迦維羅城の滅亡(3)
この後七年の間、コーサラ国では平穏な日々が続いた。釈迦牟尼世尊の日常も変わりなく、そのころ世尊はシュラーヴァスティー郊外の鹿子母講堂で一日を過ごしていた。やがて昼中の暑さが和らいだ頃、夕暮れの禅定を終えた世尊は沐浴をし、背中をかわかすために居室を出て、樹の下に坐っていた。
このとき傍らにいたアーナンダは、師の体を手で撫でて申し上げた。
「世尊……世尊のあの御麗しい膚の色は失せ、滑らかな御身体に皺が顕れ、御腰が前に曲み、御眼も御耳もお変わりになりました……」
「アーナンダよ」
彼の師は振り返らずに云った。
「汝の云う通りだ。青春に老いがあり、健康に病があり、生存に死が具わっているのである。私も齢八十歳になって、膚の色は失せ、皺が顕れ、眼や耳の様子が変わってしまった」
そして偈を詠った。
「老いに呪いあれかし、老いは美しきを害い、
見る目善き形を、踏みにじる。
百年の寿重ぬるも、死は免れじ、何ものも
除くことなく、みな踏みにじる……」
この教えを垂れていたところへ、パセーナディ王が華やかに装った車に乗ってやってきた。すでに陽は沈み切り、西の空には赤みが残っているだけである。
王は星が瞬き始めたその夕空をぼんやりと眺めた。若い頃と違って黄昏時は寂しさと不安がさらに増す。自分の命の残り火が少ないことも考え合わせて、ときには居たたまれないような想いにとらわれる。
パセーナディ王もまた老いていた。髪は白く、肌のはりも失せて皺深くなり、筋肉が痩せて手足や胴回りの皮が垂れ、背も丸くなっている。
やがて王は車を降り、薄暗い精舎の中を通って世尊の傍へ歩み寄った。そして拝した後、師へ語りかけた。
「世尊……生きものの中で、老いと死とを免れるものがあるでしょうか」
「大王よ」
このとき背後にいたアーナンダが師へ衣を着せかけた。
「……老いと死とのない生き物はない。大王よ、家富み栄え、何事も思いのままになるバラモンでも、クシャトリヤでも、老いと死とを離れて生きることは出来ない。煩悩をことごとく滅ぼし、為すべきことを為し終わり、罪の重荷を降ろし、浄らかな目的を果たし遂げた聖者の身体でも、この破滅を免れることは出来ず、やがて捨てられるものである」
世尊は王が乗り捨てたきらびやかな車に眼をやって、次のように云った。
「美しき王車もこわれ、この身も老いゆく。
ひとり正法は老いず、これ世々の仏の宣うところ」
王は今まで心に重くのしかかっていた不安と恐怖が拭い去られていくのを感じた。世尊が語ることはいつもパセーナディ王の精神に力を与え、彼は師の言葉を喜んだ。他のなによりも仏陀との会話は王の心を慰め、安んじさせた。
そしてコーサラ国王が礼を述べて帰った後、世尊は弟子たちを呼んで云った。
「弟子等よ、世間の人々は四つの事を喜び、四つのことを憎んでいる、彼らが喜ぶ四つの事とは、青春と健康と生存と愛する人々と共に住むことである。憎んでいる四つの事とは、青春に老いが変わり、健康が病気に変わり、生存が死に変わり、愛する人々と別れることである。
弟子等よ、ここにまた四つの事があって、これを覚れば永久に上の四つの事を離れることができ、覚らなければ永久に上の四つの事を離れることが出来ない。それは何であるか。聖い戒と聖い禅定と聖い智慧と聖い解脱とである。
弟子等よ、生老病死を離れた涅槃の境地に至ろうと求め、愛するものと別れることに世の常なき想をするがよい」




