第二十話 宴の夜
その夜は、ルシルと騎士団員たちの協力と試行錯誤の末にようやく切り出されたドラゴンの肉で、盛大にバーベキュー大会となった。
もともと砦の非常食と、わずかな酒、少量の討伐した魔物肉だけでの質素な宴を予定していたため、突然見たこともないほど豪華になった食卓に、団員たちの笑顔が溢れた。
ルシルはその様子を見渡して、危機が去った事を心の底から実感した。
「海岸線にはその後異常はないようです。やはり、スタンピードの後はしばらく、魔物の出現が少なくなるようですね」
フェリクスの傍で、ジルベールが難しい顔で手元の報告書から顔を上げた。
「そうか。ドラゴンのような大きな魔力体が発現した後だ。周辺には動物も魔物もしばらくは近づけないのだろうな。この辺りの土地の魔力量も、変化するかもしれない」
「今後の様々な変化は、これから観測していけば後世には貴重な情報になりそうです」
「ひとまず砦の警戒は続行するが、今晩だけはこまめな交代で騎士たちを休ませるといい」
大きなかがり火の傍に設えられた大公用の屋外テーブルには、なぜかルシルとフェリクスの席が婚礼席の様に他からは隔離されて横並びに準備されていた。
女性騎士達の気遣いだろうか、白いテーブルクロスがひかれ、小ぶりなキャンドルに、森で集めたらしき野花が可愛らしく生けられ、食事や酒がふんだんに置かれている。
ジルベールも、立ったまま簡単な報告を済ませると、フェリクスの隣に座っているルシルにも軽く挨拶して、マルクスやゼーラ、騎士団員が盛り上がる宴席の方に足早に去っていった。
騎士団にも中容量程度の魔法鞄などが配備されているので、こうした高貴な人専用の設えもある程度は許容されているようだった。
ルシルにはまるで、故郷で流行していた、『星空の下のアウトドアデート』のような雰囲気に見えて、なんだか少し緊張する。まあ、それより少しワイルドな感覚は否めないが。
そういったことに全く慣れていないルシルには、騒ぐ騎士団からだいぶ離れたところに二人きりでいること、卓上の揺れるキャンドルなどがやたらと気になってしまう。
「どうした、さすがに疲れがでてきたか」
緊張から少し強張ったルシルの顔を見て、フェリクスは見当違いの心配をしている。
「いえ、なんだかずいぶんここは静かですね」
「そうだな、騒がしいのが苦手な私に気を使ったのだろう」
キャンドルに煌めくグラスを掲げて紫の瞳を細めたフェリクスが、ルシルに微笑みかけた。
「君のたぐいまれな勇気に感謝する」
「フェリクス様と騎士団のご活躍を祝って」
カチンと合わされたグラスと、その向こうのフェリクスの美麗な微笑みに、まだ酔ってもいないのにすでにくらくらとしながら、ルシルは慌てて気持ちを引き締めた。
(デートみたいだなんて、不謹慎だわ。これは健全な慰労会なんだから)
バーベキューとはいえなぜか少しお洒落に盛り付けられている肉や野菜を、手際よくルシルの皿にも取り分けると、フェリクスはルシルの方をじっと見てまた嬉しそうに微笑んだ。
「君は北方の食事に慣れているのかと思っていたが、実は遠方から来たというのに、我が国の食事に全く抵抗がないのだな。祖国ではこのような食事が一般的だったのか?」
「いえ、その、私個人の嗜好で、どちらかというとシンプルな料理や味付けが好きなのです。あまり味の濃いものや、脂っこいものは苦手ですし」
「そうか。それは良かった。私も中央の料理はゴテゴテとして肌に合わず、胸がやける」
「もともと軍立学園に通っていたので、あまり華美なものにも興味はありません。どちらかというと機能的で、合理的なものが好きなのです」
最も、こちらに来てからは、使用人の女性に手ほどきを受けて、女性らしく着飾ることも少しだけ楽しくなってはきたのだが。
以前は着飾ってもそれが何になるのかわからなかった。ただ面倒なだけだった。
今は、周りに言われるままに着飾って会うたびに、フェリクスが目を丸くしたり、耳を赤く染めたりする様子を見るのがなんだか楽しく、たどたどしく褒めてくれると、とても嬉しい、という事に気が付いたせいだ。
「フェリクス様は、……驚かれましたよね。今日の私の行動で」
「行動と言うと、ドラゴンを率先して倒してくれたことか」
