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第二十三話 成婚の儀

 そんな穏やかな日々を過ごして数週間後。

 ついに、成婚の儀の朝がやってきた。


 参列者は、本国関係者以外は近隣国の王族や大使のみの列席で、小規模の儀式になるようだ。


 王族や皇族の婚儀としては異例の参列者の少なさであり、さらに帝国中央にはわざと儀式日時の告知を遅らせたらしい。


 知らせが急すぎるとの抗議文は来たが、結局準備も移動も間に合わないので、出席は諦めてくれたようだった。大公国の作戦勝ちだ。


 ルシルは真っ白い大きな扉の前で、フェリクスの腕に捕まりながら分かりやすく震えていた。震えないようにと力を入れても、震えを止められないのだ。


「心配はいらない。歩いて行って、女神像の前で頭を下げているうちに終わる」


 形の良い眉を顰めてルシルを心配そうに見るフェリクス。


 一国の王妃(仮)なんて安請け合いした自分が悪いのだが、ここに来て事態の重さに本格的に気がついて、ルシルは完全に逃げ腰になっていた。


「申し訳ありません。自分でもなぜかわからないけど、なんだかとても緊張してしまって」


 フェリクスはルシルの震える手に自分の手をそっと重ねて、安心させる様に一度強く握ってくれた。


「女神も我々の事情に慈悲をくれるはずだ」


 事前に図書室である程度調べておいた。こちらで主流の宗教は、いわゆる多神教で、婚姻に関しては豊穣の女神の管轄らしい。


 テロイアの国々でも、宗教は統一されていない。宗教と呼べるものは小さなものから大きいものまで、無数にある。それでも、昨今では無宗教の人口の方が多いくらいだ。


 ルシルも神を真剣に信じているわけではないが、こうして神聖そうな教会を前にして、契約婚を交わすと思うと、少しだけ良心が痛む。戒律の厳しい宗教でなくてよかった。


「そういえば一番大事なことを、今朝会った時に言えなかったのだが」


「大事な事ですか?え、今?」


 (ちょっと、この状況で大事な話はさすがに無理!)


「その、なんだ、つまり、今日の君は、今までのいつにもまして美しい」


「は?……え?」


 ルシルは予想外なタイミングでの誉め言葉に、唖然と横に立つフェリクスを見上げた。


 前を向いたままのフェリクスの耳が真っ赤になっているのが、白と金の礼服の中でひと際目立つ。


 (耳が赤……え?あ、でもそれ今なの?いや、そんなことより、それはこっちのセリフなんですけど!?)


 ルシルは不意を突かれて呆然と口を開けしめしただけだったが、全身全霊でこっちのセリフだと心の底がら叫びたかった。


 今朝がたから周囲を巻き込んで上へ下への大騒ぎと、皇族の婚礼準備という緊張感。


 しかしこの張りつめた状況の中でも、同じ空間にいるだけで、誰もが時々口を開けてぽやっと見惚れてしまうほどに美しい大公の姿。


 使用人たちも、騎士たちも、時々その状態になるので、いろいろ障りがあったほどだ。それでも、周囲全員が同じ思いなので、お互いさまでなんとか準備を終えたという状態。


 基本的に地味な装いの多かった人だから、きちんと飾り立てると、見違えるように漂う皇族感が半端ない。


 そして元々の美貌にキラキラと後光が差すかの様に拍車がかかってしまい、その驚異的な破壊力で周囲の人々を翻弄していたのだ。

 

 ただどこにいても常に無表情なので、まるで魔道広告用のモデルか、婚礼衣装のマネキンのようでもあった。


 赤い耳で前を睨むフェリクスと、一言も返せずに茫然とそれを見上げるルシルの前で、大扉がばっと開いた。


 ファンファーレの音と共に、楽団が奏でる音楽が予定通りに流れ出す。


 ルシルは、驚きに震えが止まった腕を優しくひかれて、よろよろと扉の向こうに向かって歩き出した。

 

 しかしただでさえ優雅な貴族令嬢ではないルシルが、まがりなりにも大公妃としてこの大舞台で醜態をさらすわけにはいかない。


 ーーーこうなったら不肖ルシル、麗しの大公様の契約妻、しっかり務めさせていただきます!


 一度ぎゅっと目をつぶって、気合を入れ直したルシルは、まっすぐに前を向くと、極上の微笑みを浮かべて背筋を伸ばした。


 会場内には、押さえきれないどよめきの波が広がる。


 これまで宴の席などでも騎士と同じような礼服しか纏わなかった大公が、さすがに今日は初めて皇族らしい華やかな礼装で現れた事に、人々はまず驚いたのだ。


 純白の生地に黄金の刺繍を施した礼服に、黄金のサッシュを肩にかけ、煌めく勲章の宝石が華やかに胸元を彩る。一目で逸品とわかる豪華な装いだ。


 国章の雪豹の刺繍が際立つ純白のマントをなびかせて、唖然と見守る招待客の間を、前だけを睨んで颯爽と歩くフェリクス。


 光沢のある白いマントは、北の地で討伐された珍しい大型獣の毛皮が潤沢に使われている。これまでに帝国中央の人々でさえも目にした事のない素材であることは明らかだった。


 この豪奢な衣装を無駄を嫌うフェリクスに承認してもらうのには、ジルベールと使用人たちの大変な努力があった。一番近い席で、二人の晴れ姿を見つめるジルベールも、感慨深い様子で少し涙ぐんでいる。


