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第十三話 ルシルの正体

「本当の私の出自ですか?」


 ーーーついにこの時が来たか。


 今まで、どこぞの貴族令嬢でやり過ごしてきたルシルの正体が、さすがに嘘でも大公妃となるので問題になっていると言う。


 紫水晶の様に深く透き通った瞳が、気遣いの色を浮かべてルシルを真っ直ぐに見た。


「私は君がどこの誰であっても、その、あー、……大して気に留めないのだが、結婚となると両家の問題にもなるからな。後で問題になるよりは今、きちんと把握しておきたい」


 人払いされ、レイモンドとデボラも部屋に戻った中庭の東屋には、フェリクスとルシルの二人だけだった。そして、兼ねてよりルシルの調査はされているが、帝国領土外となるとかなり難航しており、本人から直接、国名やら身分を聞くしかない、という結論に至ったとか。


「クロフォード家というのは、少なくとも帝国領土内、ひいては友好国の王侯貴族にはいなかった。君の出自は、必然的に敵対国か、国交のない遠国という事になる」


 ルシルは焦りすぎて、記憶喪失の設定さえ、頭から飛んでしまって、ただうろたえる。


 (どうしよう、どこまで話そう。でも、話さなければ、帰郷のために協力も頼めないし)


「私は……出自を隠したいとか、忘れたいという気持ちがある者には、無理に聞き出したり思い出させたりしたくはないのだが」


 (ああ、なんか完全に訳アリ娘風で気を使わせてたって感じだ……これはだいぶ申し訳ない)


 フェリクスは明らかに焦っているルシルに対し、凛とした美しい顔に真剣な表情を浮かべると、穏やかな声音で落ち着かせるように、ゆっくりと丁寧に語りかけた。


「我々は帝国中央とは政治的な意味では根本的にあまり関わらない。だから、たとえどういう事情だとしても、君の心配するような事にはならないし、ましてわざわざ、君の出身国に連絡をやるようなこともしない」


 とても繊細に、こちらの負担にならないように、言葉を選んでくれているのが分かる。ただの家出娘だったら、すぐにでも打ち明けて、頼りたくなるような真摯な態度だ。


「だからどうか名目上とはいえ、伴侶となる私にだけでも、君の事情をほんの少し打ち明けてはもらえないだろうか。それが何であれ、力になれることがもしかするとあるかもしれない」


 フェリクスの瞳には、ルシルをただひたすらに案じる気持ちだけが感じられた。


 家の事情とか、やむにやまれぬ何かがない限り、若い娘が共も連れずに森を彷徨い歩いていたわけがないのだから、当然だろう。


 低く響く柔らかい声音に、純粋な優しさを感じて、ルシルは自分の感情が激しく揺れ動くのを感じた。


 そして非常事態にせっせとわきに追いやっていた、未知の場所への恐怖や見知った全てから隔絶された不安が一度に心に押し戻ってきて、ぎゅっと目を閉じる。


(この人に全部話してしまいたい。全部話して、助けてほしいと)


 でも、旧大陸ロトと新大陸テロイアとの接点は、公的にはほとんどないに等しい。


 細々と噂程度に聞くことはあっても一般人にとっては夢物語のようなものだ。


 現在では誰も、大洋の向こうの別の大陸の事など、気にも留めていないだろう。


 そもそも魔物の湧き出る海を越える術がないのだから、考えても無駄な事だからだ。


(でも神族だと打ち明けるのはやっぱりまだ抵抗があるわ。正直、良い印象の種族ではないし、そんなことで態度を変えられたらそれこそ落ち込んでしまう)


 故郷でも、神族には多少の偏見があった。人族とは寿命や魔力の差があるため、普段は頼りにされてはいたが、日常のふとした場面では、多少は恐れられることもあった。


 ルシルは、しばらく一緒に過ごす日々の中で、いつものように急な動きをして失敗したり、興味にかられてついうっかりやり過ぎたりするたびに、彼が動じずにいてくれる事に居心地の良さを感じていた。


