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第十話 大公の平穏 sideフェリクス

 フェリクス・トーリは、平穏な日常を何よりも大切にしている。


 北の領土の冬は厳しく、隔絶の山脈と森を内包するため、平穏と言っても、日々の暮らしの問題を常に抱えた平穏なのだが。


 それでも、フェリクスにとって、帝国の中心から一番遠い場所で、帝国の中心と一番距離を置いて暮らせる事そのものが、平穏な日常なのだ。


 遠い都会に暮らしている、血を分けた人々は、できる事なら自分とはなるべく関わりのないところで、勝手に生きて、勝手に死んでほしい。それが、誰にも話したことのない真の本心だった。


 ところが、先日、皇帝の子を身ごもったという近隣国の王女から、内密に相談が持ち込まれた。

 

 心の底から「関係ない」と突っぱねたかったが、食料事情が決して豊かでないこの近辺では、近隣国との連携は必須。


 無下にもできずに一度迎え入れることになった。


 この決断を、フェリクスは後に後悔することになる。

何故なら、新たにフェリクスの平穏を乱す存在を迎えることになるからだ。


 初めて姿を見た時、その全身が光り輝いているように錯覚し、不思議な気分になった。


 興味を覚えて近づくと、造作は確かに美しいが、光ってなどいない普通の人間だった。


 彼女からは爽やかな花の様な甘い香りがした。女性からよく香るきつい薬品臭ではない。


 (人命救助で魔力枯渇になるとはな)


 先に聞いた報告で、状況は理解していたが、およそ貴族女性がするような行動とは思えなかった。普段から自分こそが最優先で守られているのが当然だろうに。


 加えて、隔絶の森で魔力を使い切るなど、例え騎士であっても、ただの自殺行為だ。


 勇気なのか無謀なのか、判断しかねるが、その後の様子を見るに悪い人間ではないらしい。


 彼女の儚げな様子のせいか、花の香りのせいなのか、フェリクスは知らず、初めて会ったルシルに、親切にしたいと気を揉む自分に驚いた。


 先日亡くなった乳母以外の女性に対して、そんな感情を持ったことはなかったので、自覚した途端に戸惑ったが、初めはそれほど気にしなかった。


 拾った子狐に抱くような温かな感情は、母の様に慕っていた乳母が亡くなって以来、心に開いた穴をほんの少し塞いでくれるような気がしたからだ。


 彼女が隣国の王女でないと知って、安堵した自分にも納得していた。


 拾った美しい子狐が、もしもあの弟の物だったなら、この平穏が揺らぐからだ。情が移る前に元の場所に戻すか、離宮に捨て置いて、関りを絶つだけ。そうであったなら、すべてをジルベールに任せて、平穏に戻れたのだろう。


 だが、実際に起こったことは平穏とは程遠い。


 回復したルシルは儚げな子狐というより、闊達なユキヒョウのような娘だった。


 本人は楚々とした振舞いをしているつもりであろうが、周りには正直そうは見えない。


 令嬢にしては膨大な魔力を常に纏って、何をするにも魔力を使っているのだから。


 咄嗟の動作に微々たる魔力を使ってしまうのは、ほとんど無意識なのだろうが、それが周囲の女性たちをほんの少し委縮させる事に本人は気が付かない。


 通常、中央の貴族女性は、それほど多くの魔力を持たず、生活魔法などに少し使える位が一般的だ。日々の生活で常に魔力を使い続ければ、すぐに枯渇で倒れるだろう。


 魔力が多い女性も中にはいるだろうが、周囲に知られるのははしたないと敬遠されたりする。魔力が多い事が誉れであり、戦いに魔法を駆使するのは男性の役割という前提がある。


 幸い、この国では、砦をすり抜けた魔物が隔絶の森で暴れることもままあるために、女性であっても魔力を持っていることは密やかに喜ばれる。そして豊富な魔力のあるものは、女性でも騎士団に迎え入れることもあるくらいだ。北方の特別な慣習と言えるだろう。


