第二十六話 晩餐会
晩餐会の会場は、大きなホールと謁見場の二つに区切られており、大公夫妻が座る壇上席と、出席者たちが囲む円形のテーブルはかなり離れて配置されていた。
食事の前に二人に挨拶するための長蛇の列が出来ていて、一番奥には各国からの贈り物が所狭しと並べられている。要人たちが挨拶をするたびに、奥の贈り物が中央に運び出され、かけてある布を取り払って披露されるという順番で、その繰り返しだった。
ルシルは順序正しく行われるこの作業に、辟易もしたが、少し安堵していた。本当に、余計な事は話さずとも、しきたり通りに会は進んでいくからだ。
要人たちの顔や名前は全く憶えられていないが、まあ自分は本物の貴族でもないのでそんなものだろう。ただここを乗り切れば、という一心で、引きつりそうな口角を上げ続ける。
「あとはしばらく適当に食事に付き合って、頃合いをみて退出しよう」
長い挨拶の列が終わり、フェリクスの簡単な演説の後で、楽隊の音楽が滑らかに流れ出し、静かに給仕が始まると、ルシルの横でうんざりした声が聞こえる。
「ようやくか」
「何事もなくすんでよかったです」
「何事もなくはなかったがな」
ちらっと会場の一角に目をやって、フェリクスは苦い顔をした。視線の先では帝国大使のオイゲンが、にこやかに近隣国の王族と会話している。
「彼は、君に大掛かりな魔法をどうしても使わせたい様子だった」
「そうですね、一体何がしたかったのかよくわかりませんが」
ルシルは、先ほどの挨拶の時、オイゲンがしきりにルシルに魔法を見せてほしいとねだってきたことを、薄気味悪く思い出した。
もちろん、披露してほしいと頼んできたのは、攻撃魔法などではなく、祝いの席にふさわしいような、煌びやかで女神の加護を願う類の幻影魔法に過ぎなかったが、この会場全体に拡がるものとなれば、そこそこの魔力を使う。
フェリクスの氷のような拒絶によって、即刻その願いは却下されたのだが。
挨拶の持ち時間を超過していると進行係のジルベールからやんわりと注意されるまで、なぜかしつこく、なんやかやと理由を付けて懇願してきていた。
「君がドラゴン討伐の立役者であることは、できるだけ伏せてきたが、やはり少しは広まっているようだからな。どのくらいの実力か、中央の奴らから確かめて来いとでも言われたのか」
「だとしたら、あのような大規模幻影魔法ひとつで何がわかるのでしょう」
「控室で接触しようとした事が発覚して、焦ったのだろう。少なくとも、あのような申し出程度なら、不敬とまでは咎められん。装飾品に紛れて君の魔力量を計る計測器でも持ち込んでいるのやもしれんな、報告を待とう」
「なんだか気味が悪いです」
挨拶の時のオイゲンの粘着くような視線を思い出してルシルは思わず自分の肌を擦った。
「すまない。奴には一層厳しい監視と検閲を言い付けてある。今後は安心していい」
「はい、ありがとうございます」
ルシルはなんとか上品に見えるように、しかし急いで豪華な食事を詰め込んでいる。花嫁らしくないのは薄々承知しているが、折角の贅沢な食事がもったいないので仕方ない。そして時折、聴力を強化して、会場中の噂話を密かに聴いていた。
しかし、オイゲンも今は、当たり障りのない社交辞令で会話しており、周囲の招待客もまた、今日の主役の美しさばかりほめそやしていて、有用な証言は拾えなかった。
得体のしれないルシルの出自を気にしている者はかなり少なく、むしろ、なぜかその見目を褒めたたえる言葉と軟化した様子の大公への驚きばかりが聴こえてきて、大層居心地が悪くなり、すぐに魔法を解除した。
「それでは、そろそろ我々はひきあげるとしよう」
大量の食事に満足して一息ついた様子のルシルを見やって、表情を和らげると、フェリクスは軽く合図をして立ち上がり、静まり返った会場に向けて言葉少なく謝辞を示した。
「今日は遠方まで大儀であった。皆、宴をこころゆくまで楽しんでくれ」
相変わらず無表情での短い挨拶ではあるが、会場中が一斉に立ち上がって礼をとる。右手を胸に当てて頭を下げる大勢の人々の中、踵を返すフェリクスに続こうとしたルシルは、壇上でふと視線を感じて振り返った。
帝国大使のオイゲンだ。
軽く伏せた頭の下から、激しく目をぎらつかせてルシルを盗み見ていた。
その熱に浮かされたような渇望の視線に、ルシルは嫌な予感を感じずにはいられなかった。
退場時にも再び音楽が奏でられ、拍手で見送られる。二人の後ろで大扉が閉められ、熱気と光にあふれた会場が見えなくなると、廊下は対照的に静まり返っていた。急に別世界に迷い込んだようだ。
大勢の人の気配と、華やかな音楽が急に聞こえなくなって、ルシルの耳がツンとする。いつもよりは廊下も明るく照らされてはいるが、会場の煌びやかさは別格で、急な明度の違いに軽いめまいがした。
毛足の長い絨毯を踏みしめながら、二人は無言のまま並んで歩きだした。
