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8.お互いに恥ずかしがってる

頼んでいた肉の加工が済んで、隣国への船の手配ができた頃には、首都で生活をはじめて2か月が経っていた。


手配した馬車に乗り、公爵家へと着いたのは出立前日の夕方だった。

実家に一泊し、翌朝の船に乗ると事前に手紙で伝えていたら、家族総出で見送りをしてくれた。9月の終わりの日は肌寒く、室内は暖炉に煌々と火が焚かれている。


ラルフの差し出した狩りの成果を見て、父親は大きな手で目元を押さえ、母親が涙ぐむ。

「フィリルがこんな、危険な狩りを…もう立派な男なんだな」

「男の子はもう、……少し会わない間に、すぐに逞しくなって」

親の贔屓目がすぎる呟きに、後ろでラルフが笑いを堪えるように横を向いて咳払いした。


兄2人と夫人、嫁いだ2人の姉と夫は、子供と共に迎えてくれた。

フィリルへの餞別だと言いながら、なぜかラルフへとダガーを渡している。品のいい装飾のされた両刃の短剣で、ウルフバートと呼ばれる特殊な製造方法のものだそうだ。柔軟で折れにくくとてもいいものなのだと、刀身を見ながらラルフが説明してくれた。



狭い食堂は家族が全員入れば蒸し暑いほどの熱気がある。ラルフは暑いのか、着崩れない程度にドレスシャツの襟元を緩めて上着を脱いでいた。

テーブルに並べられた大皿に料理が盛られ、自由に席を行き来しながらの気軽な夕食を楽しみながら、2か月間の首都での生活を両親に話して聞かせた。

ラルフが一撃で大きなシロクマの首を飛ばしたこと、魔道具の修理を引き受けていたこと、人口ダンジョンの解析ができたことを話せば、両親は安堵の溜息と共にフィリルの手を握る。

「フィリルは頭のいい子だった、小さいときから。安全を第一に旅をしなさい」

心配性の両親だが、魔法学院の入学が決まったときもこうして送り出してくれた。


両親は決して愚者ではない。他国との貿易を一手に担う港のある領地を収め、王の信頼も厚い貴族だ。

3歳のフィリルが習ってもいない文字を母国語のように読んで見せ、教えてもいない計算問題を解いて周りを驚かせたときの対応は早かった。気味が悪いと噂をする使用人を遠ざけ、王へとすぐに「天才児」として紹介した。


成長と共に周りが見えてきたフィリルは、幼い頃の自身の失態に気付き様々なことを隠して生きている。同時に、王城で勤めることが領地と公爵家にどれだけの価値があるのかも理解していた。だからこそ、才能だけではなく、自身の価値を上げようと魔法使いの道を選んだのだ。


この旅は完全にフィリルの我儘だった。家長である父親が反対すれば従う他になかったし、すぐに王城勤めを開始しろと王命が下れば、拒否出来るはずがない。自由にさせてくれる家と国王に、素直に感謝している。


「フィリル、一度だけ聞くよ……王城に勤めることに、不満はないかい」

だからこそ、父親のその言葉に驚きで何も返せなかった。

「頭のいい子だったから、私たちは舞い上がってしまったんだ。王城勤めをお前に押し付けるべきではなかったのではないかと、負担に思っているから家を出てしまったんではないかと、お母様と話していたんだよ」

「学院に行ってからは一度も帰って来ないし、卒業式の後はすぐに首都に行ってしまったでしょ。居心地が悪いのかもって、お父様と話したの。私たち、フィリルのことをすこし、特別な子にしすぎていたのかも知れないって」

フィリルは大きく首を横に振った。両親がそんなことを考えているなど、思いもしなかった。


「少し、世界を見て来るだけです。陛下にお仕えできることは、私の誇りです」

フィリルは微笑み、改めて両親を瞳に映す。細身の母親はフィリルの腕にすっぽりと収まるほど小さく、父親は3年前よりずっと歳老いて見えた。

「旅の先々で、手紙を書きます。絶対に」

大きく頷けば、母親が戸惑い勝ちにフィリルの背に腕を廻す。強く抱きしめられ、フィリルも返すように母親の小さな背中を抱いた。

「思えばフィーちゃんのこと、こんな風に抱きしめたこともなかったわね」

母親の呟きに、父親が頷き頭を強く撫でた。

「お前は昔から大人びた子だったから。寂しい思いをさせてしまったら、すまなかったね」

ラルフに見られていたら少し恥ずかしいと思いつつも、フィリルは父親の瞳をまっすぐに見上げる。

「居心地が悪いなど、思ったことはありません。…魔法にばかり目がいく息子で、すみません」

両親と共に暫く無言で視線を交わし、自然に声を上げて笑っていた。







ラルフは一通り食事を終えて満足すると、フィリルの兄に勧められるままにワインを飲んでいた。この北国で酒はそこそこの高級品で、成人と共に解禁されても騎士学院の在学中に安酒を何度か飲むくらいにしか酒に触れる機会はなかった。