 この城に仕える女性たちは偏見が少ない方とはいえ、女性の身で魔力を自在に操るルシルには、男性騎士のような剛毅さを感じて、気遅れする者もいるらしい。


 ところがルシルはお構いなしに、重いものを代わりに運んだり、飛んでしまった洗濯物を屋根に登って取ってきてやったりするらしく、報告に来る騎士達も少々戸惑っていた。


 なぜか騎士団の訓練にも参加しだして、体力比べまでしているらしい。


 初めは容姿の美しさから、ルシルを飾り立てようと躍起になっていたメイドたちも、本人の強い希望もあり、結局飾りの少ない動きやすい服装に傾倒しつつあるとか。


 代わって最近は、騎士服や乗馬服などをルシル用に仕立てる事に凝り始めたらしい。


 その話を聞いた時には、思わず笑ってしまったものだ。


 (確かに、そういう格好の方が似合うのだろう)


 完全に記憶を失っている、というには少々無理がある振舞いからして、何か事情があって出自を隠していることは明らかで、恐らく平凡な令嬢ではないだろう。


 本人を厳しく問いただすことは何故かしたくなくて、各地の密偵の報告を待っている。


 それでもなぜか、自分に会う時だけは、女性らしく着飾って、しとやかな作法を気にかけているようなのが、フェリクスにはなんだかむずがゆく、嬉しいように感じる。


 本人が一生懸命、か弱そうな貴族令嬢のふりをしている様子から、まずは魔力を抑えることが先決では?と口をはさみそうになるが、なんだか可愛らしいので、放置しているのだ。


 フェリクス自身も、屈託なく膨大な魔力を纏って、人の目など気にせずに魔法を使っているというルシルの様子を聞くと、ついつい興味を持って、会いに行きたくなってしまう。


 彼女との会話も、帝国や近隣国の他の貴族女性とは一風変わっていて、面白い。


 装飾品やら甘味、流行りの劇などの退屈な話ではなく、なぜか森の生態系の話だとか、魔法の種類だとか(特に攻撃系魔法の話を喜ぶ)、隔絶の山脈にある砦の話などが好きなようだ。


 フェリクスは、隣国の要人と話すとき、気の利いた話題が思いつかずに面倒に感じることが多かったが、ルシルはどんな話をしても、目を輝かせて楽しそうに聞いてくれる。


 (彼女と話すと、まるで自分が話し上手にでもなったような気がする)


 勇ましい話が好きな彼女に親近感を感じて、先日はつい、男児なら誰でも聞かされる、北の山のおとぎ話を話題にしてしまった。


 女性向きでない話題なのは知っていたが、普段の会話が騎士団の団員との会話と変わらなかったので、油断していた。


 フェリクスのガサツさが原因で、ルシルは唐突に元気をなくして、笑顔を見せなくなった。


 何でも小気味よくたっぷりと食べる彼女が、その日は食事もとらずに部屋に籠ってしまったらしい。


 その報告を聞いて、フェリクスは胸が痛んだ。


 北の地の粗末な食事を、いつも美味しそうに沢山食べる彼女が、何も食べたくないとは。


 自分はあの時、何故あんな話をしてしまったのか。


 しかもついつい力が入りすぎて、普段は大公らしく気を付けている言葉遣いを忘れ、『俺が』などと乱暴に言ってしまった。自分の浅はかさに嫌気がさす。


 あとでジルベールにもこっぴどく絞られたが、その日は自分の失敗に、フェリクスは大層落ち込んで、この十年間、一日も欠かさず行ってきた夕方の鍛錬を休みにした。


 これまでの人生で、フェリクスは大公として、周囲からは大切にしてもらってきたと思う。


 それに応えるため、日々最善を尽くす。それの繰り返しが、フェリクスの全てだった。


 北に来る前の幼い頃の記憶では、両親や弟へ、どんな態度で接するか、どんな言葉を選ぶか、日々心を揺らしていたときはあった。


 北の地に来てからは、人への気遣いや、会話の内容などという事で、こんなにも気分の浮き沈みを感じた事はない。


 フェリクスは初めて、誰かに嫌われたくない、と考えている自分に驚いた。


 そうしてその時に初めて、いつもの平穏な日常が、自分から去ったことに気付いたのだ。


ここまで読んでくださってありがとうございます!次回はやっと、2人の関係に変化が訪れていく内容です。

明日はひとまず、午前中に投稿を予定しています。続きもまた読んでもらえると嬉しいです。

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