不思議そうな顔のフェリクスに、バツの悪い思いで、ルシルは打ち明けた。
「その、今まで魔力量をごまかしたり、か弱い貴族令嬢のふりをしていましたし」
「か、か弱い、ごほっ」
なぜかそこでワインにむせるフェリクス。ルシルは神妙な顔で頭を下げる。
「色々と嘘をついていて申し訳ありませんでした」
「いや、君にとっては見知らぬ土地でそうそう本性をさらすわけにもいかなかっただろう。そのことは全く問題ない。過ぎた事だ。気にしないでもらいたい」
フェリクスが噂に聞くように寛大な人柄で良かった。
普段は落ち着いていて理知的に見えるが、実際は武術にも優れていて、城の女性達にも常に紳士的だし、何よりこんなルシルに対してさえ、とても優しい。
非の打ち所がないとはこういう男性の事を言うのだろう。
もしもここがテロイアなら、フェリクスはきっと美しい女性達に常に囲まれていて、自分とはおよそ接点がない存在なのだろうと、ぼんやりと想像した。常に品格に溢れた彼と、ガサツな自分ではあまりにも住む世界が違いすぎる。
「私はこんな感じでバカ魔力ですし、おしとやかな貴族令嬢でもなく、祖国でも軍隊志望のはねっかえりなんです。契約とはいえとてもフェリクス様のご正妃様には不向きかと」
「いや実は普段の君の事は騎士たちや使用人達から少し報告を聞いていたのだ。それほど大人しい女性ではないことは、だいぶ前からすでに知っている」
大きく咳払いをして遠慮がちにルシルに打ち明けるフェリクス。ルシルは俯いていた顔を少し上げた。
ああ、私のしとやか令嬢ごっこは、すでに見破られていたのか。どうりで。
ルシルは、お茶会の時のぶりっ子ではなく、普段の自分の言動をある程度認知していたのなら、隔絶の森でのあれこれに、フェリクスがあまり動揺しなかったことが少しだけ腑に落ちた。
「それと私は、女性だから、こうであるべきと決めつけるのは無駄な事だと思う。それぞれがそれぞれの暮らす環境で、ありのままの自分でいられることが、何より大切な事だ」
「ありのままの自分でいられること、ですか」
「そうだ。魔力の多い女性がいてもいいし、荒事の苦手な男性がいてもいい」
ルシルはかがり火を見つめて優しい顔をするフェリクスを見ていた。
「我が国には、様々な事情で生まれ育った土地で暮らしにくくなった者が沢山いる。昔はどうであったにしても、彼らは彼らのままでいてこそ、今我が国の大きな力になってくれている」
フェリクスは、どうしてこんなにも、柔らかい気持ちで他人を受け入れられるんだろう。地位の高い人と言うのは、一様に自分の判断基準やものさしに固執するものなのに。
「フェリクス様は、とても公平で心が広い方ですよね。そういう所、私は凄く素敵だと思います」
かがり火の赤い光で、フェリクスの耳が赤く染まったことは、ルシルにはわからなかった。
フェリクスは大きく咳ばらいをすると、グラスに自らワインを継ぎ足して、ルシルにもすすめた。
「それで、その、君は」
「はい」
「結婚の話は、そのまま進めてもかまわないのだろうか」
「フェリクス様がこんな私でおいやでなければ、今の私にはありがたいことです」
フェリクスは、ワインをぐっと一気に煽った。
「その、契約とは言ったがそれは言葉のあやというかなんというか」
「あの、ただその、結婚自体はこちらからお願いしたい位なのですが」
小声で独り言を言っている様子のフェリクスに、失礼にならない程度にルシルが少し声を張る。
「テロイアに帰る方法も、同時に模索したいのです」
「え??」
「え?」
フェリクスは、虚を突かれたような顔で、ルシルを振り返った。
ルシルも、フェリクスが驚いていることを、少し意外に思う。
「いえ、大公国にこの先ずっとお世話になるわけにもいきませんし、なんとか少しでも早く、故郷との連絡方法を見つけないと」
「でも、君は結婚を承諾すると今……」
「もちろんです。今隔絶の森から離されて帝国中央に連れていかれたら、帰り方も調べられません。なので、ご正妃様のふりで大公国に匿ってもらえれば、大変ありがたいです」
ルシルはぽかんとこちらを見ているフェリクスの綺麗な眉が、ゆっくりと下がっていくのを、不思議な気持ちで見ていた。今の私の主張に、失礼な部分はあっただろうか。
