11.回復薬は自作してる
「いやいやいやいや、喉元搔っ切られて死ぬかと思った」
老人はフィリルの渡した回復薬を首の傷に塗りながら大声で笑った。ラルフは不貞腐れたようにイスへと座り、足を組んでいる。決してフィリルを見ようとはしない。
「坊主が予想以上に強かったもんで、楽しくなっちまってなぁ。姫さん脅かしてやろうと思ったら、俺の方が驚いた驚いた」
老人は若い頃は上位の冒険者という職業についていたらしく、今も氷河の洞窟に年に1、2回行っては魔物が増えすぎないように管理しているという。
「イエティのとこに連絡送って返ってくんのに1週間はかかるんで。その間に坊主が俺んとこで稽古受けるっつぅなら話を付けてやるが、どうする?」
ラルフはこちらにチラリとも視線を向けずに、「わかった」とだけ答えた。
昼食の前に宿へと戻り、シャワーを浴びたラルフをベッドへと座らせた。風呂場で粗方の傷は自分で癒したようだが、背中にはまだ鬱血と細かい切り傷が残っていた。布に染みこませた回復薬で拭くと、瞬く間に消えていく。
「(こっち見ようとしないのは…。投げナイフ防げなかったことが悔しいのかな)」
獣人はこういう時にどうするのだろうか。
貴族の家族は、恐らく市井の住人よりも家族間での接触が少ない。特にフィリルは幼い頃からあまり両親に抱きしめられたり撫でられたりといった記憶がなかった。
「(こう、後ろから、手をまわす、とか?)」
使用人に止められるために市井を出歩くこともないフィリルのサンプルは、残念ながら学院内で見る恋人同士しかない。よく見る光景は、研究に没頭している恋人に後ろから抱きついて昼食に行こうとしつこく強請るのだ。
思い切って、背中から腕を廻してラルフへとのしかかる。決して小柄ではないと思うが、逞しい背中は全体重を掛けても沈むことはなかった。布1枚を隔てただけの背中は暖かい。
「なに」
おぶさるような態勢のフィリルを、ラルフは拒まない。
「お昼、食べに行きませんか。ロブスターっていう大きなエビが美味しいんですって」
ラルフは小さく笑い、フィリルのこめかみに鼻を擦りつける。
「たしかに、腹減ったな」
タイミングを合わせるように、ラルフの腹がクゥっと鳴った。
海辺のレストランはまだらに塗装が剥げ、所々に錆の跡が残る歴史ある外観だった。大きな爪を持つロブスターを豪快に真っ二つにして焼いた料理がここの名物だ。
レモンや白いもったりとしたソースを付けて食べた身は歯ごたえがあり、とても美味しい。
小麦の麺料理との相性もよく、ラルフはエールを飲みながら満足そうだった。
「私も成人したので、本当はお酒飲んでみたいんですよね」
メニュー表を見ながら唇を尖らせる。はじめて飲むタイミングは、いつがいいのだろうかと。
「一滴も飲んだことねぇの?」
フィリルは頷く。
「飲みたいなら飲めば。酔っても背負って帰ってやるし」
「うーん、でも、今日はもう少し町を見て周りたいので、今度にします」
代わりに、聞いたことのない貝料理を頼もうと店員を探した。
「お、噂の坊主と姫さんじゃねぇか」
気付いた大柄の店主が注文票を手にやってくる。
「役所のオヤジに勝ったんだってな。お、ムール貝食うのか?このオイスターってやつも美味いから食ってけ。祝いにサービスしてやるよ」
店主は話すだけ話すと、大口を開けて笑いながら立ち去った。
「すみません、エールも追加で」
背中に向かって声を張れば、店主は片手を上げて了承を示した。
「姫さんって、女性だと思われてると思います?」
ロブスターの残骸を名残惜しそうに突くラルフに問いかければ、難しい顔をされた。
「女には見えねぇけど。名前だとでも思われてんじゃねぇの」
「うーん。せめて髪結ぼうかな」
フィリルが髪を片手で後ろにひとつに纏めて見せる。
「どうです?」
