5.耳は動かない
謁見の日は朝からラルフと互いに着付けをし合い、王城からの迎えの馬車を待った。
正装に身を包んだフィリルが丈の長い花紺青のクローク型マントを羽織って宿の1階に降りれば、女将は目を丸くして驚いていた。
「アンタ、魔法使い様だったのか。しかも3つ星の」
”ラピスラズリのマント”は学院を卒業した魔法使いの証だ。夜空に浮かぶ星々を閉じ込めたような花紺青の生地はビロードの様に滑らかだが軽く、動くたびに繊細な金の光を反射する。胸元には星が3つと卒業した学部のシンボルが金糸で刺繍され、この星の数とシンボルで出来る仕事が決まる。
フィリルは魔道具学部を卒業しているが、魔法薬学部、属性魔法学部の単位も取得していた。よって全学部のシンボルが刺繍された非常に目立つマントだが、普通の人には分からないだろう。実際、どの学部を卒業していても”魔法使い”と一括りに呼ばれる。
魔法使いの資格証兼身分証の扱いなので、正式な場では着用が義務付けられていた。驚きの声をあげながらも見送ってくれる女将に笑顔で頷きつつ、窮屈な首元を気にしているラルフと共に国の紋章の描かれた馬車へと乗り込んだ。
謁見自体は”プライベートの訪問”を事前に行っていた為に問題なく終わった。魔法学院の卒業を報告し、王から賜る誉め言葉へと定型文の返事をする。他国で研究を行うようにと王命が下り少々周りはざわりとしたが、構わずに魔法使いのナイトの任命を宣言する。
ナイトには花紺青の生地に銀の縁取りのされたマントが贈られる。ペールブルーの衣装を纏った黒髪の男に、紫を帯びた暗い青色のマントはよく似合っていた。
「恰好いいですよ」
学院を卒業した騎士が騎士団任命の儀式を行っているのを眺めながら小声で褒めれば、ラルフは「どーも」と声に出さずに返す。真新しい騎士学院の卒業証が胸元に輝いていた。どことなく機嫌が良さそうな顔は、任命式が終わった安堵か、卒業の喜びだろうか。
「(君も緊張するんですね、って言ったら怒られるかな…)」
騎士学院に限らず、専門分野を学ぶ学院は多数存在する。魔法学院、商業学院、服飾学院などがあり、その中でも様々に学部が分かれている。大抵は16歳の年で入学し、3~4年間で決められた単位を習得して卒業となるが、騎士学院だけは特殊だった。
剣技や勉学の優秀さはもちろん必要だが、国への忠誠度や他の騎士と連携ができるかが卒業の基準となり、実はラルフは卒業が危ぶまれていたと騎士団長がこっそり教えてくれた。
「(上官の命令には一応従うけど、野外訓練で夜中に抜け出して魔獣狩り。指導に来た現役の騎士を煽って模擬戦…だっけ)」
騎士団長の語った在学中のラルフは反抗期の少年のようだった。基本的には黙々と基礎訓練や勉学に励んでいたようだが、頭を抱えることが何度もあったという。
恐らくラルフは反抗しているつもりはなく、ただ強い相手と戦いたかっただけなのだろうが。
新人騎士達ははじめて袖を通したであろう騎士団の正装に身を包み、王から個々に剣で肩を叩かれては誇らしげに、あるいは緊張に震えながら忠誠の誓いをしている。
「(確かに彼らの中は、想像ができないかも)」
同期の学院生だった彼らを特に思い入れもなさそうに眺めるラルフの横顔を見上げる。青灰色の瞳が一瞬こちらを向き、肘で軽く突かれた。
その後は立食形式の昼食が用意されていた。国王を始めとした国の重鎮も共に祝いの料理を食べ、新人の騎士や文官と友好を深めることがこの会の目的らしいが、彼らの緊張に強張った顔を見る限りではあまり役に立っていないのではと思ってしまう。
「(こうして平民を官吏に取り立てて一緒に食事をするなんて、本当に平和な国。あ、これおいしい)」
皿の上の料理を観察する。鮮やかな黄色で、ロールケーキのような見た目だが甘みと塩味がちょうどいい。はじめて食べる料理の筈なのに、なぜか懐かしかった。
「どした」
じっと見つめていたからか、ラルフが小声で問いかけながら覗き込んできた。
「すみません、はじめて食べる料理だったので」
「食えねぇの」
「いえ、おいしいです。君も食べてみますか」
そこの皿に、とフィリルが料理の並ぶテーブルを指す前に、ラルフが屈んだまま口を開けた。室内の明かりに照らされて、赤い口内と粒の大きな歯が晒される。給仕を待つ雛鳥のような甘えた仕草に、フィリルはそっとフォークで端を切り、差し出した。
ラルフは自然な仕草で器用に料理だけを歯で挟んだ。ちらりと見えた犬歯が唯人よりも鋭く尖っている。
「まあまあ」
味わうでもなく数度咀嚼して飲み込むと、ラルフは自分の皿に盛った料理を食べ始めた。
