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第一話 転移

「どうしよう、まずいことになったかも」


 ルシルは自分が空間転移に完全に失敗したことを悟った。


 目の前には見たこともない巨大な蝶が、巨大な花の蜜を吸っている。

 銀色に発光する花弁にとまった蝶の、緩やかに動く優美な羽。


 至近距離で冷たい地面に尻もちをついているルシルにしてみれば、花も蝶もその巨大さゆえに、美しいというよりただただ恐ろしい。


 辺りは森の中の少し開けた空間で、先ほどの巨大な花が群生している場所のようだ。不完全な状態で転移魔法を使おうとしたせいで、目的地の座標がずれたのかもしれない。

 

 座り込んでいた地面から立ち上がり、とりあえず身体に異常がないかを確かめる。


「魔力はほとんど空っぽだけど、身体はなんとか動く」


 全身が冷たくなるような不安にかられながらも、現状で最低限の前向きな情報を声に出すと、少しだけ心臓の鼓動が落ち着く様な気がした。


 元々、転移魔法の準備はしていた。


 でもあんな風に事故的に消えるつもりなんてなかった。

 自分が姿を現さないことで、周りの者はきっと混乱しているだろう。


 身に着けていた肩掛けの鞄をぎゅうと握り締める。


 そもそも、ここはどこなのか。


 残り少ない魔力では飲み水の確保も情報収集も心もとない。


 明るいうちに森を抜けるか水場を見つけようと速足で歩きながらも、嫌な予感が募る。


 どうして、こんなに森の植生が違うのか。


 さっきの巨大な蝶も気にかかる。


 昔読んだ本に書いてあった。

『旧大陸には巨大な生物が今も現存している』と。


 我々が暮らす新大陸テロイアとは違い、旧大陸ロトには原始的で様々な種族が住んでいて、文明は遅れ、危険な巨大生物の生息が確認されている。


 そこまで考えたところで突然、誰かの悲鳴と大きな地響きが静かな森に響き渡った。


 鳥や小動物が、慌てふためいたように、木々の合間を飛び去って行く。


 ルシルは残り少ない魔力を耳に集め、方向を見定めると、疾風のごとく駆け出した。


 僅かな魔力でうまく強化した聴力で、ここからでは見えないずっと先の状況が手に取るように分かった。


 (馬が全速力で走ってる。何かに驚いて、暴走してるんだ)


 しばらくして走りついた先にはゴツゴツとした岩場があり、ひと際大きな岩の傍に大破した馬車の残骸と、沢山の荷物が散乱していた。蓋の開いた鞄からこぼれた服が風になびいている。


 それ以外周囲に動くものはなく、人や馬の姿は見えない。


 ルシルは絶望的な気分で岩場の先の崖に走り寄った。


 残りの存在はすでに、崖の下なのか。


 元々移動用の動きやすい旅装だったが、汚れるのも構わずに勢いのまま膝まづくとボロボロと崩れ続ける土に気が付く。


 腹ばいになって崖の下をのぞき込んで、目を見開いた。


「私の声が聞こえますか!」


 厳しく切り立った断崖だったが運良く少し下に人一人分程度の段差があり、そこに女性が一人、一本だけ生えている木に引っかかるように倒れていた。


 落ちた時に打ったのか、頭から酷い出血がある。

 ルシルの呼びかけに、うっすらと目が開いた。


 (あの出血では、一刻も早く治療しないと間に合わない)


 ルシルは自身の魔力に自信があったが、今は長距離転移魔法の使用後で残りの魔力がとても少なく、さらに治癒魔法は不得手だった。


 ついさっき、得体の知れない場所に放りだされたと気が付いた時よりもずっと、鼓動が早くなる。


 (どうしよう、どうしたらいいの)