「変わんねぇよ」
ラルフはついに残骸から肉を探すのを諦めたようで、フィリルの皿へと手を伸ばしてきた。
「っつか、鬱陶しくねぇのそれ、垂らしてて」
「多少はそうなんですけど。耳、外であまり出したくなくて」
髪を耳に掛け片方のイヤーカフを外すと、そちらだけが長いエルフ状の耳になる。また付け直せば、恐らく元の耳の形に戻ったのだろう。ラルフは口をぽかんと開け、眉間に皺を寄せた。
「母方の祖父がハーフエルフで、なぜか私だけ特徴が色濃く出ちゃって」
「おまえ、幻覚魔法も使えんの」
「エルフほどじゃないです。こうして少し耳の形を変えるとか、こういうのとか」
指を軽く回して、虹色の蝶を作り出す。蝶は光の残滓を纏いながらひらりと飛び、ラルフの鼻先に止まると数度羽ばたいて消えた。
「魔力も普通に多そうだしな」
「効率のいい使い方をしてるだけです。実際、魔力の多い少ないって言うほどないんですよ」
興味がなさそうにラルフは頷き、視線を上げた。
「はい。貝盛りとエール」
店主が皿に山盛りの酒蒸しと生のオイスター、エールを置いて立ち去る。
「生の貝ってはじめて食べますね」
周りの客がどうやって食べているのかを確認し、フィリル貝へと口を付けた。
「ん、おいひい」
レモンを絞ったオイスターは匂いもなく、口の中で甘く溶けていった。
その後、どこに行っても「噂の坊主と姫さん」と呼ばれた。
町の噂の広がる速度に驚きながらも、そのお陰でこうして住民に受け入れてもらえたのならよしとしよう、とフィリルは最終的に「姫さん」呼びを受け入れることとした。
魔道具の修理を頼まれたのは、その2日後だった。ここでも魔道具師の不在は長く続いていたようで、昼食を持ってラルフを尋ねたときに老人に相談されたのだ。
若い女性の職員に連れられて、今は動かなくなった魔道具の置かれた倉庫へと案内される。
「すこし、見てもいいですか?」
「あ、はい。私は受付にいますので、なにかあれば声をかけてください」
女性の職員は老人の孫だったりするのだろうか。同じ赤褐色の髪をひとつに纏め、人好きする笑顔で出て行った。
部屋の隅には大きな置時計型のからくり時計と、印刷機が置かれていた。
「すごい、こんな古い道具、本以外ではじめて見たかも」
魔力を通し、状態を見る。幸い大きな破損はないようで、簡単なメンテナンスをすれば直りそうだった。道具は動かなくなったにも関わらず、きちんと手入れがされている。
ポーチから大きめの布を出し、床に広げた。金属製の深皿に薬液を注ぎ、まずはからくり時計を分解して部品を漬けていく。
「(わぁ、すごく繊細な魔法陣)」
フィリルは時間も忘れ、からくり時計の修理に没頭した。
カラーン、コローンと繊細なクリスタルが午後6時の鐘を響かせる。
からくり時計の上部から海の女神が顔を出し、文字盤の上を遊びながら通って振り子の中へと消えていった。代わりに、月の精霊が姿を現し、文字盤の中を優雅に歩く。
「(エルフが作ったのかな。幻想魔法の仕掛け時計なんて見たことない)」
自身の仕事に満足して立ち上がると、すごい勢いで扉が開き、老人が目を見開いて置時計を見ていた。
「さ、さっきの、鐘の音…」
動く振り子と文字盤の精霊を見て、老人は床に崩れ落ちた。
「それは、もう、40年以上も動いとらんかったのに…直せる魔法使い様が、いなさったのか」
遅れて駆けてきた女性職員の説明によると、代々この役場で受け継がれきた時計だったそうだ。なんでも、昔エルフに友情の証として贈られたらしい。
「40年前に一度、魔道具師の方に高いお金を積んで見てもらったのだけど、直せないと言われたそうなの」
女性は老人の肩を擦りながら言った。
「結局、16歳で入学する学院をこの歳で卒業してますって自慢して周ることになったな」
ラルフがは意地の悪い顔で笑った。