「(獣人は唯人よりも距離が近いっていうのは聞いたことがあったけど、態度に出してきたの、はじめてかも…)」
任命式が終わって気が緩んだのか、このひと月で気を許してくれたのかは分からない。意外と甘えるタイプなのかもと、フィリルは自然に見えるよう会場を見回しながら、眉間に皺を寄せて料理を食べる彼を見て微笑んだ。
王は文官数人の集まりに声をかけ、騎士団長は新人騎士のグラスへと酒を注いでいた。参加者達が緊張しながらもどこか和やかな雰囲気になった頃、ざわり、と会場全体の空気が浮足立つ。恐らく誰か新しく入ってきたのだろうとフィリルは特に気に留めることもなく、魚料理を吟味していた。
「フィー、久しぶり」
しかし聞こえた馴染の声に、笑みを零して振り返る。王と同じ金髪に優し気な緑の瞳を持ったふたりの王子がゆったりと近づいてきた。
「殿下、いらしたんですか」
最後に会ったのは魔法学院への留学が決まった時なので、3年前になる。学院は遠くの魔法都市にあり、都市と都市は移転魔法陣で結ばれてはいるが使用の手続きが厄介でコストが高いため、気楽に帰国は出来なかった。
手に持っていた皿を置いて挨拶をしようとすれば、片手で制される。
「挨拶の列ができたら、フィリルと話せないだろ?今日はやめてくれよ」
王子達は魔法学院での成果について褒めてくれ、お互いの近況報告をしていく。兄王子は結婚が正式に決まったと嬉しそうで、祝いに”フラスコの中の小人”が欲しいのだと強請ってきた。
「小人ですか。宝石で作れば殿下の結婚祝いにも良さそうですけど…宝石でゴーレムが作れるのかどうかが……」
「できれば彼女と私の分で2つ欲しいんだけど、頼めるかい?」
「殿下の頼みならば、喜んで。けれど、使い方には気を付けてくださいね」
フィリルはふふっと思い出し笑いをした。どうしたのかと問う瞳を向けられたので、魔法学院のカップルについて話し出した。
フラスコの中の小人は作成したビンの中でしか生きられない小型のゴーレムで、話を聞かせたり知識を覚えさせたりしておくものだ。会話ができるので、魔法都市では子供の話し相手や絵本の読み聞かせをする子守りに使ったり、学生は課題の作成を手伝わせたりと人気がある。ビンから出したものは砂となって消えるため安全性も高く、人気の土産物でもあった。
「うっかり彼女の不満を小人に向かって話してしまう生徒がいて、後日彼女の耳に入って大変なことになる、というのが魔法学院ではわりとあるんです」
研究室の隅で「小人が嘘を言っている」「小人は嘘をいいません」と痴話げんかをする光景が年に数度は見られるという話をすれば、王子は顔を顰めて考えるように黙った。
ラルフは相手が王子だと悟ったからか、微妙に距離を取って料理を食べていた。そこに機会を伺っていたかのように騎士団長が近づき、ラルフも気付いて礼儀正しく対応していた。
そんな2人を目の端で捉えつつ、フィリルは弟王子へ微笑みかける。
「殿下は身長が随分伸びましたね。体格もがっしりされて、より恰好よくなりました」
「剣の稽古を頑張ったんだ。フィーを守れる男になりたくて」
フィリルは苦笑を零した。王子に守られる家臣など聞いたことがないが、このやりとりは幼いころからのもので王子は決して譲らない。
「逞しくなられて何よりです。女性も放っておかないでしょう?」
「フィーだって同い年だろ。向こうの学院で、恋人とか、できたりした?」
「ふふ、周りは年上ばかりでしたし、そんな相手いませんよ」
口を隠して柔らかな笑い声を漏らせば、弟王子は手を伸ばしてフィリルの髪をそっと爪先で触り、耳にかけようとした。その手を優しく握り、首を横に振る。
王子は一瞬下唇を噛んだだけで、次の瞬間には綺麗な笑みを浮かべていた。
「装飾が増えたな。…魔法使いみたいだ」
手入れの行き届いた指先がピアスを触り、首を覆う銀のレースのようなチョーカーを撫でる。服の下に隠したアームレットを暴くかのように辿り、バングル、右手の小指に嵌めた指輪に、中指のファランジリングへと指を滑らせた。
「私は魔法使いですよ、殿下」
フィリルが指先を回すように振れば、光る蝶が1羽、指先から羽ばたく。光の鱗粉を纏いながら、蝶は2人の王子の周りを優雅に舞ってフィリルの指先に戻り、消えた。
「本当に、フィリルの魔法は綺麗だね」
喜びはしゃぐ兄王子に、「本当に、美しすぎますよ」と弟王子が笑い返した。
他の参加者への激励を終えた王に話しかけられたのは、昼食も終わる時間だった。
「フィリル、旅に出る前に悪いが、明日は人口ダンジョンへの同行を願いたい」
デザートのケーキを突きながら、壮年の国王が眉尻を下げる。威厳に満ちた瞳の中に困り果てたような色を見付け、フィリルは頷いた。