常に二人に付き従う護衛騎士と侍従、使用人の女性が数人、少し距離を置いて続いている。
「レイモンドの様子を見に行くか」
大公の合図で侍従の一人が小走りに先を行った。
「フェリクス様、あの帝国大使、まだあきらめていないようでした」
「分かっている。奴の今日までの動きを詳しく調べさせているがなかなか目的がつかめんのだ」
「こちらには転移を使う魔法士はどの程度いるのですか」
「転移や探知という高等魔法は使い手が非常に少ない。帝国中央でも、皇宮にいる宮廷魔法士に一人か二人程度だとか。その運用もだいぶ制限があると聞いた」
運用に制限があるというのは、移動距離が短いか、決まった場所への移動しかできないのだろう。テロイアでも転移魔法の個人の使い手は少なく、その殆どが神族と龍族に偏っている。さらに魔力量によってそれらに制限もある。ただし、人そのものではなく物体のみの転送なら負荷は少ないはずだ。
中央の人物からの何かしらの指示があったのか、魔力量を測る特別な魔道具などがあるなら、それをどうやって手に入れたのか。そういう小細工ができないように帝国中央には急な日程で儀式を知らせたはずだ。
「やはり私の魔力測定狙いでしょうか」
「その可能性が一番だとは思うが、それにしてはやり方が性急でよくわからないな」
単に魔力量の豊富な人材を欲しがっているにしては、あの場でしつこく魔法を使わせようとする意図が不明で、どことなく嫌な感じがする。
ただ、目の前で大規模魔法を使わせると言う目的には気になる想像がひとつあるのだが、ルシル自身、確信が持てないでいる。テロイア出身の者からの入れ知恵でもなければ、思いつかない話だからだ。ルシルは軽く防音魔法を張って、横を歩くフェリクスにさりげなく尋ねた。
「その、例えばですが、テロイアとの国交は、帝国中央の方でも明確にはないのですよね」
一瞬ぎょっとしたようにルシルを見て、フェリクスは思案気な顔になった。
「そうだな、そんな話は聞いたこともないが。君と言う存在がある以上、今現実中央の状況がどうなっているのかは、この北国にはわかりえない部分もあるかもしれない」
「それは、大陸間に接触があっても、公表はされていない可能性が?」
「今の皇帝は秘密主義だ。もしそんな事があれば、あちらからもたらされるかもしれない新技術や兵器を独占するため、傘下の国々どころか自国の貴族にさえ公表などしない可能性の方が高い」
「なるほど、それはそうかもしれないですね」
「それに最近帝国が併合した南の小国の王族が、そんな夢物語に執心していたとは聞いた覚えがある。もしもその研究結果を召し上げて、実際に大陸間での接触方法を開発していたら、もしかするとありえない話ではないかもしれん」
「……」
深刻な表情で話しながら歩いていた二人は、レイモンドの部屋の入口にたどりついていた。入室すると、壁際にデボラと使用人たちが控えている。
「デボラ、レイモンドの様子はどうでした?」
さらに奥の寝室へと歩きながら、控えていたデボラを呼び寄せるルシル。大公は部屋の入り口で立ち止まり、騎士から報告を受けているようだ。
「寝室に入られても、お二人がもしかしたら来るからと無理に起きておられましたが、朝からのお支度で疲れたせいか、先程ようやくお休みになりました」
デボラに抱かれて隊列を組んだ馬車に乗るのは、きっとレイモンドにとって辛い事だっただろう。それでも今日は大人しく我慢していたと聞いた。慣れない儀式に精一杯で、十分に配慮できなかったことが悔やまれる。
「そうなのね、可哀そうな事をしたわ。明日の朝は少し早めに様子を見に来ましょう」
「い、いえ、明日の朝はごゆっくりされてください、レイモンド様には今夜心配してお二人がいらしたことを私からよく伝えておきます」
後ろからやってきたフェリクスとルシルを、顔を赤らめて交互に見るデボラ。心なしか、フェリクスの顔が不機嫌そうに歪んでいる。
「そう…?それではいつもの時間に来るわ。よろしくね」
「寝顔を見たら、君は先に部屋に戻るといい。私は一度執務室に寄って行く」
「?わかりました、それでは」
なぜだか、部屋の空気がぎこちない。
ルシルはよくわからないまま、不機嫌になったフェリクスを見送った。
穏やかなレイモンドの寝顔にほっとした後、ようやく部屋に戻って休めると踵を返したルシルに、後をついてきていた使用人たちが駆け寄り、満面の笑顔で宣言した。
「妃殿下!それでは最後のお支度です。まずは湯あみからもう一度始めます」
ルシルはぽかんとして彼女たちを見つめた。
え?お支度はもう今日は十分やり切ったでしょ?
「これからが新婚初夜です、一番重要なお支度ですよ!」
その言葉が染みわたるのに、しばらくかかった。
ああ、そうだ。私は今日、結婚したことになっているんだ。
興奮したような使用人たちの笑顔と、遠慮がちな護衛騎士たちの様子を唖然と眺めて、ルシルは再び絶望の表情を浮かべるのだった。




