迦維羅城の滅亡(7)
そのころ、軍勢の去ったカピラヴァストウでは、一度は市街から上がる煙で太陽が黒く見えるほどであった。しかし、今はそれも収まり、様子を見るためやってきた他の町のシャーキャ族の幾人かが都へ近寄って、壊れた門から城内を窺っている。彼らは一族の人々が皆死んだと思った。けれどもそうでなく、坑に残された女たちは未だ生きながらの塗炭の苦しみの中にいた。
「世尊……」
衣を剥ぎ取られた身体を熱い陽射しが焼く。手足に縄が食い込んで動くことも出来ず、飢えと渇きに喘ぎつつも、女たちは同族の聖者の名を呼んだ。
「……世尊は妾たちの種族から出で給うて、あまねく法の雨を天下に注がれています。妾たちは今この苦難におうています。どうぞ、御慈悲を垂れさせられて妾たちをお救いください」
女たちは一心に仏陀を念った。
そのとき突然、彼女たちの頭上が陰り、釈迦牟尼世尊の姿が現れた。
「ああ……世尊……」
女たちが口々に叫ぶ。と同時に彼女等は自分たちが裸身であることを恥じ、身を硬くした。
同じころ、師より少し遅れて世尊の弟子たちもシャーキャ族の都へやってきていた。
「スマナよ、カピラヴァストウは、どのような様子か?」
侍者に手を引かれ、城門をくぐったアニルッダが訊いた。
それに対して細身の体をした若い侍者は、賢そうな眼で周囲を見回し、答える。
「街や宮殿の建物はあらかた焼け落ち、まだ火が燃え、燻っております。そして、広場に深く掘られた坑の縁に、世尊が立っておられます。坑には息も絶え絶えな女たちがうめき声を上げています」
この青年スマナは、七歳のときアニルッダを導師として出家した。以来、アニルッダを直接の師匠とし、長じて具足戒を受けてからは侍者となった。アニルッダの眼が見えなくなってからはその代わりともなって、老いた父を労わる子のような、もしくはそれ以上の情愛の細やかさで彼は師の身の回りの世話をしていた。
(王マハーナーマ……兄者は亡くなられたか……)
あたりに漂う焦げ臭い煙が、いやでも多くの死の気配を感じさせた。
カピラヴァストウを滅ぼしたヴィドーダバ王は、彼の姪の子である。かつてヴァイデヒー夫人が「何故、ディーヴァダッタは世尊のお親戚か」と叫んだ際、それを聞いたアーナンダは弟であることを恥じて身を竦ませたものだが、アニルッダには何の感慨もない。すでに解き脱れ、情念の炎を滅し去った彼の心は、哀しみという小波がたってもそれはすぐに静まり、事実をありのままに受け入れていた。
「世尊は何をしておられる?」
アニルッダが再び問い、光を失った両目を師がいると思われる方角へ向けた。
「静かに法を説いておられます。盛んなものは必ず衰え、生けるものは必ず死ぬという道理を説かれ、身体があって五欲があり、五欲があって執着が起こり、このことを知って生老病死の怖れを超えねばならぬと、教えておられます。
ああ……女たちのうめき声がやみました」
「左様であるか……」
このとき、アニルッダの見えないはずの眼に、無数の光の珠が映った。それは、ゆっくりと天へ昇ってゆく。
(死ぬときに臨んで、女たちは浄い法の眼を得たのだな……)
一方で、黒い瘴気が辺りを覆っているのが分かる。
(この戦で死んだ者たちの恐怖と怒りか。酷いことよ……)
「ああ、なんという有様だ! カピラヴァストウが」
突然、嘆きと共に嗚咽を洩らす声が背後から聞こえた。
「アーナンダよ、心を静めよ」
彼は、この歳下の従兄弟を叱りつけた。
「世尊の御教えを思い起こすがよい。嘆き悲しんでいる間にも、我らが今、何を為すべきか考えよ。死を目前にした者には法を説いて怖れを取り除き、助かりそうな者には手当てを尽くすことが急務であろう」
「……そうでありました」
アーナンダは涙をぬぐったようだった。そしてまだ炎が残っている城の奥へと駆けていく。
他の弟子たちも動き回っているようで、多勢の足音がした。
「スマナよ」
アニルッダが振り返る。侍者に手を引かれ、彼もまた自分のなすべきことを為すために、同朋たちの後を追っていった。
やがて世尊は弟子たちを呼んで城の東門に向かい、城中でいまだ燃えさかっている大きな火を見て詠うように云った。
「なべてのものに常なし、顕れては消える定め、生と死を離れて、常の楽あるなれや」
そののち、過去に幾度となく滞在した郊外の尼拘盧陀の林へ入った。
美しく手入れされていたこの林も木々の枝が折られ、池は濁って花も踏みしだかれていた。そこから見えるカピラヴァストウもかつてと違い、都門が傷ついたまま大きく開かれ、様々な人達で賑わい輝いていた街も今は黒く煤けた廃墟となっている。
釈迦牟尼世尊は昨日に変わる今日の有様を眺めて弟子たちに教え、シュラーヴァスティーへと還っていった。そこでまた、ある物語をした。
「弟子等よ、昔ラージャグリハに飢饉があって、民たちは皆、城の外の大きな湖の魚を取って命をつないだ。その湖の魚の中に拘璅と両舌という二匹の魚がいて思うことに、『我々は何の罪もなく、また城の人達に何も犯すところもないのに、人々は我々の生命を取って食べている。二人で心を合わせて、この怨みを晴らそうではないか』と。そのとき村に八つばかりになる一人の子供があって、自ら魚の生命を取らないが、人々が魚を取って陸に投げ上げると、悶え跳ねて死んでゆくのが面白く、喜んで眺めていた。
弟子等よ、因果の道理は恐ろしいほど確かに報いてくる。拘璅のヴィドーダバ王は両舌のバラモンにそそのかされて、カピラヴァストウの人々にその怨みを晴らした。こうして怨みは怨みを重ねて輪廻のわだちを深く掘っているのである。私は今、頭の痛みを覚え、重い石で圧しつけられているようであるが、これも拭い去ることの出来ぬ一つの報である」
『マガダとコーサラ篇』 完
お読みくださり、ありがとうございました。