 情けなくも、冷静さが保てない。

 ルシルは己の不甲斐なさを呪った。


 震える拳を赤茶けた地面に押し付けて立ち上がると、散乱している荷物に駆け寄って、ひも状の布を幾つかと頑丈そうな小型のバスケットを見つけだした。


「ねえ、あなた、お名前を教えて!」


 崖まで取って返して、女性の意識を呼び戻す。

 土地勘もない場所で人を呼びに行っても、

 それまでおそらく彼女の命が持たない。


 どうにかして彼女を自分一人で引き上げるには、彼女自身にやってもらうしかない。この紐を自分の身体に巻き付けて貰うのだ。


「私はルシルと言います!あなたのお名前は!」


 祈るような気持ちで、ひも状の布をより合わせ、下におろしていく。バスケットに水筒とハンカチを入れた物を先に重しとして括り付けてある。


「わた……わたくしは……デボラ」


 かすれた声で反応があった。


 ルシルは言葉が通じたことに密かに大きく安堵する。


 負傷者の纏う豪華なドレスや、旧式の馬車の残骸に、ずっと嫌な予感を感じている。


 ここは、自分の知らないどこか、ではないかと。


 気を引き締めて、慎重にバスケットを降ろしていく。


 ぼんやりと中空を見つめる瞳が突然カッと見開かれ、無理やり上体を起こしたデボラは、胸にしっかりと抱きしめていた、薄布で包まれた何かを大事そうにそっと撫でつけた。


 それは何かとルシルが尋ねる前に、デボラの身体を支えていた木の根元の乾いた土が、彼女の重さに耐えきれずに崩壊を始めたのが見える。もともと脆い地盤なのだろう。


「それ以上、大きく動かないで。足場が崩れてしまうから」


 緊張にさらに鼓動が早まるのを感じながら、ルシルはデボラを制止したが、デボラは必至の形相でその布包みを上に掲げようとする。身体がふらつき、腕も上がらないようだ。


「デボラさん。できるだけ動かずに今下ろした紐をご自分の身体にくくりつけられますか」


 水筒の水やハンカチで応急処置をしている余裕はない。とにかく一刻を争う事態だった。


 崖は底が見えないほど高く、先に落ちたのであろう人や馬は、影さえも伺えないのだ。


「わた……私はもう助かりません。魔力が……身体から抜けていくのを感じるのです」


 ルシルは目を固く閉じた。


 それはもう治癒魔法等が間に合わない事の兆候で、死にゆく人が感じる最後の感覚だと言う。


 それでも、助ける手立てがないわけではない。


 ルシルは、有事の時にと鞄の中に入れておいた、命綱の特級ポーションを思い浮かべた。


 自分も未知の場所で、これから何かあれば必要になるかもしれない。


 けれどそれで救える命が今、目の前にあるなら。


「ル……ルシル様とおっしゃいましたか、どうかこの方だけでもお助け下さい」


 デボラは足場の岩がさらさらと崩れる音も気にせずに、自分の身体をひきずって、薄布に包まれて眠る子供らしき塊を横に転がったバスケットに必死で括りつけている。


「わたくしはこの方、レイモンド様の乳母でございます。母君のマリアンヌ様が、帝国の大公様にお目通りするために向かう旅の途中でした」


 目の前のデボラもまた、自分の命を顧みず、幼い子供を助けようとしているのだ。


 ルシルは帝国とか、大公様とか、不安を煽る言葉が気になりながらも、必死で自分の魔力残量を推し量った。


 今、デボラとレイモンドの二人を助ける余力は自分にあるのか。


「馬の暴走が始まってから、護衛の騎士が馬車を停めに入る前に、帝国側に鷹便を飛ばしました。ですから……崖の上で待っていればきっと、助けは来るはずです」


 ルシルの心に微かな希望が灯った。

 後から助けが来るなら、体内の魔力残量をそこまで気にする事もない。


 例えここが見知らぬ土地であっても、今自らの身の安全を優先するならば、きっと一生後悔するだろう。


 ルシルに迷っている暇はなかった。


 ルシルは歯を食いしばると、両手で頬を軽く打ち、身体強化の魔法を自分にかけ始めた。


 魔力の使い過ぎで震えそうになる身体を叱咤しながら、学園で習った人命救助の手順を反芻する。


 大丈夫。


 訓練通り、落ち着いてやれば、必ずできる。


「大丈夫。二人とも、私が必ず助けます」


挿絵(By みてみん)


人生初投稿です!一話目を読んでくださり、ありがとうございます!



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