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第十一話 契約結婚

「契約結婚ですか?」


「はい、大変遺憾なのですが、その通りです」


 ルシルは、大公の執務室で、ぽかんと口を開けたままで固まった。

 

 青ざめて無表情の大公と、諦め顔のジルベールが、対面に座っている。

 

 机の上には、契約結婚に関する分厚い書類が二組、それぞれの前に準備されていた。


「貴方の出自について皇太后の侍従から、報告を強要されることになりまして」


「そんなものは無視すればいいと言っただろう」


「閣下は良くてもルシル譲にとってはそうも言っていられません」


「彼女は帝国民ではない可能性だってある」


「対策が後手に回れば、ルシル嬢の身柄は簡単に持っていかれますよ」


「……あ、あのう」


 目の前で言い合いを始める二人に、状況の飲み込めないルシルは不安になる。


「私の存在が、さらに上のお偉いさまにバレたということですよね?」


「端的に言えばそうです。大変申し訳ない。そして、こちらの報告が不十分と見なされれば、帝国中央での取り調べになるかと」


「と、取り調べですか」


「はい。強硬に引き渡しを命じられれば、我々もそこまで庇えるわけではないのです。それに帝国中央はここよりだいぶ南にあるので、そこまで大変な長旅になるかと思います」


 (冗談でしょ、ますます海岸線から離れてしまうじゃない)


「ただし、ルシル嬢がすでに大公様のご正妃様となっていれば、別です」


「……ご正妃様」


 なぜか大公とルシルの声が被った。


「大公領だった以前とは違い、今は傘下とはいえ大公国は独立国家として認められているので、王族や公家の婚姻に関しては、帝国が口を挟める事ではありませんから」


「つまり、私が出自不明の旅人である状態では、不審人物として帝国に身柄を拘束されてしまうけれど、大公様と結婚して大公妃になってしまえば、向こうが手出しできない、ということですね」


「ご明察です」


 ルシルにとっては、丁度良く見積もったはずの魔力調整が、帝国の密偵に危険人物としてマークされるほどだと聞いて、いささか面食らう話であった。


 まあ、最近は周囲もルシルの魔力に慣れてきていたので、毎日の調整をだいぶ適当に見積もっていたかもしれない。少し考えが甘かったようだ。


「内輪の話ですが、皇太后側とは別に、皇帝陛下から、レイモンド殿下のことを内密に、閣下のお子様としてしばらく北の地で養育してほしいという話もきておりまして」


 なんだか話が複雑になってきた。帝国中央というのは、皇太后と皇帝で別の派閥なのだろうか。


 現在独身の大公に、内密で自分の子を育ててほしいとは、皇帝陛下という人も無茶ぶりすぎる。


「そういった事情から、ルシル嬢には、取り急ぎ大公妃となっていただいたのち、レイモンド様をお二人の間の公子様としてお披露目していただくというのが今回の契約内容になります」