「収穫量、はやり落ちてますか」
フィリルも同じようにケーキを味わう。宿でパンを食べた時にも思ったが、やはりここでも小麦の味が数年前と違う。味というか、魔力の含有量が確実に落ちている。
人口ダンジョンは、100年前に伝説の魔道具師レイラが作った異空間農地だ。それまでは農作物などほとんど取れなかったこの土地にもたらされた人口ダンジョンのお陰で、このスヴァールは栄えてきたと言っても過言ではない。
「今までの蓄えと輸入品で今年の冬は越せるが、ここ数年の収穫量の減少から考えると来年は難しい」
恐らく城の魔法使いも何度も調査には行っているのだろうが、これはフィリルの得意分野だった。今日要請があったのは、9月の就任を待ってくれていたからだろう。
了承を示せば、今日は王城に泊まっていくようにと王は優しく笑った。
用意された部屋は幼い頃から何度も泊ったことのある客室だった。隣の部屋がラルフに為に整えられ、夕食も王族と一緒では気が休まらないでしょう、と部屋に用意してくれた。
夕食の後は侍女がウィスキーとハムやチーズの乗ったクラッカーを出してくれたので、しばらくはゆったりと時間を過ごした。ラルフは決して口数は多くないが、騎士学院での生活をぽつぽつと話してくれた。
弟王子から呼び出しがあったのは、就寝前の遅い時間だった。
「夜のティータイムに、と殿下がお呼びです」
時間のせいもあるのか恐縮している侍女に了承を示し、軽く衣服を整えてガウンを羽織った。
尋ねた王子の自室には暖かいハーブティーが用意され、王子も薄手の寝衣姿だった。
「殿下、お呼びと伺い参りました」
彼は翡翠の瞳を甘く緩め、「フィー、こっち」と座っているソファの隣を軽く叩く。腰を下ろせば、王子が甘えるように凭れてきた。
「ナイトは、一緒じゃないの?」
「殿下に会うのに、護衛は必要ありませんから」
鼻先を擽る金髪の髪を見下ろす。幼い頃から王子はこうしてフィリルに凭れ、絵本を読んで聞かせてと強請ってきた。
「耳、隠しちゃったんだね」
王子の静かな声が呟いた。フィリルは自身の耳を手で触り、「はい」と頷く。
「エルフの容姿が強く出ているのは隔世遺伝ですが、母の不貞を疑う方もいて面倒ですし」
「私は好きだったのに。フィーって感情が顔に出ないけど、嬉しいと耳がピクピク動くし、悲しいと少しだけ下がるんだ」
「昔からそう言いますけど、耳は動きません」
幼い頃に言われて鏡の前で動かそうと頑張ったが、長いエルフの耳が動いたことはない。フィリルが反論すると、王子は声を上げて笑った。
フィリルは考えるように、用意されていた茶器に手を伸ばした。甘い花の香りのハーブティ―に、微かに解毒用の魔道具が反応を示した。
「(マンドレイクが入ってる…鎮静剤?…この量なら毒じゃないけど、反応するんだ)」
「魔道具って、寝るときも外さないの」
「外しませんし、他人にも外せないようになっています」
王子がフィリルの顔を正面から覗き込み、ピアスを軽く引っ張って耳の形をなぞった。
「あれ、触ると、元の形だ」
「幻覚魔法で誤魔化しているだけなので。形を変える魔法はありませんよ」
透明な耳を握りながら、王子が不思議そうに耳を見ている。翡翠色の瞳はいつも好奇心に輝き、金の睫毛が宝石のような瞳を縁どる。フィリルはこの瞳が好きだった。
「(いつまでも陰らずに、国の光であってほしい)」
微笑みながらその瞳を眺めていれば、不意に視線が重なった。小さく首を傾げると、王子はフィリルの両手首を掴み、ソファの背にそっと縫い留める。
「私がフィーを襲ったら、どうするの?」
「おかしなことを聞きますね」
「答えてよ。どうするの?」
揶揄っているわけではないのだろう。真剣な瞳は鋭くフィリルを見つめ、「答えて」と促す声は硬い。魔法都市の学院へ留学が決まったときに「帰って来るのか」と聞かれたときも、同じ声色だった。
「私に傷を負わせようとすれば、魔法障壁が自動で発動します。あとは…そうですね、魔道具に仕込んだ睡眠薬で、お休み頂くことになると思いますよ」
労わるように穏やかに告げれば、「そう」と相槌を打って王子は姿勢を戻した。そのまま立上り、窓際へ歩く。暗い窓に映った顔に表情はなく、瞳だけが窓に映るフィリルを見ていた。
「もう、私が守る必要はないんだね…」
窓に映る王子が微笑んだ。その顔がどこか寂し気で、フィリルは何も答えずに視線を外し、ハーブティーに口を付ける。
「私ね、婚約者が決まったんだ」
「おめでとうございます、殿下」
振り向いた王子はいつも通りの綺麗な笑顔を浮かべ、誇らしげに頷いてみせた。