第十七話 難敵
絶望的な気持ちで、ルシルは周りを見渡した。
ここがテロイアなら、仲間と共に腕試しの絶好の機会だと盛り上がっただろう。
だが、今ルシルの周りにいるのは、人族のみで構成された歩兵集団のようなもの。故郷の人族に比べたらとても勇ましく、訓練されてもいるが、それだけのことだ。
ドラゴンと戦って無傷で生き残れる者がどれだけいるだろう。そして森の先には無辜の民が暮らす集落が広がっている。
(どうしよう、私一人であれを撃ち落とせる?……どうやって?)
一時撤退の合図で、拡がっていた騎士団が戻ってくる。
「フェリクス様」
慌てて駆け寄ったルシルに、フェリクスは拳を握り締めてふり絞るような声で話す。
「ルシル、大変な事になった。すぐに城に連絡をやって、住民の完全避難を開始する」
「ドラゴンが上陸するのは初めてなんですね」
「あれは……我々の力で防げるかわからない。第二騎士団の一部は先に戻して避難を手伝う事になる。君も一緒に」
大公城で過ごすうち、フェリクスが民をとても大切にしていて、民もまた彼をとても愛していることを、城で働く人々の声や態度で否応なく知ることになった。
そして今、フェリクスの見たこともないほど青ざめた表情から、その心痛を推し量ると、胸が痛んだ。
城下もまた、田舎でほのぼのとしていて、温かく実直な人達が暮らしているのだろう。
そんな平和な場所に、こんな災害を野放しにはできない。
「私はここで戦います」
驚いてルシルを凝視するフェリクス。周囲には恐ろしさで腰を抜かしている魔法士も沢山いる。
「私の事情は追々お伝えするつもりでしたが、フェリクス様、私はここからとても、とても遠いところの出身です。そこではドラゴンも時々出現しました」
「!!そうなのか!」
「はい。そして、故郷でもドラゴンは大変な脅威でした。腕に自信のあるものだけでまずは地上に落とし、最後は大人数で仕留めるのです」
「地上に落とす」
「はい、遠隔魔法の使い手が必要です、できれば土、火、風」
「よし、分かった。マルクス!!ゼーラ!!」
一瞬で目に光を取り戻したフェリクスは、大声で騎士団長を呼びつけ、矢継ぎ早に指示を飛ばしだした。ルシルは腰を抜かしている魔法士たちを引っ張り起こして、負傷者を城に戻る団員と共に運び出すように頼む。わらわらと撤収していく多くの団員達。
「できるだけ広い場所に魔法士だけを残して下がってください、私が中心になり、ドラゴンを誘導して落とします」
「しかし!」
目をむいてルシルを止めようとするフェリクスに、ルシルは少しだけ悲しそうな顔をした。
「フェリクス様、私は今まで魔力をごまかしていたんです。本当は普通の令嬢ではありません。ドラゴン戦の知識もあります。この場で今、一番戦えるのは私だと思います」
人族でないことは、ここにきてもどうしても言えなかった。今怖がられたら心が折れる。それでも、無言でルシルを凝視するフェリクスに、ルシルは目をそらすことなく向き合った。
「閣下、遠隔魔法の使い手を集めました、土が5名、火が10名、風が8名です」
「ある程度威力のあるもの、戦意のあるもので厳選したのでだいぶ少ないですが」
マルクスと、おそらく第三騎士団の団長らしき、緑色の肩章の体格のいい男性が、険しい表情の魔法士の集団を引き連れて戻ってきた。
「いえ、それぐらいで大丈夫です、皆さん強い魔力に耐性がある方でないと困るので」
フェリクスの代わりに答えたルシルを振り返り、驚いたように言葉を失う二人。そのタイミングで、ルシルが隠蔽していた自分の魔力を一気にある程度まで解放したのだ。これまでとは比にならない、濃厚な魔力の気配に、魔法士の何人かは驚いて少しふらついた。