「(王城で飲んだウィスキーも、このワインも、香りがいいな)」

獣人の嗅覚は唯人よりもかなり鋭い。安酒は匂いがきつく飲む気が起きなかったが、こういった酒もあるのかとラルフは内心感動していた。


「ウルフィアス、よね」

遠慮がちな女性の声に、ラルフは深く息を吐くとできる限りの笑顔を浮かべて振り返った。

「ラルフと呼んでください、姉さん」

黒髪に明るいブルーの瞳の女性はラルフの異父姉だった。隣には、フィリルの兄が姉の肩を抱いて優し気に微笑んでいる。


ラルフは現侯爵家当主と他国の侍女の間にできた子供だった。人望の侯爵とも呼ばれる当主は母子共にスヴァールへと連れて帰り、希望すればラルフを養子として迎えると言って実子と共に教育をしてくれた。ラルフは申し出を断り平民として騎士学院に入学したが、援助には感謝している。

ウルフィアスというのは一応父親からもらった名だが、気取っていて嫌だと幼いころに母親に言ったらしく、ずっとラルフと呼ばれている。今ではどちらが本名なのかも微妙なところだった。


「騎士学校に入ったとは聞いていたの。フィリル様と、旅に出るんですってね」

侯爵家でもあまり交流がなかったためか、緊張気味に胸の前で手を硬く握り、ラルフの異父姉は言葉を探すように視線を泳がせる。

「フィリル様は良くしてくださいます。姉さんに、侯爵家にご迷惑はお掛け致しません」

異父姉は首を横に振り、言葉を探して何度か口を開けては閉じるを繰り返す。

「迷惑、なんて、かけてくれてもいいんです。どうか怪我もなく、息災で」

「死地に赴くわけではありません。少し、冒険をしてくるだけです」

ラルフはこの2か月を思い出して、堪えきれず笑みを零した。


フィリルは驚くほどにアンバランスだった。

精度の高い攻撃魔法、年上の魔法使いを超える博識、魔道具を短時間で修理してしまう技術を披露する一方で、短剣の持ち方は儘ならず、少女の好むような本に涙ぐみ、畑の土を触るのもはじめてのように戸惑っていた。

貴族然とした雰囲気や態度とは裏腹に庶民の服や食事を嫌がる素振りはないが、ありふれた木のシングルベッドをなぜか興味深々に見たりもする。

綺麗な顔立ちとのほほんとした雰囲気から大人しい性格なのかと思っていたが、ラルフの前では自由奔放に振舞う。かと思えば、王城での謁見時にはがらりと雰囲気が変わって驚いた。


まるで、高位の魔法使いになるためだけに生き急いできたような。

それがかつてラルフが憧れていた無邪気に魔法を学んでいた少女ーーーだと思っていた彼の、今の姿なのだとすれば、言葉にできない苦みが口の奥に広がる。


穏やかな声は耳あたりが良く、彼が静かに本を読んでいる空間は心地がいい。感触のいい柔らかい髪やさらりとした頬には、唯人には過剰な接触だと分かっていてもつい手が伸びてしまう。

堅苦しい侯爵家や、自由にならない騎士寮で自身より弱い上官の言うことを聞かないといけないと感情を押さえていた時より、今はよほど心に余裕がある。



「あなたのそんな顔、はじめて見たわ」

異父姉が肩の力を抜き、夫と微笑みを交わす。

「冒険、楽しんできてね。帰ってきて、絶対に。旅のお話を聞かせて」

「はい、お約束します」

フィリルの上の兄がタイミングを見ていたようにウィスキーの瓶を持って間に入り、新しく酒を注いでくれた。白樺の香りのする酒だった。

出発の前にフィリルの家族に会えてよかった、とラルフは腰に刺した真新しいダガーに触れた。







兄達に絡まれて酒をのんでいたラルフがバルコニーへと消えていくのを横目で捉えたフィリルは、厚い二重窓を開けてバルコニーへ出た。冷えた空気に晒された頬が気持ちがいい。感じていたよりも室内は暑かったようだと、吐いた白い息を見ながら思う。

