迦維羅城の滅亡(4)
またこの後しばらくして、世尊がシャーキャ族の住むメータルーパという邑に滞在していたとき、ちょうどパセーナディ王もまた所用があって近くのナガラカへ来ていた。
政務に疲れを覚えた王は、供をしていたディーガという若い将軍を呼んだ。
「馬車の用意をせよ。園へ行き、美しい景色を見たいと思う」
命じられた通り将軍が車を整えたので、王の一行は町を出て園林へと入った。緑多く、花咲き乱れる園に入ると、日ごろの気ぜわしさを忘れ、王の心は伸びやかになった。手入れの行き届いた木立はパセーナディ王の眼を楽しませ、慰めてくれる。この自然の静けさは独り棲むに相応しく思われた。
コーサラの王は樹の下をそぞろ歩いた。
(このような処で、世尊に御仕え申し上げたいものだ……)
愛するマッリカー夫人は既に亡くなり、宰相ムリガダラも逝き、賢臣カーラーヤナも職を退いて、王の周囲は寂しいものとなっていた。そして今や王の慰めは仏陀との語らいだけであった。
このとき突然、パセーナディ王は世尊に見えたいという衝動に駆られた。
「ディーガよ、世尊は今、何処においでになるであろうか」
「メータルーパにいらせられると聞き及んでおります」
後ろに控えていた逞しい体躯の将軍が即答する。
「この市からメータルーパまで、どれほどの隔たりがあるか」
「大王よ、さほど遠くはありませぬ。三里程でありますか……。日没までに行くことが出来ます」
「それでは馬車の用意をせよ。世尊の許へ参ろう」
こうしてパセーナディ王は美しい車を仕立てて市をで、日が暮れる前にメータルーパに着いた。そして精舎へ向かい、そこに至ると車を降りて中へ入っていった。
精舎の露地には多勢の弟子たちが経行していた。
(この人たちは、いつも寂かであるな)
パセーナディ王は世尊の弟子たちが醸し出す穏やかな雰囲気に、ほっとするような想いだった。
王は彼らに近づいて行き尋ねた。
「世尊にお会いしたいが、いま何処に在ますか」
「大王よ、世尊はこの戸が閉ざしてある室においでになりますから、静かに近づいて縁に上り、せきばらいをして閂を叩かれるならば、世尊は戸を開き給うでありましょう」
彼らは答えた。
そこで王は剣と冠とすべての王のしるしである五つのものを取り去ってディーガに渡し、教えられたように一人進んでゆき、室の閂を叩いた。
戸は開かれ、パセーナディ王は中へ入った。
釈迦牟尼世尊がいつものように暖かく静かな微笑みを浮かべて王を迎える。するとコーサラの王は、ふいに込み上げてきた熱い想いに耐えられなくなった。
王は師の御足を押し頂いて接吻し、自らの手で御足をさすり、名乗りを挙げた。
「世尊、私はコーサラの王パセーナディであります」
「大王よ、貴方は如何なる理由で、このような改まった挨拶をなし、心の供養をなされるのですか」
パセーナディ王は胸中の想いを言葉にする。
「世尊……私は世尊に対して正しい信心があります。それは、世尊は正覚者、法は世尊に依ってよく説かれた法、僧伽は善い行いの人々ということです。
世尊、私はこの世において、十年、二十年、三十年、四十年、自ら浄らかな行を修めながら、沐をしてのち膏を塗り、髪髭を刈り込み、五つの欲に耽り楽しむ出家やバラモンを見ます。一方、私はここに生命のある限り、円満な浄らかな行を修めている仏弟子を見ます。世尊、私はこの教園より他に、このような浄く円満な修行を見ません。これも私が世尊と法と僧伽とに対して正しい信心のある一の理由であります。
世尊……王は王と争い、武人は武人と争い、バラモンはバラモンと争い、資産者は資産者と争い、母は子と争い、子は父と争い、兄弟姉妹が相争い、朋友相争うこの世の中に、この教園だけが、弟子等は互いに和み合って水と乳とのように、争いなく慈しみの眼をもって眺め合うているのを見ます。私はこの教園の他に、この様な和合の団体を見ることが出来ません。それでこれも、私が世尊にむかう正しい信心のある一つの理由であるのです。
世尊、また私は園林巡りをして、ある出家が痩せ衰え、顔色青ざめ、血管が太く顕れ、人を見るのに眼のすわっていないものを見受けます。そのとき私は思います。この人々はきっと浄い行を楽しまないのであろう、あるいはまた、何か悪い事をして、それを隠そうとしているため、このように痩せ衰え、人を見るのに目がすわらないのであろうと。それで私はその人々の処へ行って理由を尋ねると、彼らは病気であると答えます。世尊、私はここでは皆が楽しそうに修行をし、謙敬に鹿のように優しい心に住まいするのを見ます。それで私は、真にこれらの大徳達は世尊の教えにおいて勝れた点を見るから、このようにして居られるのであろうと思い、これも世尊に正しく信心のある一つの理由であるのです。
