迦維羅城の滅亡(1)ー1
貴重なるものを求めて旅する商人たちは勇敢であり、また貪欲でもあった。海ゆく者たちは岸辺に沿って船を進め、未知の海では鳥を放って陸地を確かめた。そして彼らは遠くバビロニアにまで至り、金銀、宝石、珊瑚、金剛石などを持ち帰った。陸路をゆく者たちはさらに多く、ガンダーラの名馬、ベナレスの布、ウッディヤーナの毛布、他に織物、食料、油、穀物、香料、花、金や宝石の装飾品など、隊商を組んで各地へ運んでいった。
その隊商を率いたのは、主に都の商人たちである。旅路には盗賊が数多出没したので、夕暮れになると隊商の主はそれぞれの車を解かせ、円形に並べて野営を張り、適当な時刻に人と牛とに夕食を摂らせた。そして人々の中央に牛を寝かせ、自分は隊長たちを率いて刀を手にし、夜の三時、警戒の任に当たったまま夜明けを待った。無事朝を迎えると彼はすべてを整理し、牛には餌を与え、弱い車を捨てて強い車を取り、廉価な品を捨てて高価なものを積ませた。そして目指す町に達してから二倍三倍の値で商品を売ったのち、隊商の人々を連れて再びもとの都へ帰っていった。
このような辛苦を耐えて得た富を奪い取るのは盗賊だけでなく、国王もまた奪う者であった。さまざまな名目の税を課し、農地を耕す者たちには賦役を強制した。また多くの国王は法によらず、賄賂を貪り、荒々しく凶暴で民人を苦しめた。人々はその害から身と財産を守るために集団を作った。コーサラ国のシュラーヴァスティー[舎衛城]において商人の集まり(シレーニ)の長は、給孤独と呼ばれるスダッタ長者であった。
そしてこの時期、大きな都市として知られていたのは、コーサラ国のシュラーヴァスティー、サーケータ、アンガ国のチャンパー、マガダ国のラージャグリハ、ヴァンサ国のコーサンビー、カーシー国のベナレス(ヴァラナシ)の五つだった。
広大なコーサラ国は都を三つ有し、シュラーヴァスティーの南東のサラヤー河畔沿いにアヨーディヤーとサーケータという隣接した二つの都市が在り、国王が常住するシュラーヴァスティーは五つの路の集合点に位置していた。北へはセータプヤ、カピラヴァストウ、ラーマガーマ、クシナーラという雪山のふもとの沃野を通ってヴァイシャリーへ至る第一の路、南東へはサーケータを経てベナレスへ至る第二の路と、同じくサーケータを経てコーサンビーとつながる第三の路、そして西へはサンカッサを経て恒河上流のクル地方へ至る第四の路と、西北のタクシャシラーへと通じる第五の路である。これらの路によって、さまざまな物資と人がシュラーヴァスティーへ流れ込んできた。
都の城門近くには休息場としての広場があり、遠くから旅してきた商人たちはそこで荷を解いて体をやすめた。そして、そのまま売り買いしたので、市場ともなっていた。都の中は縦横にはしる道路に沿って家屋や商店が立ち並び、多くの人々で賑わっていた。また四辻の大道には尖塔のついた集会堂があり、道が交差する地点には公園が作られて街に緑を添えている。
(あの家では、何か祝い事でもあるのか)
このとき王宮の高楼に一人の貴婦人が立ってシュラーヴァスティーの街を眺めていた。
家々には道に面したところに庭があり、婦人が目を止めた邸宅では宴が開かれていた。ときも夕暮れ近く、上空に涼しい風が吹いている。眼下の街では塔の屋根が整然と天に向かって都の威容を示し、街の喧騒が高楼にいる彼女にも感じられてコーサラ国の繁栄は揺るぎないように思われた。
(我が君がお帰りになられた……)