「ただ、帰る方法を見つけるのに、どれだけ時間がかかるのかもわかりません。あまりに居候が長引くのも申し訳なくて。フェリクス様の本当の婚期も遅れてしまいますし」
「本当の婚期」
「ええ、本当の婚期」
どうも、フェリクスの様子がおかしい。ルシルは、あんなに落ち着いているフェリクスも、もしかしてこの程度の少量のお酒に酔う事があるのかと、訝しく思う。
いや、お酒に弱い為政者がいたっていい。
人はありのままで、周囲に受け入れられるのが大切なのだ。
フェリクスの言葉に、だいぶ影響を受けているらしい自分に、心の中で苦笑する。
「君は……帰りたいのだな。それはそうだ。当たり前の事だったな」
フェリクスは、何かをかみしめるような声音でそうつぶやくと、またかがり火に目を移した。ルシルもつられて目線をやる。赤々と燃える火が、二人を正面から照らしている。
「私は、なにもかも中途半端に、故郷を離れてしまいました。家族も周囲の人間も、おそらく私を探していると思います」
「そうか」
「はい。大陸間転移は、そう簡単に実現可能ではないはずなんです。なので、例えもう一度再現は不可能でも、せめて手紙や言葉を送るだけでも何か方法がないか、調べてみたくて」
実はルシルは、ロトに来てから自分の最大魔力量が少しづつだが増えている気がしていた。
理由はわからない。
毎日周囲への影響を抑える為に、魔力隠蔽の調節をしているが、どうもその調節具合が少しづつ変化しているのだ。
初めは気のせいだと思っていたが、今日ドラゴンと正面から対峙するとき、周囲に人目がなくなったあの瞬間、本当の最大量を放出してみて、違和感を覚えた。
明らかに以前より魔力量が増えている。
その事実は、ドラゴン戦で役立ったのみならず、ルシルの計画に希望を与えた。
テロイアでの襲撃時、初めての恐怖心からやみくもに膨大な魔力を注いで、前人未到の大陸間移動を実現させてしまったが、今のルシルなら、もしかしてもう少し、現実的にそれを制御できるのではないか。
そうなれば一度故郷に戻って学園の皆や父に会い、ロトでの経験を話して、自分の気持ちと身辺の整理をしたのちに、こちらに戻って大公城で雇って貰う、という選択肢もあるのではないだろうか。
魔法士でも騎士でも何でもいい、ここにいられれば。
フェリクスと、レイモンドと。大公城の優しい人たちのそばで。
ルシルは故郷ではなく、ロトでの生活の方に未練を感じている自分に内心呆れながらも、荒唐無稽だと言われても、どうしてもその可能性にかけてみたい衝動を抑えられなかった。
フェリクスの少し伏せた横顔は、燃えるかがり火の影になって、その表情はよく見えない。先ほどよりずっと低い声で、フェリクスが呟くように言った。
「君は隔絶の森の深い場所に、転移してきたと言っていたな」
ルシルは弾かれたように顔を上げて、一度背筋を伸ばすと、フェリクスに切り出す。
「はい。ですから、私が降り立った場所や、海岸線にできるだけ近づきたいのです」
壮大な計画に希望を燃やし、ルシルの声は緊張しながらも、幾らか弾んでいた。
「なるほどな。確かにそれは筋が通っている。君の魔力なら、森での活動も、一般の者よりは危険も少ないだろう。そういうことなら、できるだけ協力しよう」
どこか痛みを堪えるような表情でルシルの言葉にそっと頷くフェリクス。
「ありがとうございます、フェリクス様!」
ルシルは、やっと、ずっと願い出たかった事をフェリクスに伝えられて、一気に気持ちが楽になるのを感じた。そして、すぐに協力を申し出てくれたフェリクスに、嬉しくなる。
そして舞い上がったルシルは、嬉しさのあまりに飲みなれないワインをがぶ飲みし、緊張で食べられないと感じていたドラゴンのステーキを思う存分噛み締めた。
そして自分の種族についてまだフェリクスに打ち明けていないことなど、すっかり記憶から飛んでしまうのだった。
「ではフェリクス様、これからもどうぞよろしくお願いいたします!」
これまでで一番の、晴れやかな笑顔を向けるルシルに、フェリクスは眩しそうに目を細める。
満点の星空の下で、二人は穏やかに笑い合った。