世尊、また私は灌頂をした武人の姓の王でありますから、殺したいと思えば殺し、生かしたいと思えば生かし、追い放ちたいと思えば追い放つことも出来ます。しかし私は会議の時に、私の話なかばに口を挿むものを止めることが出来ません。私の話が終わってからにせよと云っても、私の話なかばに喋り出すものがいます。しかるに今ここでは世尊が数百の会衆に法を説いていられても、弟子たちの中でくしゃみ一つ咳一つするものがありません。かつて世尊が数百の会衆に説法せられたときであります。ある弟子が咳をすると、同学の人が膝で突いて、『尊者、静かになさい、音を立ててはならぬ、師が法を説いておられる』と申しました。
そのとき私は、このように思いました。げに勝れたことである。剣も用いず、棒も用いないで、この会衆は善くもかく調伏られていると。世尊、私はこの教園の他に、このようによく調伏られた会衆を見たことがありません。これも私が世尊に正しい信心のある一つの理由です。
世尊、また私はこのような事を見ます。ある賢い怜悧しい、毛の先でも割くように巧みな論議に長けたクシャトリヤの人々が、他の議論を見事に破って遍歴する。彼らは世尊がどこそこにお着きになったと聞いて問い掛けの仕度をする。ゴータマの処へ行ってこの質問をしよう、こう問われてこう答えたならば、このように論議を吹き掛けようと。しかし彼らが世尊の所へ近づくと、世尊は法を説いて彼らを励まし喜ばし給う。彼らはその法話により、問いかけず議論もせず、必ず世尊の弟子となることを誓います。世尊、これも私が世尊に対して正しい信心のある一つの理由なのです。
世尊、また同じ様に他のいかなる賢い人々も、世尊の許へ行って示教に預かって励まされ喜ばされ、世尊の許可を得て御弟子となり、浮世を離れて熱心に修行し、程なく證を開いてこの様に云う。我々は何も少しも失わない。何故なら、聖者であるからと。世尊、これも私が世尊に対して正しい信心のある一つの理由です。
世尊……かつてイシダッタとプラーナの二人の頭領は、私の禄を食み、私に生計を与えられ名誉を得ていたものでありました。しかるに彼らは、世尊にするように私に対して尊敬を示さない。あるとき私が白砂を運び上げさせたことがありました。イシダッタとプラーナを調べてみますと、彼ら二人はあるごみごみとした家に宿り、夜更けまで法話をなし、それから世尊の在ます処を問いただし、世尊の方へ頭を向け、私の方を足にして寝ました。それで私はこのように考えました。真に奇妙なことである。この両人は私の禄を食みながら、世尊にするように私を敬わない。真にこれらの人々は世尊の御教えに殊に勝れた点を見ているのであろうと。世尊、これも私が世尊に対して正しい信心のある一つの理由です。
世尊……世尊もクシャトリヤ、私もクシャトリヤ、世尊もコーサラの人、私もコーサラの人、世尊も八十、私も八十。世尊、これに依って私は世尊にこの上ない恭敬を払い、心の供養をするに相応しいと思うのであります」
初めて相対した若き日のことをパセーナディ王は思い起こしていた。互いに覇気に富み、これから為すべきことを見据えて進もうとしていた。けれども四十余年の歳月を経た今、懐かしい人々は黄泉路へ旅立ち、多勢に傅かれる立場でありながら、心開いてしみじみと語れるのは世尊のみとなっている。何事をも思いのままに出来る大国コーサラの王であっても、彼はその日常に疲れ、倦んでいた。そして僧伽の人々のように心穏やかに残りの日々を過ごしたいと願った。だが、今の自分の身でそれを出来るはずもなく、王はこのとき長居したことに気づいた。
「世尊……それでは私はこれで御暇をいたします」
パセーナディ王は右に繞って、その場を去っていった。
釈迦牟尼世尊はパセーナディ王が退出すると間もなく弟子等を呼び、云った。
「弟子等よ、コーサラの王パセーナディは法の塔を建てて行った。弟子等よ、この法の塔を受けたもてよ。これを反復して学び、これを伝えたもつがよい。弟子等よ、法の塔には利益あり、げに修行の初めである」と。




