第二十二話 親子の休息
スタンピード鎮圧とドラゴン討伐の凱旋は華々しく行われた。
沿道を埋め尽くす公国民たちは、勇壮な大公と騎士団の様子と、そのあとに続く大きなドラゴンの遺骸に目を丸くして興奮した。
だがルシルは大公妃としてまだお披露目前という事もあり、この隊列には不参加だった。
ドラゴン討伐の立役者として功労の厚いルシルを伴わないことには反対意見もあったが、大公妃として国民に最初に認識されるのが、荒事の場と言うのは縁起がよくない、という意見が大半だったためだ。
ルシルの類を見ない魔力や戦闘能力を帝国中央には秘匿しておきたい狙いもある。
賑やかな凱旋パレードの裏で、ルシルは第三騎士団の一部と隔絶の森に残り、荒れ果てた戦場の後始末や、負傷者の看護や移送にあたった。
その姿が負傷兵や戦後処理の魔法士達の心を強く打ったのは言うまでもない。
「事情が許せば、君と並んで凱旋したかったがな」
落ち着きを取り戻しつつある大公城の執務室で、ルシルの向かいに座ったフェリクスがぽつりと言った。
「私が横で共に戦うようなお転婆でも、恥ずかしくはないのですか」
「恥ずかしい?はは、まさか。誇らしい、の間違いだな。むしろ、そんな女性だからこそ大公妃にふさわしい。北部は戦いと無縁ではいられない僻地だからな」
当たり前のようにルシルの言葉を笑いとばすフェリクスが、いつになく眩しく見えてルシルは思わず俯いた。
ある程度自制したとはいえ、自分の魔力をあそこまで開放してしまっても、フェリクスや騎士団員達の態度が以前と変わらなかった事には驚いた。
(女性でもバカ魔力でも、それを長所だと受け入れてくれる場所が、テロイアの連邦軍以外にもあったんだ)
ドラゴン戦に一人残って挑む為の説得材料としては仕方なかったが、故郷での自分の立ち位置を思い返すと、周囲が委縮し遠巻きにされる事は覚悟の上だったのに。
そっと視線を戻すと、こちらを見つめるフェリクスが驚くほど柔らかな表情をしているのに気がついて、ルシルの心臓は跳ね返った。
騎士団といる時の冷たい無表情が嘘のように、その紫の瞳は笑みを含んで少し細められている。
(こんな風にあの美しい瞳で見つめられると、まるで自分が彼の特別な存在になったみたいに勘違いしてしまう。ただ危険が去って安心して、今は気持ちが和んでいるだけなのよ)
不相応にドギマギしている自分を慌てて戒めて、ルシルはフェリクスの美貌から目を逸らした。
いつになく寛いでいる彼の、こちらが勘違いしてしまうほどの甘い空気感にとてもじゃないがこちらの心臓が持たない。
そんな二人の様子を、ルシルの膝の上でレイモンドが不思議そうに見ている。
首を精いっぱい伸ばして二人を見上げる小さな頭をそっと撫でて、ルシルは優しく語りかけた。
「レイ、今日はびゅうが出来たお祝いに、父上と母上と一緒に沢山遊ぼうね」
「うん、いいよ!レイね、レイがね、びゅういっぱいしてあげりゅね」
ルシルが自分に注意を向けたのが嬉しかったのか、レイモンドは興奮に顔を赤くして、ぷくぷくとした両手を頭の上まで勢い良く持ち上げる。
レイモンドなりのやる気満々のポーズなのだろう。
「それは楽しみだな」
そんな勇ましいレイモンドに、フェリクスが苦笑気味に応えている。
初めはぎこちなくレイモンドに対応していたフェリクスも、徐々に子供特有のペースに慣れてきたようだ。
レイモンドの魔力発現の瞬間を傍で見られなかったフェリクスは、今ではそれをほんの少し残念に思っているらしい事に、ルシルは微笑ましく気がついていた。
(誰もこの可愛らしさには抗えないわよね)
レイモンドは、持ち前の純真さであっという間にフェリクスの心を掴んでいた。
何も思惑などなく、ただただ純粋に自分を慕ってくるこの小さな生き物に、元々優しい人が絆されないでいられるはずがないのだ。
「ちーうえ、レイといっしょにやりゅ?」
「そうだな、一緒にやろう」
