになる。


 なぜか、ルシルがベッドの上で一人、花弁にまみれて暴れていたのだから。


 花弁とシーツの波に埋もれながら、楽しそうにくすくすと笑い転げている。


 その姿はまるで珍しいものにはしゃぐ幼い子供のように微笑ましく、また人を惑わす妖精のように妖艶でもあり、フェリクスの心は自然と高鳴った。


 このままそっと見ていたい様な気持ちになったが、暴れているせいでしどけない彼女の恰好に気付いて慌てて自室に戻り、天を仰いだのは言うまでもない。


 強い蒸留酒のせいでもなく、全身が赤くなっている事を自覚する。


 (一体なんなのだ!女性と言うのは、基本皆ああいうものなのか?それとも彼女が特別なのか……。こちらの思いもよらない事ばかり言ってくるし、やってくる)


 眉間にシワを寄せて軽く頭を振ると、サイドチェストに歩み寄って年代物の蒸留酒を引っ張り出した。


 琥珀色の液体をグラスに勢いよく注いで、乱暴に煽った。喉を焼く酒の心地良い刺激が、混乱する気持ちをやっと落ち着けてくれる。


 朝と何ひとつ変わらない殺風景な自分の部屋と、いつもと寸分変わらない重厚な酒の味。この平穏な日常こそが今の自分が心の底から求めているもののはずだ。


 ようやく息をついて、そのまま天井を仰ぐと、先ほどの彼女の可愛らしい様子が再びチラついた。


 (やっぱり結局、拷問じゃないか……)


 悩ましい溜息とともに、フェリクスの新婚初夜は更けていった。


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