 結局、初めの頃に使用人たちが噂していた通りの役回りに落ち着くらしい。今更感はあるが、大公様の秘密の恋人とその隠し子、現る!ってところなのか。


「公子さまのお披露目や、ご成婚がかくも遅れた事情については、こちらでしかるべく発表させていただきますので、ご心配には及びません」


 その辺りは全く心配ではないのだけど。


 ジルベールの胡散臭い微笑みに、顔をひきつらせながら、書類を改めて読み上げるルシル。


「契約はあくまで対外的な場で大公妃としてふるまうことであって、内情は今まで通りで構わない、とありますが、あくまで名目上の結婚というお話なんですね」


「そうですね、いまのところは」


 満面の笑顔で応えるジルベールに、大きくかぶせるように大公が咳払いをする。


「いえ、失礼、年若いご令嬢にこのような契約を持ち掛けるなど、酷い話だというのは分かっておりますが、どうかご一考いただけないでしょうか」


 ルシルは忙しく考えを巡らせていた。


 またも自分の不用心で、今度は帝国中央の幹部に目を付けられてしまったらしい。それを立場をおして守ってくれようという大公国の対応には、感謝しかない。


 もちろん、レイモンドを隠し子として匿うのに、ていのいい母親役が必要なのも納得だが。メイドの話によればどうも、大公様には他に女っ気が全くないようだし。


 ルシル本人としても、このまま帝国中央に移送なんてごめんだ。ますます帰還の夢が遠のいてしまう。この提案を断るという選択肢はなかった。


「一応、書類を部屋で一度読み込んで参りますが、ご提案はお受けしようと思います」


 ガタン、という大きな音を立てて、大公が突然立ち上がった。


「契約結婚とはいえ、結婚は結婚だ。経歴にも傷がついてしまう。貴方はそんな簡単に答えを出してしまっていいのか」


「簡単ではありませんが、今の私には必要な結婚だと思うので」


 結婚を必要だ、と考える日が、自分に来るとは思わなかった。


 故郷を去る直前に、あんなにも拒絶した結婚に、それほどの抵抗を感じていない自分にほんの少し戸惑う。家族やしがらみもない、契約上の話だからなのだろうか。


 そして改めて、目の前で心配そうに自分を見つめている、大公をじっと眺めた。


 短い期間だが、この人は私の奇異な考えや振舞いを、否定せずにいつも尊重してくれた。


 頑張ってはみたものの、およそ女性らしくない自分にも、嫌な顔などしなかった。


 見知らぬ国でも、この人の傍でなら、ありのままで自分らしくいられるような気がした。だからこそ、この契約に、全く不安を感じないのかもしれなかった。


 そこに生まれつつある感情が何かを知らぬまま、ルシルは笑顔で宣言した。


「それに、大公様とだから、この契約結婚をお受けしたいと思いました」


 満面の笑みのジルベールが、握った拳を咄嗟に隠して振り上げた。


 無表情のまま耳を赤く染めた大公は、しばらく固まった後で重々しくうなずく。


「そうか」


「はい。それと、契約の見返りとして、私にも相応の対価があるという条項が気に入りました」


「そ、そうか」


「はい!」


 取り急ぎ目を通した書類によると、匿って貰うのはこちらなのに、何故か迷惑料としてルシルにもある程度報酬が出るらしい。


 報酬は、金銭での保障や小領地の割譲、大公妃としての権力の行使など、法や倫理に沿う限りは本人の希望で選択できる、とある。


 つまり、何でもお願いを聞いて貰える権利、とも言える!


(突拍子もないと思われるだろうけど、隔絶の山脈を超えて北の海岸線に出たいと頼めるわ)


 最初は無理でも、何度も頼めば、北の砦に出入りくらいはさせて貰えないだろうか。


 大公妃なら、自領の騎士団の慰問くらいするものだろう。例えそれが魔物と戦う前線地だとしても。大公妃としての権限があれば、叶うかもしれない。


 ルシルは突然降ってわいた帰還のチャンスにほくそ笑んだ。


 大公国に身を寄せて数週間、少し前に図書室の出入りを許してもらってからは、帝国やこの大陸の国について、少しづつだが調べて知識を増やしてきた。


 テロイアとそれほど大きく変わらない口語とは違って、ルシルにとっては古代言語で書かれたような書物は読みにくかったが、こちらの常識を知らないと、何も計画できない。


 わかる範囲で調べた結果、近隣国はほとんど戦力を持たないような弱小国で、北の大地は殆どが大公国と、帝国の直轄領で構成されている。


 そのうち隔絶の山脈の維持と海岸線を防衛する任務は、ほぼ大公国が単独で担っていた。


 各国の協力で編成された連邦軍が防衛任務を担っているテロイアの常識からするとだいぶ驚いたが、ロトでは魔物の出る海域に面している陸地も狭く、人里の多くが山脈に囲われている為、テロイアほど重要視されている任務ではないのかもしれない。


 それに、テロイアとは、魔物の生態や出現数もだいぶ違うようだった。


 そもそもロト側に出る魔物が、それほど強いものではないようだというのが、今のルシルにとっては最良の情報だった。


 これならルシル一人で海岸線に出る計画も、荒唐無稽とも言えないのではないか。


 報酬の件は、よくよく機会を伺って、大公様に持ちかけることにして、ひとまずは偽の大公妃役を、完璧にこなさなくてはならない。


 慣れてくれば大公妃の役どころの隙をみて、1人で隔絶の森や山脈に転移してみることもできるかもしれない。


 偵察中の拠点として大公城は理想的だ。帰還計画の準備が整うまでは、お役目を全うして頑張りたい。これで拾ってもらった恩も少しは返せるだろうか。


 それに公子扱いのレイモンドが、いつか本来の居場所である帝国中央に皇子として戻るとして、デボラの言う様に母親のいない彼はきっと苦労することになる。


 ルシルは自分が傍にいてやれる間だけでも、レイモンドに何か身を護る術を教えておきたいと思うのだった。

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