 フェリクスはそんな部下たちを一瞥し、軽くうなずくと、女神像の前に歩を進め、祭壇の前で跪いた。


 皇族特有の漆黒の髪色が、輝く純白の衣装に映え、人々に大公の出自を思い出させた。


 そしてこの堂々たる姿の新郎には、恐ろしいまでの美貌の女性が寄り添っている。


 これまでは噂だけ囁かれていたトーリ大公妃である。

 誰もが息をのみ、瞬きも忘れてこの女性に見入った。


 ルシルは人族の娘たちよりだいぶ背が高く、腰の位置も高いため、普段着でさえも既成のドレスではなかなかしっくりと合うものがなかった。よってこの日の為に婚礼衣装はその斬新なデザインから使われる布に至るまで、全て特別に用意されたものだった。


 限られた時間で、一番使用人たちを苦しめたのが、この花嫁衣裳だった。


 その苦労のかいあって、白地に金色の刺繍を施された艶やかなドレスは、ルシルの鍛え上げられた隙のない肢体にピッタリと沿い、裾は優雅な線を描いていた。


 全体の生地は北部特有の素材を使った、光を乱反射するすべらかな布が使われ、くびれた腰となだらかな曲線をとろりとした艶で強調している。また、ホルターネックの胸元は細やかなレース刺繍で覆われており、ほっそりとした長い首を際立たせる。


 複雑に結い上げた美しい銀髪には、透明な魔晶石をふんだんにあしらったティアラが置かれ、天窓から降り注ぐ朝日にキラキラとまばゆいばかりに輝いていた。


 後方に長く引くベールトレーンは先の方でまるく拡がるように緻密に設計されており、刺繍は腰辺りから裾へいくほど華やかだった。その長い長い裾は、ルシルが歩を進めるたびに黄金の波の様に煌めく。


 会場にいる数少ない女性客たちは、そのドレスの斬新さに全員くぎ付けになっていた。


 帝国中央の流行ではふんわりと広がるプリンセスラインが主流だったが、ルシルは自分の体形にはそれが似合わない事をさすがにわかっていたので、自分からマーメイドラインのものを希望しておいたのだ。


 こちらにそのようなデザインがあるのかは不明だったが、自作の絵を見せて頼み込んだ。似合わないお人形さんの様なドレスで、さすがに大勢の前に出たくなかったのと、裾が大きく膨らんだ服では、いざという時に動けないからだ。


 ちなみにルシルの希望で、マーメイドドレスには、内側に長めのスリットが入っている。これによってただ単に足さばきが格段に上がるのだが、このような大胆なデザインに縁のないロトの人々にはしてみれば、ただただ圧倒されるような斬新ぶりである。


「君の美しさに、誰も彼もが言葉を失っているようだ。それにそのドレスは少し刺激が強いと文句を言っておくべきだったかもな」


 女神像の御前を辞して再び大扉への道を戻る二人。少し苛立った声でフェリクスが小さく呟き、口を開けたままルシルに見入る男性参列者達を氷の様な視線で睥睨した。


 もちろん、スリットの下にも薄布をたっぷりと使っているので、さすがに脚が見えてしまうような煽情的なあしらいではないのだが、周囲をどきりとさせる効果は絶大だったのだ。


「皆様フェリクス様の立派なお姿に感じ入ってらっしゃるのかと。その、今日は、本当に特別に素敵なので」


 ルシルが二人だけに聞こえる程の小さい声で囁いた後照れたように顔を上げると、聞き取ろうと耳を近づけていたフェリクスと至近距離で見つめ合ってしまう。


 二人は腕を絡ませた状態で、勢い良く同時にあらぬ方向を向いた。その顔は同じくらいに赤くなっていた。


 厳粛な祈りの儀式が終わり、扉の前で振り向いた大公夫妻には惜しみの無い賛辞と祝福が沢山の花弁と共に投げかけられた。


『大公国に光あれ!』


『トーリ大公夫妻に祝福を!』

 

 口々に祝福の声を投げかける参列者に見送られながら、ルシルは最後に大公城で出会った人々一人一人と視線を交わした。


 今日までの準備をやりきった表情だった彼等の瞳には、今は純粋な祝福の気持ちだけが感じられて、ルシルはただ込み上げる感動と幸福感に飲み込まれた。


 例えこれがかりそめの結婚式だとしても、周囲の優しさに包まれたこの日の儀式は、ルシルにとって掛け替えのない瞬間として記憶に深く残るのだった。


 この日、帝国の規模で言えば比較的小さな教会で、簡易的に式を行った二人だったが、白地に金色のアクセントで合わせた対の婚礼衣装に身を包む二人の様子は、その圧倒的な美麗さで、物語の登場人物のように神々しく人々の目に映った。


 そして数少ない参列者たちが、この時の二人の美麗さを、押さえきれない興奮と共にこのあと周囲に競う様に語って聞かせることになり、出席者枠の異例な少なさとその特別感から、その噂が帝国中を駆け巡るほどとは、この時の二人には全く予想できなかった。


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