いつの間にか雪が降っていた。


ラルフはウィスキーを片手に、曇り空の合間に浮かぶ月を見ていた。

「ラルフ」

呼べば、振り返ったブルーグレーの瞳が真っすぐにフィリルを映した。暗闇のせいか、瞳孔が開いた瞳は光の下で見るよりも獣染みた野性味を帯びている。


「私の家族、鬱陶しくなかったですか」

フィリルも隣に並び、同じように月を見上げた。石の柵には、うっすらと雪が積もっている。雪を集めて歪な団子を作るフィリルの肩に、ラルフは自分が着ていたジャケットを脱いで掛けながら、小さく笑った。


「いい家族だな。姉さんも、幸せそうだった」

「シャルルお姉さま、でしょうか」

首を傾げれば、ラルフが頷いた。シャルルは次男に嫁いできた侯爵家の長女だった。人望の侯爵と呼ばれている現当主に男児はひとり。その人物は、横に立つ彼ではない。


父親がいないと言っていたので、恐らく正式な家族ではなくラルフは庶子なのだろう。

端正な横顔に悲壮感はなく、彼女と言葉を交わしていた表情も親し気だった。姉さんと呼ぶほどには交流があるのだ、彼は侯爵家で教育を受けていたのかもしれない。


「俺、狼の獣人の血が入ってて。母さんが、ハーフなんだけど」

口調や仕草をつぶさに観察しながら、丁寧に相槌を打った。悲壮な過去という雰囲気はない。どちらかと言えば恥ずかしそうに眉間に皺を寄せた顔に、そういえば家族の話をするときはいつもこんな顔だなと思うと少し可笑しい。


「本当はお前のこと知ってた。ガキの頃、訓練場の隅でよく魔法の練習してただろ」

フィリルは頷く。王城の訓練場では短時間だが、16歳未満の子供にも剣を教えている。ラルフはいつもそこで、遅くまでひとりで素振りをしていた。

「私も、君のことを見てました。歳があまり変わらないのに、見習い生とも互角に打ち合っていて…強いひとだな、って」

ラルフの手が、髪に触れた。感触を確かめるように梳いていくぬくもりを享受し、目を伏せる。

「初めて会ったとき、言ってくれてもよかったのに」

「確信がなかったんだよ。…お前いつも王子と一緒だったし、婚約者かなんかだと思ってた」

「ふふ、あの頃はよく女の子に間違えられてました」

品よく笑うフィリルの頬に、冷たい鼻先があたった。不満を訴えるような顔に更に笑いが漏れる。


「獣人ってとこは、驚かねぇのな」

ラルフは髪に指を絡め、至近距離で瞳を覗き込む。落ち着きのない仕草が捨てられたくない子犬のようで、手に頭を預けるように首を傾けた。

「気付いてましたから」

「いつから?」

暗闇に光る瞳に、不安の色が滲む。

種族の差別は表面上なくとも、確かに存在する。感覚的に物事を判断することの多い獣人を好まない唯人は多く、彼は心配しているのだろうか。フィリルは安心させるように微笑み、目尻へと触れた。

「最初から。虹彩が、唯人より大きかったので」

学院での研究で何人もの獣人に会っているから気付いたのだと告げれば、ラルフは一応の納得を示してくれた。

「(接触が多いと指摘すれば、この触れ合いはなくなるのかな)」

後頭部を支える手が髪の感触を確かめるように握ぎられ、梳きながら離れた。



「明日、ついに出発ですね」

空気を変えるように深く息を吸ったフィリルに、ウィスキーをひと口飲み、ラルフも「そうだな」と頷いた。


「ラルフ」

呼びかければ、フィリルを見下ろす瞳は穏やかで、出会った時のような焦燥感は伝わってこない。

首都でフィリルと過ごし、彼の世界は明らかに広がったはずだ。狩りや薪割をして金を得られることを知り、国外に出ることを強く意識した。その身ひとつの強さで、どうにでもなるのだと理解したのだろう。

忠誠を誓い王に剣を捧げる生き方は、明らかに彼には合っていなかった。自分よりも弱い騎士が学院を卒業していく姿に、彼は何を思って過ごしていたのか。

もっと広い世界を見て欲しいと、フィリルは願った。その先で彼の出す答えが、どんなものでもいい。


「改めて聞きます。…私と、旅をしてくれますか?」

ゆっくりと首を傾げてみせる。ラルフは気分良さそうに笑い、フィリルの髪へ鼻先を埋め、後頭部へと滑らせた。

「言っただろ。お前がボスだって」

出会った頃をなぞるやり取りに、自然と笑いがこみ上げる。

静かに雪の降るバルコニーに、ふたりの青年の明るい笑い声が響いた。


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