 それどころか、まるで自分がか弱い女性かのように心配し、守り、尊重してくれる。


 体内魔力の継続的な発散が必要な神族達は、常に軽微な身体強化をかけているし、全身に防御膜とも言われる薄い魔力防壁を纏っている者が多い。ルシルもその一人だ。


 だから、生活における多少の動きで身の危険を感じることはほぼないのだが。


 せっかちに庭園の階段を駆け降りるルシルが、小さなトカゲを避けるためにバランスを崩した時など、彼は慌てて身体を支えてくれたりする。

 華麗な側転で着地する必要など無くなって、そう言えばドレスを着ていたんだったと、しっかりとその腕に抱き抱えられながら思い至ったり。


 そもそも神族の内でルシルの魔力量の多さは有名で、バカ魔力女と揶揄されて育ったのだ。


 それでいて恐れるように遠巻きにされることが多く、当然、仲間として扱ってくれる友人はいても、女性として尊重してくれるような男性は、周りにはいなかった。


 フェリクスの腕の中の感触を思い出すと、何故か今は胸が少し痛んだ。


「ありがとうございます、フェリクス様。私の事情が何であれ、力になって下さると言うお言葉、とてもとてもありがたく思います」


 心が決まらず、迷いながらも、とにかくお礼は言いたかった。


 そして、こちらが打ち明けるのをじっと黙って待っているフェリクスを見つめて、どこまで話すべきか、ルシルは瞳を揺らした。


「私は……私がどこから来たかというと……」


 ルシルが、もう一度目をぎゅっと閉じて、意を決して話し出した途端、かなり遠くに控えていた使用人たちの集団がにわかに騒めいた。


 二人が思わず振り返ると、すぐにその人々を割るようにして大公国の黒い鎧に身を包んだ騎士が数人、慌ただしく東屋に向かってくる様子が見えた。


 物々しい雰囲気に驚いて立ち上がるフェリクスとルシル。


「大公閣下に緊急のご報告を申し上げます!」


 ガチャガチャと鎧の音をさせて、騎士たちがフェリクスの前で膝をつく。


「申せ」


「はっ。先ほど、隔絶の森にてレベル2のスタンピードが確認されました」


「何だと!砦からの先触れはどうした」


「砦からの連絡はなく、巡回中の騎士団が接敵し、現在交戦中。砦との通信は途絶えており、砦の状況は不明です」


「何という事だ……」


 フェリクスはしばし目を閉じて考えを巡らせると、手を挙げて侍従を呼びつけ、低い声で指示を出し始めた。騎士たちを従え踵を返そうとして、慌ててルシルを振り返る。


「ルシル」


「フェリクス様、お話はまた改めて」


「すまん。私はしばらく城をあけることになるだろう」


「わかりました」


 言葉少なに戻っていくフェリクスを見送りながら、ルシルは慌ただしく考えていた。


 (スタンピード?つまり、魔物の暴走よね。森で魔物が溢れてるって事は、つまり森を囲んでいる山側か、もしかすると海岸線で何かあったんだわ。防衛の要の砦から、連絡が途絶えるほどの……!)


 フェリクスと城の守備に残っていた騎士団は、たぶん援護に向かうのだろう。


 (私も行きたい)


 気持ちを抑える事は出来そうもなかった。初めて、森や山に近づく口実ができた。大公妃になるより前に、もしかするとあの場所にもう一度戻って、調べる機会が巡ってきたのだ。


 フェリクスには、まだルシルの事情を伝えられていない。その状況で、はたして自分の同行を許してもらえるのかはわからない。令嬢のわがままにもほどがあると一蹴されるだろうか。


 それでも、とルシルは思った。

 この機会を逃したくない。


 それと、騎士団の多くは普通の人族であり、ロト側に出るとされる魔物も騎士団の人々にとっては十分な脅威である事が感じられる。


 騎士団の人々とも短い期間ながら細々と交流してきたルシルにとって、自分の事情や力を隠すために、傷つくかもしれない彼らをこの状況でただ見送るという選択肢はなかった。


 ルシルは表情を引き締めて自分の部屋に戻ると、可愛らしく着飾った鏡の中の自分をじっと見つめた。


 白磁の頬には薔薇色の朱がさし、銀色の髪は美しく整えられている。碧色の瞳は、以前よりもずっと明るく温かく、輝いて見えるようになった。


 使用人の女性たちは、最初の内はだいぶ気おくれしているようだったが、今ではルシルに対して変に距離を取ることもなく、敬意を払いつつも、親しく接してくれている。


 そしてルシルに縁のなかった女性らしさを懸命に引き出そうと、時には友人の様に、時には母親の様に、美容や装飾のなんたるかを何くれと教えてくれた。


 こんな風に女性ばかりの中で、楽しく会話することなど初めてだったルシルは、とても嬉しかった。そして自分を着飾ることで、毎回変化するフェリクスの反応を見ることもまた、楽しいと思う様になっていた。


 (ここの女性たちは、砦の騎士と家族や夫婦であるものも多い)


 城の警備に入っている騎士たちも、慣れてくるととても気のいい人々で、ルシルは余剰魔力の放出がてら、一緒に新人の鍛錬に参加させてもらったりもしていた。


 皆びっくりするほど素朴で、人の好い、フェリクスにとっての大きな家族のような存在だ。


 ルシルは深呼吸をひとつすると、両頬を平手で軽く打ち、魔法鞄の中から動きやすく、防御力も高い服を選ぶと、手早く着替えて髪を高い位置でぎゅっと縛った。


 もう一度、鏡の中の自分を見る。見慣れた不愛想な暗い碧の瞳が見返してくる。


「ここの人達は私に優しくしてくれた。私の正体がバレて態度が変わってしまうとしても、彼らが傷ついたり、亡くなったりするよりは、千倍マシよ」


 それに、今回森に入れて、海岸線までも近づければ、ある程度は帰郷の希望が見えるかもしれない。その時は、そこに留まり、大公城に戻ってくるかもわからないのだ。


 ふと、レイモンドの温かくて柔らかい体温が思い出された。そして、レイモンドを抱いて、こちらを困ったように見るフェリクスの姿。


 頭を軽く振って、魔法鞄を身に着けると、ルシルは急いでフェリクスの執務室に向かった。

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