「皆さん、私と一緒にあのドラゴンを地上に落としましょう。落ちたら、他の騎士団の皆さんと協力して攻撃になります」
唖然としたままの周囲の反応を振り切るように、攻撃の手順を説明し始めるルシル。ドラゴンの攻撃の種類、頻度を伝え、撤退の合図と攻撃の合図を決める。
わらわらと動き回る騎士団員たちを、山肌にとりついたままでじっと見ているドラゴン。
ドラゴンは、あまり俊敏に動かない。
上位種になるほど賢く、敵の個体を認識して攻撃してくる。
また堅い表皮の上に魔力で防御膜を張っている為、攻撃が通りにくい。
「こちらの攻撃が通り始めると、空中で位置取りをしてからブレスを吐きます」
位置取りの特異な動きで攻撃が予測できるので、防御のために土魔法の使い手が必要。ルシル個人だけならなんとかなるが、魔法士たちには防御しながらの攻撃をお願いする。彼らも、説明していくうちに、少しは勝機を感じてくれたと思う。
「私もここで戦おう」
フェリクスは、当然の様にルシルの隣に立った。フェリクスが珍しい氷属性の他に、土と火属性を扱えることは知っている。それでも、ドラゴン相手の場合、人族の魔法士の防御がどれだけ有効なのかは分からない。ルシルは強く首を振った。
「フェリクス様は、できれば地上戦での総軍の指揮をお願いします」
「私の魔力量は、騎士団の魔法士の誰よりも多い」
「それでも、土魔法等でのドラゴンへの防御は、恐らく万全ではありません。それに大将が負傷すれば、動揺が広がり、その後の討伐は恐らく失敗するでしょう」
「閣下。ここは我々と彼女に任せて下さい」
ゼーラと呼ばれていた第三騎士団の団長が、魔法士たちと一緒に、力強くうなずいた。それを横目に、フェリクスが顔を顰めてルシルを見る。
「しかし、君は」
「私は大丈夫です。囮役ですし、自分一人分なら、魔力で防御を万全にできます」
それは正直本当の事ではない。それでも、今は一人で送り出してもらわないとならない。ルシルはフェリクスを見上げて、しっかりと頷いて見せた。
フェリクスは、そんなルシルの手を握ると、振り絞るような声音でつぶやいた。
「分かった。だが、頼むから決して無理だけはしないでくれ」
「分かりました」
それでも、あなたの大切にしてきた大公国は、なんとか死守してみせます。
ルシルを最後まで心配そうに振り返るフェリクスをマルクスが促し、その場を去る。ルシルは、ゼーラが率いる魔法士たちと、最後の打ち合わせを終えた。
知識があっても対戦するのは初めて。
ルシルは勝手に足が震えるのを、拳でガンガン叩いて止めた。
(いくわよ、ルシル。これが出来なきゃ、あなたも帰れないんだから)
ひとまず、騎士団が魔物の群れを迎え撃つために囲っていた森の空き地を、ルシルの魔力でさらに押し広げ、ドラゴンを落とす場所を作り出した。フェリクスや騎士団員たちは、さらにその向こうまで撤退して待機している。
騎士団の魔法士たちは広場の目立たない側面に木立で隠すようにして待機。
ルシルは一人、ドラゴンの目線の前に陣取った。
魔力を解放してから、ドラゴンもルシルに興味を持っているようだ。じっと山肌にとりついて動かずにはいるが、目線でルシルの動きを追っている。
ルシルは、ぐっと奥歯を噛み締めると、太い槍状の形に魔力を練り上げていく。そして堅く形作った魔法槍に、追加で魔力を充填させていく。
これ以上は無理、という所まで魔力で満たしてから、ドラゴンの防御膜を貫通するべく、勢いをつけて目標に向けて打ち出した。
最初はきょとんとしていたドラゴンだが、ルシルの魔力槍が近づくと、慌てて避けようと飛び上がった。しかし、ルシルの槍には追尾機能をつけてある。
空中に舞い上がったドラゴンの身体に大きな音を立てて命中し、防御膜を食い破って表皮に達したらしい。命中した所が眩しく光り、ドラゴンが悲痛な叫び声をあげた。