フェリクスに優しく頷かれたレイモンドは、嬉しかったのか、急に照れくさそうにルシルの胸に顔を擦り寄せて隠れてしまう。ルシルがその顔を覗き込もうとすると、一層顔を擦り寄せて隠れようとする。ふわふわの細い髪の毛が、ルシルの頬をくすぐった。
「ふふふ、今日のレイはほんとにご機嫌ね」
祖国にいた時、デボラ以外との接触が極端に少なかったレイモンドは、年齢にしては言葉の発達が遅かったのだが、大公国に来てからは発音も語彙も驚異的な速度で上達していた。
ルシルやフェリクスと言う近しい存在が増えた事で、格段に感情表現も豊かになり、その可愛らしいしぐさが、日々周囲の人々を魅了していく。
今では城のほとんどの使用人達が、公子付きを目指している程の人気ぶりだ。
スタンピードからの帰還時には、憔悴したデボラに抱かれて情緒不安定だったレイモンドも、緊張感に包まれていた城の雰囲気が穏やかになったおかげか、今ではすっかり落ち着いている。
魔力発現のためにほんの少し混ぜ合わせていたルシルの魔力から、以前の強張りがすっかり取れた、温かく柔らかい最近のレイモンドの感情が微かに伝わってくる。
全てが予測したように悪い方向に進まなかった事に、ルシルは心から安堵していた。
「はーうえもやりゅ?レイね、レイがねおしえてあげりゅね」
ルシルは真っ赤なほっぺで張り切っているレイモンドが可愛くて、思わず小さな身体をぎゅうと抱きしめてしまう。そんなルシルに、きゃあきゃあ笑って喜ぶレイモンド。
引き続き成婚の儀の準備に追われる周囲と、スタンピードの後処理に追われる幹部たちを横目に、フェリクス達だけはなぜかここしばらく、比較的のどかな日常を過ごしている。
ジルベールの意向で三人には、成婚の儀までにより家族らしい時間を持てるようにと配慮されているのだ。
魔力発現のお祝いも、スタンピード直後の状況を鑑みて親子三人のみの少し豪華な食事で簡易的に行われた。
逆にそれは、まるで本当の普通の親子のようで、ルシルにとっても大切な思い出として心に残っている。
レイモンドは終始ご機嫌で、日に日にフェリクスやルシルに甘える様な素振りを見せるようになり、大公城に子供らしい笑い声を響かせていた。
そしてこの時間を利用して、ルシルはフェリクスと共にレイモンドに魔力制御を教えることにした。
幼い子供は、魔力発現の後感情のままに魔力を暴発させたり、制御に失敗して大けがをしたりすることがあるので、細心の注意が必要な時期だ。
ルシルは万が一に備えて、自らの魔力でレイモンドに二重の防御膜を纏わせて、自分と周りを傷つける事がないように、密かに用心している。
それでも、分離不安以外で癇癪を起す様子のないレイモンドは、非常に大人しい子供だ。思い通りにいかない事があっても、少し不思議そうにしているだけで、腹を立てる様子もない。
「レイ、凄いね。もう3つも入ったね」
「レイしゅごいの、はーうえみた?レイしゅごいねー」
風を起こして小さな布製の輪投げを楽しそうにするレイモンドを見て、フェリクスが感心した様に唸った。
「レイモンドは魔力制御の素質があるな」
すでに親バカぶりを発揮している風のフェリクスに、ルシルはクスクス笑いながら熱心に同意した。
「そうですね、今は遊びだと思って楽しんでやっているだけですが、それでもかなりの上達ぶりです。さすがは皇家の血ですね」
その言葉に少し複雑そうな顔をするフェリクスを、ルシルは不思議に思った。皇家の血、は誇らしい事ではないのだろうか。
フェリクスとルシルはその後も、どのような遊びで制御を覚えさせるかさかんに意見を出し合った。時には手作りで様々な玩具を考案し、レイモンドに喜ばれたり、無視されたりして一喜一憂するのだった。
その熱心な様子は使用人達に微笑ましく受け入れられ、やがて彼等も巻き込んで魔力制御の練習玩具は大公城に大旋風を巻き起こしたが、成婚の儀の準備に追われるジルベールに見つかって、結局叱られたりもした。
こうしてフェリクスとルシルは、城のあちこちで仲睦まじい姿を目撃されつつ、ようやく成婚の儀の朝を迎えることになったのだった。