『ぎいいいいっ』
辺り一面を激しい風圧が襲う。
空中で羽ばたいてすぐに大勢を立て直したドラゴンは、方向を見定めると一直線にルシルに向かって飛びだした。
その大きな金色の眼には、明らかな怒りが宿っている。
ルシルは、今度は透明な盾の形に魔力を練り上げ、広場の中央辺りに展開した。
魔法士たちも、念のため土壁で前方を守り、火と風の使い手が、詠唱に入っている。
そのまま勢いよく魔力盾に突っ込んでくれるかと期待したが、ルシルの濃厚な魔力の気配に警戒したドラゴンが、盾の直前で急停止し、そのまま空中にとどまった。
タイミングを逃さす、ルシルの合図で魔法士たちが攻撃魔法を放った。火と風の攻撃魔法が幾つも放射線状に飛び出し、収束してドラゴンに向かっていく。
ルシルは先ほどの一射で空いた防御膜の穴を感知すると、そこをぐっと押し広げるように魔力を固定して照射する。そしてもう一方の手で、魔法士たちの火と風の魔法を集約し、一つの大きな魔法に練り上げて、広げている穴に向かって導いた。
ルシルによって集められ、造り変えられた魔法士たちの攻撃魔法は、火と風の竜巻のようになり、ドラゴンの腹に開いた光る穴に向かって、一直線に飛び込んだ。
『ぎぎぎいいいいいいっ』
攻撃が固い表皮を貫通したらしく、肉の焦げるような匂いが漂う。
ドラゴンの怒りは頂点に達したようだ。ひと際高く舞い上がると、前屈みに強く羽ばたく。
ブレスを吐く前の動作だ。ルシルは再び合図を送り、魔法士たちは土壁を厚くして蹲る。幸い、ドラゴンの意識は魔法士たちの方には向かっていない。
ルシルの額に汗がにじみ、身体には緊張が走った。
ブレスがどの程度の威力なのか、個体差はあるのか、ルシルにもわからない。
それでも、ブレスの軌道の先には自分がいなくてはならない。
ルシルは、渾身の力で魔力を練り上げる。
大きく開いたドラゴンの口から、ルシルに向けて、青く光るブレスが打ち出された。
あと少しで着弾、という場所に、ルシルの練り上げた魔力盾が顕現した。
少しタイミングが遅く、位置がこちらに近すぎたために、盾にぶつかっているブレスの勢いでルシルの身体に纏っている防御膜にはジリジリと焼けるような感覚がある。
想像していたより、ブレスが長かった。
ルシルは、自分の計画が甘すぎたことを悟った。
普通は、神族や龍族複数名で、四方から攻撃を加えて、初手でだいぶ本体を弱らせるのがドラゴン戦での定石と習った。今回ルシル一人と人族の魔法士たちだけでは、そこに限界があった。
まだ一撃しか受けていないドラゴンのブレスは、威力も高い。
このままでは、ルシルの魔力盾は壊れ、防御膜も容易く貫通されるだろう。
悔しいが、ルシルにはまだ経験が足りなかった。
どんなに魔力が人より勝っても、様々な戦術を記憶していても。
実際に敵と対峙して、その死線を乗り越えていく経験が。
ずっと心の奥に燃えていた、全てに『負けたくない』という灯が、ふと消えそうになる。
ルシルの瞳はそれまでの強い光を失って、支えている自分の魔力盾から視線が空に外される。
その時だった。
ドラゴンの背後の隔絶の山脈から、銀色に光る鋭い魔力の一撃が無防備なドラゴンの背後に一直線に飛来し、防御膜を突き破って貫通した。
その光は、ルシル以外には見えなかっただろう。
あまりにも濃厚な魔力だったが、ドラゴンとルシルの魔力のぶつかり合うこの場では全てのものが混じり合い、強力な光を放っているように見えるため、見分けがつかない。
だが、ルシルにだけは分かった。
魔力を想像通りの形に具現化できる能力。
何よりも、属性に囚われないその威力。
それは、まぎれもなく、神族の扱う魔力だった。




